将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

棋士の本音

2015年5月15日 (金)

5月5日で65歳の前期高齢者になった田丸の1年後の引退への思い

私は5月5日に65歳となりました。誕生日には自分の親に感謝の思いを伝えるのが親孝行といいます。ただ母親の昭子(88歳)は耳が遠いので、同居する妹の一美(63歳)を通じて「元気に過ごしているよ」と電話で連絡しました。母親は認知症とは無縁で、とてもしっかりしています。4月に妹、孫の夫婦、ひ孫など4世代の家族が集まった母親の米寿のお祝いの会では、中華料理のコースをぺろりと食べていました。息子にとって、母親が元気でいるのは何よりの安心です。その母親から「お酒を飲みすぎて体を壊さないように」と、会うたびに言われます。息子が初老になっても、やはり心配なのでしょう。

65歳になって、介護保険証と老齢基礎年金などの手続きをする通知書が届きました。それ以外は日常生活で別に変化はありません。いわゆる「前期高齢者」の仲間入りをしたわけですが、日本は4人に1人が65歳以上の高齢化社会なので、周囲には同年代の人が多くいて年を取った実感はありません。日本人男性の平均寿命は80歳と高いです。しかし長く生きることよりも、健康に生きることが大事だと思います。

17年前の1998年に村山聖九段が29歳で早世したとき、私は過去30年間に亡くなった棋士のことを調べてみました。その人数は67人で、年平均で2人でした。棋士総数が100人台半ばの団体として決して少なくありません。平均享年は69歳で、世の平均寿命より10歳も下回る69歳でした。じつは長生きした棋士はけっこう多かったのですが、病気で早く亡くなった棋士もいて、平均寿命を下げる結果となったようです。

今年の1月に78歳で亡くなった河口俊彦八段は、その直前まで精力的に文筆活動をしていました。2月に95歳で亡くなった丸田祐三九段は、数年前まで元気な様子でした。棋士の平均寿命は決して高くありませんが、自立した生活を過ごせる「健康寿命」は低くないと思います。

現在、約60人の引退棋士の中で、70代と80代は約10人ずついます。いずれの棋士も元気のようですし、認知症になったという話も聞きません。頭を使う、指先を使う、普段の生活で時間が自由など、棋士は長命になる環境にいると思います。私も日々の「アルコール消毒」をほどほどにして、「盤寿」(盤の升目の数と同じ81歳のお祝い)までは元気に暮らしたいと念じています。

来年3月で引退が決まっている私に対して、「それを待たずに引退されてはどうでしょうか」というコメントが以前にありました。私が今年2月の竜王戦の対局で1手詰めの詰めろを見落としたり(3月1日のブログ参照)、長年の不勉強はトーナメントプロとして失格だという厳しい意見でした。

率直に言って、かなり耳が痛いですが、それを認めざるをえない現実(成績不振)があります。じつは2009年にフリークラスに転出したとき、満期を迎える16年の前に引退する考えはありました。引退後の生活設計のめどが立ったらという前提です。私の場合は文筆活動のことです。著作を出したり、将棋雑誌に評論を書いたりして、それなりの文筆活動を今まで続けてきました。しかし私が思い描く文筆活動の展望がなかなか開かれず、引退による減収分との兼ね合いもあって、決断できずに現在に至っています。

引退しても、対局以外の役割と仕事はあります。対局で活躍する現役棋士と、仕事で適切な棲み分けができれば、引退棋士の収入は安定して励みにもなります。しかし将棋連盟から依頼される審判・解説・出演・指導などの仕事は、現役棋士が優先されがちです。大方の棋士はそんな現実を見ているので、順位戦のC級2組に降級点3回で降級するまで在籍したり、フリークラスの在籍期限まで現役棋士を続けるのです。

私はあと1年間の公式戦で9棋戦・10対局の機会があります(竜王戦はランキング戦と昇級者決定戦に出場できます)。この対局数は全敗の場合です。少しでも勝って対局数を増やし、自分の持ち味を出した将棋を指したいと思っています。

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2015年1月 3日 (土)

謹賀新年。今年もよろしくお願いします

【追記・私は新年の挨拶をしたこのブログで、大晦日に行われた「電王戦リベンジマッチ」をたまたま話題に挙げたら、多くのコメントが寄せられました。その中には将棋ソフトの底知れない強さの分析、棋士対将棋ソフトの力関係、将棋連盟とドワンゴの契約など、棋士として考えさせられる内容のものがありました。一方で当事者の森下卓九段を批判というレベルを超えて罵ったり、この問題とは関係ない女流棋士を愚弄するような不適切な内容のものがありました。この問題について、一通りのコメントが出たと思いますので、今後は差し控えてほしいと要望します。私が不適切な内容のコメントと判断した場合、削除することがあるのをご承知おきください。1月6日午後6時】

謹賀新年。今年もこのブログのご愛読をよろしくお願いします。

昨年は26歳の糸谷哲郎・新竜王が誕生し、主に「羽生世代」の棋士たちが長年にわたってタイトルを握っていた将棋界の勢力図に風穴を開けました。今後は新世代の棋士たちの台頭が注目されます。

来年の2016年4月、私はフリークラス規定によって44年間の現役棋士生活に終止符が打たれます。これから1年間が実質的に最後の現役期間となります。09年にフリークラスに転出して以降、すでに「準リタイア」している立場なので、引退への心構えはできています。今の心境は、残された対局で現役棋士としての総仕上げとなるような将棋を指したいと念じています。

それにしても、この数年間で痛切に思うことは、コンピュータ将棋ソフトが猛烈な勢いで進化して強くなったことです。19年前の1996年に『将棋年鑑』が実施した「コンピュータがプロ棋士を負かす日は?」というアンケートに対して、多くの棋士が「いつか来る」と答えながら実際は否定的な見方が大勢でした。当時の将棋ソフトの棋力はまだアマ三段程度でした。ただ同年に七冠制覇を達成した羽生善治(名人)は、肯定的に「2015年」と時期まで示しました。その具体的な根拠はたぶんなかったと思います。しかし過去2回の電王戦でのプロ棋士対将棋ソフトの5番勝負の結果(将棋ソフトが2年連続で勝ち越し)のように、羽生の予想はほぼ的中したのです。

昨年の12月31日に「電王戦リベンジマッチ」が行われました。前回の電王戦で将棋ソフト『ツツカナ』に敗れた森下卓九段が雪辱をめざして再戦したのですが、プロ側は対局中に盤の脇に置いてある「継ぎ盤」で研究しながら指せる異例の形式でした。それは「継ぎ盤があれば絶対に勝てる」という森下九段の考えが用いられたものです。視聴者の将棋ファンにとって、プロ棋士の対局中の考えや読み筋がリアルタイムでわかるのは、「お好み対局」の趣向としては面白いです。ただリベンジというからには、前局と同じ条件で戦うのが本筋だと思います。

森下九段と『ツツカナ』の対局は31日の午前10時に始まりました。そして終盤で森下九段が優勢(別の将棋ソフトの評価関数は森下の+800点ぐらい)になりましたが、なかなか勝ち切れませんでした。対局が深夜から明け方と年越しに及ぶと、1月1日午前5時半頃に関係者の裁定によって「指し掛け」となりました。相撲でいえば「水入り」で、後日に再対局されるそうです。

20時間に達する長い対局で、勝てなかったけど負けなかった森下九段に対して、プロの強さを評価する多くのコメントが「ニコニコ生放送」の画面に流れました。しかし、私はプロ棋士として少し違和感を覚えました。プロ側は有利な条件でも勝てなかったのです。ある意味で、現在のプロ棋士と将棋ソフトの力関係を如実に物語っているともいえます。森下九段は継ぎ盤の形式について、指し掛け直後に「待ったが認められるようなものです」と反省気味に語りました。プロとしてそれは本心だと思います。

今年の干支は「ヒツジ」です。年男・年女の現役棋士を紹介します。

土佐浩司八段、東和男七段(今年の誕生日に60歳)、阿部隆八段、豊川孝弘七段、佐藤秀司七段、中田功七段、岡崎洋六段、木下浩一六段、山田久美女流四段(同じく48歳)、飯島栄治七段、千葉幸生六段、西尾明六段、遠山雄亮五段、藤倉勇樹五段、渡辺弥生女流初段(同じく36歳)、澤田真吾六段、山口恵梨子女流初段、伊奈川愛菓女流初段(同じく24歳)。

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2014年10月28日 (火)

将棋界の引退問題に寄せられたコメントについて

私が10月21日のブログで、将棋界の引退問題、棋士の「参稼報償金」という基本手当、囲碁界との比較などを書いたところ、当日のコメント数は通常の5倍に増えました。ある将棋サイトにも引用されました。現在まで、この問題について寄せられたコメントはおよそ30通を数えています。

それらのコメントの内容は、シニア棋戦の提案、フリークラス制度の廃止、女流棋士への批判、年齢による強制引退、棋士の待遇、引退後の生活、ある棋士の過激な発言など、いろいろな問題に広がっています。

私はこのブログで、主に盤外の裏話を書いています。ある人の話によると、ほかの将棋関連のブログにはない特徴だそうです。コメントの内容も、裏話に興味がある人たちの考えや提言が反映されていて、とても参考になることがあります。コンピューター将棋、記録係の不足などのテーマでは、コメント数がかなり多かったです。今回の将棋界の引退問題は地味なテーマですが、関心がこれほど高いことに驚きました。

私は、将棋関連の問題をこのブログで論じ合うことを歓迎します。原文を尊重して、文章や表現を変えることは原則としてしません。とはいっても、中には疑問を抱くコメントもあります。その一例が「八百長や買収疑惑などもあり…」(10月26日)という文章です。確たる根拠を示さずに、将棋連盟や棋士への信頼を揺るがすようなことを書くのはやめてください。

公序良俗に反する、特定の個人や団体を中傷する、悪質サイトに誘導するおそれがある、私がブログ管理者として不適切と判断した、などの内容のコメントについては、削除することがあるのをご承知おきください。

私は寄せられた数多くのコメントの内容をまとめながら、自分の考えを改めて述べるつもりです。それまでの時間を少しください。そして、現在のコメントのやりとりは場外乱闘のような状況になっているので、ひとまず冷静になって見守ってほしいことをお願いします。

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2014年10月 5日 (日)

田丸の引退への思いと、棋士たちが引退した理由と年齢

私は10月1日の対局(王座戦・堀口一史座七段)に敗れたとき、現役棋士の期間があと1年半あまりになったと思いました。2016年3月までに参加できる計13棋戦で、私がすべて負けても計15対局(竜王戦は2局分)は指せます。その限られた数の対局で、勝負にこだわる、自然体で指す、最先端の将棋を指す、田丸将棋の最後の仕上げとするなど、どんな思いで臨もうかと考えています。まあ現実的には、日々の生活を淡々と送っているうちに、2年後の春に最後の対局(たぶん竜王戦)を迎えることでしょう。

定年まで正社員として働き詰めだった人が退職後、自分の身の置き場がなくて精神的に不安定になる、という話をよく聞きます。棋士も引退するまで順位戦に在籍した場合、その後の生活で大きなギャップを感じるかもしれません。5年前にフリークラスに転出した私は、年間の公式戦が10局あまりです。正社員から嘱託の身分に変わり、定年が65歳に延びたようなものです。だから引退しても、精神面や生活面であまり変わらないような気がします。

一般的に勤め人の定年は、誕生日が区切りだそうです。棋士は年度(新年度は4月から)が区切りです。したがって誕生日が3月以前か4月以降で違ってきます。私と同年のA九段は3月生まれで、規定によって65歳になる来年の3月で引退です。5月生まれの私は、2年後の3月で引退です。棋士の引退で、誕生日が少し影響しています。

棋士が引退した理由には、①自分の意思で引退②降級や年齢規定で引退③病気や身体面で引退④死亡で引退、などがあります。

①の自分の意思で引退は、次のような例があります。木村義雄十四世名人は名人位を奪われたとき、「良き後継者を得た」と語って47歳で引退しました。米長邦雄永世棋聖はA級を降級後にフリークラスに転出し、将棋連盟の理事として邁進するために60歳で引退しました。二上達也九段は連盟の会長職に専念するために58歳で引退しました。加藤治郎名誉九段は執筆の仕事のために38歳、高柳敏夫名誉九段は道場の経営のために43歳で、それぞれ引退しました。講演や執筆など多方面に活躍していた原田泰夫九段は59歳で引退しました。そのほかに西村一義九段、勝浦修九段、石田和雄九段が65歳で引退しました。大友昇九段は私生活の悩みを理由に41歳で引退しました。

これらの棋士たちの引退には、大棋士としての誇り、盤外の仕事に専念、現役棋士としての達成感、などの思いが背景にありました。

②の降級や年齢規定で引退は、次のような例があります。丸田祐三九段は順位戦でC級2組から降級したとき、年齢制限規定によって77歳で引退しました。同じ状況で有吉道夫九段は75歳、小堀清一九段は75歳、関根茂九段は73歳、宮坂幸雄九段は70歳、大内延介九段は69歳で、それぞれ引退しました。「畳の上で死ぬ」のが最上というように、棋士もできれば「順位戦に在籍して引退」したいものです。その意味で74歳の内藤国雄九段、74歳の加藤一二三九段がいまだに順位戦に在籍しているのは称賛に値します。

しかし現実は、C級2組を降級後にフリークラスに在籍し、年数や年齢で50代あたりで引退する棋士が多いです。私の弟子の櫛田陽一六段も47歳で引退しました。競争の激化によって、若手棋士でもC級2組から降級するおそれがあります。

③の病気や身体面の引退は、次のような例があります。中原誠十六世名人は病気によって61歳で引退しました。升田幸三実力制第四代名人は61歳で引退を表明しましたが、実際は「足が悪くて座って対局できない」という身体的な理由でした。

④の死亡で引退は、次のような例があります。山田道美九段は現役のA級棋士のまま、病気によって36歳で死亡しました。同じ状況で大山康晴十五世名人は69歳、村山聖九段は29歳で、それぞれ病気によって死亡しました。

私は当事者として、引退への思いは複雑なものがあります。しかし勝負の結果を重視しているからこそ、将棋界は活性化しているのです。

ちなみに囲碁界には引退規定はなく、中には90代の現役棋士もいます。定年制度のない会社みたいなもので、良くいえば終生現役の保障、悪くいえば新陳代謝の欠如です。棋士の人数が多いと、運営面で経費がかさみます。関西棋院では、予選下位の対局料を減額して、その分を予選上位の対局料の増額に充てているそうです。

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2012年5月14日 (月)

元奨励会員の記事、平手の指導対局、田丸―櫛田の師弟戦のコメントについて

私が『週刊将棋』で連載している「丸の眼」の記事では、今は作家、テレビ局員、カメラマン、ラーメン店主、マッサージ師、競馬ライターに転身して活躍している元奨励会員の人たちを紹介してきました。その人たちを取材して気がついた共通点は、奨励会で棋士をめざして修業した経験が社会に出てとても役立ったということでした。

「元奨励会員が第二の人生で輝ける話に、何かほっこりします」というコメント(4月9日)は《むら》さん。「私も若いころ、小説で生活する夢を追っかけていた時期がありました。棋士になる夢に挫折しながらも、輝いた人生を送っている元奨励会員のお話は励まされますね」という内容のコメント(同日)は《元作家志望》さん。

中でも家田健司さん(30歳・奨励会元3級)が2年前に東京・浅草橋で開いた、つけ麺ラーメン店『素家』(そや)に実際に食べに行き、その美味しさを絶賛するコメントが寄せられました。

「人柄の良さを反映した丁寧に作られたつけ麺は、リンゴ酢を絡めるとまた違った味わいで良かったです」というコメント(4月10日)は《関東のホークスファン》さん。「東京に行ったときは、何回か食べに行っています。旨いんですよ」というコメント(4月12日)は《深田有一》さん。「関西在住の私は、5月26日(土)に『将棋ペンクラブ交流会』が東京の将棋会館で行われるので、それに参加して翌日に行こうと思います」というコメント(4月9日)は《S.H》さん。なお『素家』の営業時間に注意してください。土曜日は午後3時までで、日曜日は定休日です。

「指導対局で平手を希望する人が増えているそうですが、これは驚きです。私は田丸八段に2枚落ち~飛香落ち~飛落ちで数十局ほど教えていただきました。私が棋士の方に胸を借りたのは、強くなりたいとの気持ちもありましたが、それ以上にプロの真髄や感覚に触れてみたいと思ったからです。上手の玉を追い詰めたとき、プロが発揮する受けの技とかわしのテクニックは絶妙でした。勝ち負けよりも、その感動こそが無上の幸福でした。平手ではその感動を味わえません」という内容のコメント(5月8日)は《ギタリスト》さん。

《ギタリスト》さんはプロのギター奏者・指導者で、いかにも芸術家らしい内容のコメントです。アマがプロに指導対局を受けるのは、強くなりたい、プロの奥儀に触れたい、普段の実戦に生かしたいなど、様々な目的があります。いずれにしてもアマは駒落ちで指導を受けるのが原則ですが、棋力向上につながることなら、私は平手の手合いも応じることにしています。ただ先日の「職団戦」での無料の指導対局では、平手は遠慮してほしい、というのが私の実感です。アマがプロに平手の指導対局を受けるのは棋力向上が目的で、そのために指導料(金額は問いません)を払うのが本来の形だと思います。

「田丸八段とお弟子さんの櫛田陽一六段との対局が決まりましたね。櫛田六段の『介錯』をすることになり、非常に複雑な心境だと思われます。正直な気持ちをお聞かせいただければ幸いです」というコメント(5月12日)は『popoo』さん。

竜王戦6組・昇級者決定戦の2回戦で、私と櫛田六段の対局が決まりました。師匠と弟子が公式戦で戦うというのは、個人競技の将棋界では決して珍しいことではありません。実際に私と櫛田の対戦は、過去に2局ありました。1993年のNHK杯戦、2009年の銀河戦で、いずれも櫛田が勝ちました。

将棋界では、弟子が師匠に勝つことを「恩を返す」といいます。師匠の指導と薫陶のおかげで、弟子はこれほど強くなりました、と感謝を表する意味です。しかし師匠が現役棋士であれば、負ければやはり悔しい思いをします。正直なところ、師弟戦の対局はしたくありません。しかも6月上旬に行われる3局目の師弟戦は、櫛田にとって(私にとっても)重要な対局になります。櫛田が負けると、現役引退に追い込まれるからです。

田丸―櫛田戦の師弟戦、引退規定については、次回のテーマとします。

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2012年1月24日 (火)

『実録 名人戦秘話』への友人たちからのコメント

私の新刊書『実録 名人戦秘話』について、友人たちからのコメントを紹介します。

「第4章がいちばん楽しみですね。大山先生(康晴十五世名人)との桂損した棋王戦挑戦者決定戦、生涯一度の羽生(善治二冠)戦での勝利、ともにA級昇級をかけて戦った横歩取り△3三桂の島(朗九段)戦、長手数の詰みに打ち取られたA級順位戦での米長(邦雄永世棋聖)戦などですか。爆弾を抱いて敵陣に飛び込むような田丸将棋には、戦後日本の香りがあったのでは?」という内容のコメント(12月20日)は《K島》さん。

第4章の「思い出の対局」では、40年間の棋士人生でとくに思い出が深かった対局のエピソードを紹介しました。前記の大山戦、羽生戦、島戦、米長戦などです。しかし何といっても今日の自分があるのは、四段昇段をかけて争った2度目の「東西決戦」での勝利でした。もし負けていたら、「元奨励会員」という肩書がついたかもしれません。多くの奨励会仲間が志半ばで去っていったことを思い起こすと、私が棋士としてずっと生きてこれたことに喜びを感じています。ところで近年の田丸将棋は、敵陣に飛び込む前に自爆したり、不発弾のままで負けることが多々あります。《K島》さんは、私のテニス友達で、独特のテクニックを生かして草テニスの大会で活躍しています。

「田丸八段の著作やブログを読むたびに、文章力と表現力は一流であると敬服しております」というコメント(12月20日)は《ギタリスト》さん。

私の文章へのお褒めの言葉、ありがとうございました。文章を書くときは、平易な言葉でわかりやすく伝える、ということをいつも心がけています。《ギタリスト》さんは、私が以前に指導していた横浜の将棋同好会のメンバーで、ハンドルネームそのままにクラシックギターの奏者・指導者です。私とは飛車落ちの手合いで何局も指しました。理想の勝ち方をめざす求道的な将棋です。

「第4章の10篇はどれも大変興味深く、人生の浮き沈み、そのときの素直な気持ちが淡々と綴られていて、とても清々しい気持ちになりました。克明な記録を元に棋士でなければ知り得ないことなど満載で、まさに田丸八段の棋士人生の集大成本といえます」というコメント(1月3日)は《秋葉均》さん。

《秋葉均》さんは、私の中学時代の同級生です。当時はほとんど付き合いがなかったのですが、20代半ばのころに将棋を愛好しているという縁で再会しました。その後、彼が勤めていた出版社の将棋同好会で私が指導することがありました。

40年間の棋士人生を振り返ってみると、これらのように将棋が取り持つ縁でいろいろな出会いがあったものでした。

今年の年賀状では、私の新刊書について次のような感想がありました。

「田丸史と名人戦史がオーバーラップして描かれているんですね」「田丸八段の新刊書と漫画『ハチワンダイバー』を並行して読んでいます。漫画の元ネタエピソードが『実録 名人戦秘話』に載っていて面白いです」「星田先生(啓三八段)のことを書いていただき、ありがとうございました。毎年、お墓参りしてますので報告してきます」「昨年夏の札幌での将棋まつりではお世話になりました。『実録 名人戦秘話』での札幌のエピソードも興味深く読みました」

次回は、元奨励会員のカメラマンの写真集。

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2011年11月29日 (火)

今年の「将棋の日」の式典で田丸・櫛田の師弟がともに勤続表彰

今年の「将棋の日」式典で田丸・櫛田の師弟がともに勤続表彰

今年の「将棋の日」式典で田丸・櫛田の師弟がともに勤続表彰

11月17日の「将棋の日」の式典では、将棋界の発展に寄与した方たちへの感謝状や免状の贈呈、将棋栄誉賞(600勝)、勤続表彰(25年・40年)、盤寿(81歳)、昇段者の棋士たちへの表彰などが行われます。

私は今年の将棋の日に「勤続40年」で表彰され、銀杯と金一封を贈られました。

写真(下)は、将棋連盟会長・米長邦雄永世棋聖(左)が表彰状を読み上げている光景。私はこうした晴れがましい儀式はあまり経験しなかったので、ちょっとジーンときました。表彰状を受け取ったとき、厳かな佇まいの米長会長の表情が少し緩んだのは、同じ佐瀬(勇次名誉九段)一門の兄弟子として弟弟子に見せた祝福の気持ちだったのでしょう。

それにしても1972年(昭和47年)に四段に昇段して以来、現役棋士をよくも40年間も続けてこれたと、私は思っています。厳しい勝負の世界ですから、成績が低迷してもっと前に引退に追い込まれた棋士もいました。また、若くして病気で亡くなった棋士もいました。そうした棋士たちのことを思うと、40年間の棋士生活をつつがなく送ってこれたことに、とても満足しています。

じつは当日、私の弟子の櫛田(陽一六段)も「勤続25年」で表彰されたのです。

写真(上)は、勤続表彰の棋士たち。左から、石川陽生七段(25年)、田丸八段、米長会長、中田功七段(同)、櫛田六段。 ※ほかに佐藤康光九段、有森浩三七段、長沼洋七段、神崎健二七段、石高澄恵女流二段が勤続25年で表彰。

私は櫛田の表彰を事前に知っていました。しかし櫛田は将棋会館で背広姿の私と顔を合わせたとき、「あれっ、田丸先生。今日はどうしたのですか」と言ったのです。師匠の慶事を知らないとは、まったく暢気な弟子です。

今から28年前の1983年(昭和58年)。私はふとした縁で当時18歳の櫛田と交流がありました。櫛田はアマ棋界の風雲児のような存在で、ある将棋雑誌の企画で全国各地の強豪アマと連戦して名を馳せていました。伝説的な真剣師として知られた故・小池重明(元アマ名人)さんを敬愛し、プロ棋士に対して強い対抗心を燃やしていました。

私は櫛田の考えと生き方を理解していましたが、進学や就職をしないで将棋三昧の生活を送っていたので将来が気になりました。あの小池さんが経済苦の末に寸借詐欺を起こした事態も発覚し、二の舞を心配したのです。そこで私は、櫛田に奨励会受験を強く勧めました。櫛田は当初は頑なに拒みましたが、やがて私の説得に応じました。83年の奨励会入会試験で1級で合格し、87年に四段に昇段しました。

櫛田のその後の棋士人生は様々なことがありました。光と影が交錯して一言では語り尽くせません。本人も師匠も複雑な思いがあります。それでも今年の将棋の日の式典で、師匠は勤続40年、弟子は勤続25年と、師弟がともに表彰を受けたことは感慨深いものがありました。

次回は、100回記念の「職団戦」。

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2011年9月10日 (土)

フリークラス棋士の対局以外の活動は詰将棋、普及活動、執筆など

「フリークラス棋士や年間10局程度の対局しかされない棋士は、普段はどのように過ごされているのでしょうか」というコメント(7月17日)は《AKI》さん。

棋士の活躍度を示す記録のひとつが年間対局数です。タイトル戦の挑戦者になったり各棋戦で勝ちまくれば、必然的に対局が多くなります。2010年度の最多対局は渡辺明竜王の58局でした。この数字は例年の最多対局に比べると少ないほうです。歴代の最多対局では羽生善治二冠の89局(2000年度)が1位です。次いで米長邦雄永世棋聖の88局(1980年度)、谷川浩司九段の86局(1985年度)、佐藤康光九段の86局(2006年度)と続きます。これらの対局には2日制のタイトル戦も含まれているので、実働日数はもっと多くなります。強い棋士になるには、体力がないと勤まりません。

年間対局数が10局程度というと、フリークラス棋士(今年度は32人)の大半が該当するでしょう。順位戦(B級2組以下)に参加する棋士は必ず10局は指すので、他棋戦を含めれば少なくとも20局以上になります。私はフリークラス転出1年目の2009年度が16局、10年度が14局でした。

「年間対局が10局程度の棋士は、普段はどのように過ごしているのか」という質問には、返答しにくいのが率直な気持ちです。その対局数では十分な対局料収入を得られないからです。したがって、何らかの仕事をして補填する必要があります。時間はたっぷりあるので、どこかの会社に勤めたりコンビニでアルバイトすることもできます。ただ私の知るかぎり、そういう棋士はいないと思います。

《AKI》さんは、詰将棋を作成した伊藤果七段、中国将棋の大会に出場した所司和晴七段の例を挙げました。

伊藤は今春に引退したとき、「これで詰将棋の創作に存分に打ち込める」と語りました。伊藤にとって、もともと詰将棋は人生そのものであり、収入源でもありました。今春に引退した勝浦修九段、森信雄七段も詰将棋を作り、新聞・雑誌で出題したり詰将棋の本を出しています。

所司の中国将棋大会への出場は、あくまでも趣味としての行動です。普段は各地で精力的に普及活動をしています。石田和雄九段、宮田利男七段は将棋クラブを経営しています。大野八一雄七段、武市三郎六段、熊坂学五段は、将棋教室で初級者や子どもたちを指導しています。東和男七段、伊藤能五段は観戦記の執筆をしています。今春に引退した神吉宏充七段は、明るいキャラと才覚を生かして関西でタレント活動もしていました。

これらの例のように、フリークラス棋士の多くは詰将棋作成、普及活動、将棋クラブ経営、観戦記執筆など、何らかの形で将棋に関わる仕事をしています。前記以外の棋士たちも、たぶんそうしていると思います。

私は以前から「将棋世界」「週刊将棋」などで、定跡講座、棋界の歴史、棋界時評、著名人を紹介するエッセーと、様々なテーマで書いてきました。週刊誌、文芸誌などの一般誌で、将棋関連の連載記事を書いたこともあります。単行本も数多く出しました。つまり私の場合、対局以外の主な仕事は執筆活動となっています。

正直に言うと、そうした副業で稼いだとしても(実入りが少なかったり、持ち出しのケースもあります)、対局で活躍して得る収入のほうがはるかに多いです。また棋士として、対局で勝つ喜びは何事にも替えがたいものがあります。しかし棋士全員がタイトル保持者やA級棋士になれるわけではありません。成績が悪くなれば、いつかフリークラスに所属したり引退に追い込まれます。そんな状況に備えて、自身の資質に合った対局以外の仕事にも、目を向けるべきだと思います。実際に、そういう棋士も必要なのです。

次回は、「週刊!将棋ステーション」への出演。

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2011年8月20日 (土)

引退した勝浦、伊藤、児玉、神吉など6人の棋士の思い出

「今期は勝浦修九段(65歳)、伊藤果七段(60歳)、児玉孝一七段(60歳)、松浦隆一七段(59歳)、飯野健二七段(57歳)、神吉宏充七段(52歳)といった個性派棋士の引退が目立つように思います。その棋士たちとの思い出を話していただきたいです」というコメント(7月19日)は《いまむら》さん。

実力主義のプロ棋士の世界においては、強くて成績が良ければ生涯現役を貫くことも可能です。大山康晴十五世名人は現役A級棋士のまま69歳で亡くなりましたが、存命だったら80歳まで現役を続けたかもしれません。現代では、最年長の内藤国雄九段(71歳)、加藤一二三九段(71歳)がいまだに現役棋士として頑張っています。その一方で、実力が落ちて成績不良となり、結果的に40代・50代で引退を余儀なくされるケースも生じます。前記の引退した6人の棋士は私と同世代で、思い出はいろいろとあります。

勝浦の棋風は鋭い切れ味があり、「カミソリ」の異名が付きました。約30年前に大山―米長邦雄(永世棋聖)戦の終盤を棋士たちが控室で検討したとき、米長が勝ちそうな局面で決め手がなかなか見つかりませんでした。すると囲碁を打ちながら横目でたまに見ていた勝浦が「そこはこう指すものでは…」と言いました。ぼんやりとしたやや意味不明な一手でした。しかし調べてみると、十数手後の受けの好手を含む味わい深い一手で、米長の勝ち筋が明らかになりました。やがて米長が指したその一手がモニターテレビに映し出され、「さすがにA級棋士(勝浦)は違う」と一同は感心したものでした。

私は1990年代前半、将棋連盟の同じ理事として勝浦とは将棋会館でよく会い、夜は近くの居酒屋で飲みました。勝浦は楽しい酒でしたが、酔うほどに感情が高ぶると、時には強い口調で説教することがありました。昔から「いばり酒」として有名でした。しかし翌日に「昨夜は言い過ぎたね」と笑顔で言われると、また今夜も飲みたいと思ったものです。

私は、伊藤が京都に住んでいた10代のころから親しくしていて、関西に行ったときは自宅に泊めてもらいました。お互いにクラシック音楽の趣味があり、名曲喫茶で3時間も話し込んだり、クラシック好きの女子大生との飲み会に誘ったりしました。青春の一時期を一緒に過ごした親友でした。伊藤の得意戦法の「風車」には悩まされました。防戦に徹する独自の指し方は、私のような攻め将棋は格好の獲物だったのです。

伊藤は私と同じように早めにフリークラスに転出すれば、現役期間を65歳まで延長できました。しかし約10年前から勝てなくなって勝負が辛くなり、60歳での引退を視野に入れていたそうです。ただひとつの心残りは、愛弟子の及川拓馬四段との師弟戦の対局が実現しなかったことでした。今後は詰将棋作家としての活動に専念するでしょう。

児玉は20歳で奨励会に入り、28歳で四段に昇段した遅咲きの棋士でした。そんな経歴もあってか、独自に編み出した戦法が「カニカニ銀」でした。居玉のまま《▲5八飛・9七角・4六銀・6六銀・7七桂》の陣形に組み、中央突破を図るじつにユニークな指し方でした。正直なところ、プロ棋士相手に通用するとはとても思えませんが、けっこう好成績を残したものです。その独創性が評価され、8年前に「升田幸三賞」を受賞しました。データ将棋が全盛の現代で、児玉のような異能派の棋士は貴重な存在だったと思います。

松浦は「トン死の松ちゃん」という異名があり、私も公式戦でトン死を食って負けたことがあります。

飯野の思い出は、7月15日のブログで詳しく語りました。

神吉は、将棋も普及活動も日常生活もサービス精神の塊みたいな棋士でした。今後は特異な才能を生かし、華々しく「太く」長く活動していくでしょう。神吉は師匠(内藤)より早く引退したことが、「親に先立つ不孝」のようで心苦しいと語りました。その気持ちはよくわかります。私の弟子の櫛田陽一六段(46歳)も、来年には神吉と同じ立場になるからです。

次回は、棋士派遣で行った青森。

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2011年5月20日 (金)

田丸の現役棋士40年目への祝福コメント、ありがとうございました

5月5日のブログ「現役棋士40年目を迎えた田丸の過去の実績と今の心境」について、多くの方から祝福と励ましのコメントをいただき、本当にありがとうございました。

「たった一つの生業を40年間かけてまっとうするのは至難の技です」というコメント(5月6日)は《柳》さん。確かに、厳しい勝負の世界で40年もよく持ったものだと、私は実感しています。ただ実社会においても、同様に大変だと思います。40年の歳月を勤め人の方に当てはめると、会社に入って定年まで勤め上げ、その後は嘱託で残る、というのが一般的でしょうか。しかし出向、退職、転職、解雇、倒産などによって、同じ会社で仕事をずっと続けることは、なかなか難しいのが現実のようです。

「自ら余生とおっしゃられる残りの棋士人生も、いぶし銀の輝きを放たれることでしょう」というコメント(5月5日)は《中華そば つむじ風》さん。くすんで渋みを帯びた銀色という意味の「いぶし銀」は、ベテランの味わい深い芸や技にも表現します。そんな将棋を指したいですが、近年は相手に「燻されて」つい暴発してしまう将棋が多いです。

「田丸八段は名前を隠して棋譜を並べても、恐らく多くの人が当てることができる稀有な棋士と思います」というコメント(同日)は《関東のホークスファン》さん。私が現代の主流戦法を指さないのは、複雑で難解なうえに「日進月歩」なので、とてもついていけないからです。まあ「古いポンコツ車」に乗っている棋士が1人ぐらいいてもいいでしょう。

「田丸八段は謙遜していますが、『A級八段』は大変なことですよ。将棋連盟のホームページによると、1991年(平成3年)4月16日に『七段昇段後に190勝』の規定で八段に昇段し、同じ年度にA級に昇格して八段昇段のもうひとつの条件を満たしたわけですね」という内容のコメント(5月6日)は《オヤジ》さん。私は90年12月に八段昇段まであと1勝となりましたが、91年1月~3月に5連敗して昇段は91年度に延びました。ただ結果的には92年4月の免状授与式で、A級棋士として八段免状を受け取ることができたのです。実際は通算勝利による昇段とはいえ、晴れがましい気持ちでした。

「私は長野県民なので、長野県出身の田丸八段が以前に順位戦の上位クラスで活躍していたことを、とてもうれしく思っていました」という内容のコメント(同日)は《bon》さん。私は母の実家の長野県で生まれ、1年後に父の実家の神奈川県に移り、9歳からは東京都にずっと住んでいます。だから正しくは「長野出生」ですが、長野県人の心を持っていると強く思っているので、公式には「長野出身」にしています。

「このブログによる優しいファンへの語りかけは、対局成績とはまた一味違う価値を生み出していると感じます」というコメント(5月7日)は《イトウ》さん。私がこのブログを始めてわかったのは、「▲7六歩△3四歩」以外の将棋の話を熱望している人が多いことでした。これからも様々なエピソードをお伝えしていきます。30歳という《イトウ》さんのような若い世代の方には、ぜひ知ってほしいと思っています。

「新宿の歌舞伎町の酒場で田丸八段と偶然に会い、いまだにお付き合いを続けています。田丸八段と会わなかったら、こんなに将棋ファンにはなっていなかったでしょう」という内容のコメント(同日)は《K島》さん。新宿で遭遇した懐かしい話のほかに、私と共通の趣味のテニス(昨年12月7日のブログを参照)、「戒名」などの内容でした。それらの話は長くなるので、次回のブログに持ち越します。

次回も、コメントへの返事。

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2011年5月 5日 (木)

現役棋士40年目を迎えた田丸の過去の実績と今の心境

私は1972年(昭和47年)2月に奨励会・三段リーグの「東西決戦」に勝って四段に昇段し、72年度から公式戦に出場しています。そして歳月を重ねて、今年度には現役棋士40年目を迎えました。

将棋連盟は毎年11月の表彰式で、25年目と40年目の現役棋士に対して「勤続表彰」をします。私は25年目には、記念の銀杯と金一封を贈呈されました。今年の40年目には感無量の思いがあるので、羽織袴の姿に威儀を正して臨むつもりです。

このように棋士にとって、40年という歳月はひとつの大きな節目になっているのです。その年数まで現役を続けられたことに、私はとても満足しています。というのは、すべての棋士が40年表彰を受けられるとは限らないからです。

私が四段に昇段した71年度と、その前後の10年間には、合わせて38人の棋士が生まれました(66年度~71年度は15人、72年度~76年度は23人)。後者の期間に四段昇段者が多いのは、74年度から奨励会が三段と二段以下が合体した制度に変わり、四段昇段者が不定数になったからです。

現時点でその38人の棋士の内訳は、現役・17人、引退・17人、死亡・4人。各棋士の現役年数(四段昇段の次年度から起算)は、40年以上が7人、35年~39年が15人、30年~34年が11人。30年以下が5人。

四段昇段順で私の先輩にあたる14人の棋士にのうち、すでに40年表彰を受けたのは6人(今も現役で順位戦参加者は森けい二九段、田中魁秀九段)。私の後輩にあたる23人の棋士のうち、数年以内に40年表彰が見込まれるのは谷川浩司九段、青野照市九段など11人。このように先輩でも後輩でも、40年表彰を受けられる確率は4割台なのです。

私の過去の公式戦での実績を振り返ってみると、きわめて地味なものでした。タイトル戦挑戦と棋戦優勝はなく、リーグ戦入りは王位戦(86年)の1回だけ。約20年前から毎年の負け越しで、約15年前には通算勝率が5割を切り、近年の年間勝利は10勝以下。後半は不本意な成績が続いています。

ところが「順位戦」だけは、なぜか成績が良かったり、勝負運が強かったのでした。月に1局ペースの順位戦の対局は心身両面で調整しやすく、対戦相手の順番や先後が事前に決まっているので、研究家(昔の私です)として作戦を立てやすかったものです。

棋士9年目の80年度にB級1組に昇級できました。その後、昇級争いよりも降級争いのほうが多かったですが、しぶとくB級1組に残留しました。87年度にB級2組に降級しましたが、88年度にB級1組にすぐ復帰しました。そして1992年(平成4年)には、順位8位で8勝4敗という成績ながら、幸運にもA級に昇級できたのです。

私が棋士として誇れる唯一の実績は、このA級昇級といえるでしょう。ただひそかに自負しているのは、「鬼の住み処」ともいわれたB級1組に通算16期も在籍できたことです(81年度~87年度、89年度~91年度、93年度~98年度)。

私の棋士人生を端的に数字で表すと、順位戦・B級1組に在籍が通算16期、フリークラス転出までの順位戦在籍期間が37年、今年は現役棋士40年目、などとなります。内容的には「質」よりも「量」といえます。しかし競争がさらに激化している現代棋界では、その量を積み重ねることもけっこう大変なのが現実です…。

私は本日、61歳の誕生日を迎えました。50代以降は公式戦の成績がまったく不振でしたが、20代~40代のころでなくてよかったと、プラス思考で対処しています。規定では私は65歳で定年ですが、実際は5年後に引退となります。それまでは現役棋士としての「余生」を自然体で過ごしたい、というのが今の率直な心境です。

次回(来週)は、4月に行われた「田丸将棋会」の模様。

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2011年1月 6日 (木)

田丸は今年の春に現役棋士生活40年目を迎えます

謹賀新年。本年も、このブログのご愛読をお願いします。

私は1972年(昭和47年)2月22日、奨励会・三段リーグの「東西決戦」に勝って四段に昇段しました。そして72年度の順位戦に初めて出場しました。それから年月を重ねて、今年の春に現役棋士生活40年目を迎えます。公式戦の勝敗や実績はともかくとして、ひとつの節目となる年数まで現役を続けられたことに、私自身はとても満足しています。というのは、各棋士が同じような道筋を歩むとは限らないからです。

72年前後の5年間に四段に昇段した棋士たちの中で、現在も順位戦に出場し続けているのは田中魁秀九段(今春に現役棋士生活42年目)、淡路仁茂九段(同38年目)、青野照市九段(同38年目)の3人だけです。フリークラス在籍の現役棋士は、田丸、佐藤義則八段(同41年目)など3人。引退者は坪内利幸七段(順位戦初出場は70年度)、小阪昇七段(同74年度)など4人。死亡者は真部一男九段(同73年度)。

これらの例のように、私と同世代の棋士たちの約7割は、成績不振によってフリークラス在籍や引退、あるいは病死という棋士人生をたどりました。こうした変転も勝負の世界の定めといえます。そして激しい勝負が繰り広げられている現在の棋界でも、棋士たちは勝ち組と負け組に分けられて、いずれ同じような状況になるでしょう。

将棋連盟は毎年11月、現役棋士生活が25年目と40年目の棋士に対して「勤続表彰」をします。今年の秋にその「40年勤続表彰」を受ける私は、気持ちを新たにして対局・執筆・指導などの活動に励みたいと、年頭に思っているところです。

今年の干支は「ウサギ」。ウサギのように軽快に跳ね、大いに飛躍したいものです。ウサギ年の年男・年女の棋士は、次のとおりです(年齢は今年の誕生日時点)。

72歳は、内藤国雄九段、若松正和七段。60歳は、児玉孝一八段、松浦隆一七段。48歳は、南芳一九段、島朗九段、有森浩三七段、神崎健二七段、石川陽生七段、安西勝一七段、平藤真吾六段。36歳は、久保利明二冠、堀口一史座七段、北浜健介七段、伊奈裕介六段。24歳は、広瀬章人王位、高崎一生五段、及川拓馬四段、船江恒平四段、中村真梨花女流二段、藤田綾女流初段、鈴木環那女流初段、中村桃子女流1級。

将棋を愛好する著名人の年男・年女も紹介します。60歳は、作家の夢枕獏さん、囲碁棋士の武宮正樹九段。36歳は、元プロテニスプレーヤーの杉山愛さん、タレントのつるの剛士さん。

連盟は今年の春、「公益社団法人」の認可を政府に申請した一環として、財政・組織・棋士の処遇などで大改革を行います。その経緯と概要については、近いうちにこのブログでお伝えします。

次回は、コメントへの返事。

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2010年10月 5日 (火)

本ブログ1周年への多くの祝福コメント、ありがとうございました

前回のブログで1周年を迎えたことを書いたところ、多くの祝福コメントをいただきました。本当にありがとうございました。今後も、愛読されるような興味深い話を書いていきたいと思っています。

「私は将棋を指さない将棋ファンです。将棋界には興味があるので、毎週2回をとても楽しみにしています。田丸八段はお酒が好きだと聞きました。ほどほどにして健康管理に気をつけてください」というコメント(10月1日)は『マチュピチュ』さん。将棋を指さない人にも将棋界と棋士に興味を持ってもらいたい、というのがこのブログの趣旨です。秋から冬はお酒とお魚が美味しい季節です。はい、飲みすぎないように自戒します。

「客観性を持って将棋界を見れる田丸八段のような方が、将棋界の発展において最も必要だと思います」というコメント(同)は『ケイ』さん。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人」という言葉があります。それぞれの立場は違っていても、人と人はどこかでつながり合っていることの例えですが、私は駕籠の便利さを触れ回る役柄でしょうか。

「私は観戦専門の将棋ファンで、現在活躍している棋士や歴史上の大棋士のエピソードにはとても興味があります。そういった雑学がスパイスのようになって、より深く観戦を楽しめます」というコメント(同)は『イトウ』さん。「将棋界の裏話など興味深いことばかりです」というコメント(同)は『けいま』さん。「コメントの質問にも答えてくださり、プロ棋士の方を身近に感じられます」というコメント(10月2日)は『手塚』さん。

プロ野球、サッカー、大相撲などのスポーツは、競技人口は決して多くありませんが、多くの人たちが観戦して楽しんでいます。さらに、その世界のドラマ、選手たちの人間性、意外なエピソードを知ると、もっと興味が増すはずです。将棋でも同様のことがいえます。私がこのブログで将棋界の裏話、雑学、エピソードを伝えることで、将棋を観戦するファンが増えることを期待しています。コメントの質問にもできるだけ答えます。

「私は日本文化の中で、将棋が一番素晴らしいと思っています。勝つことの華やかさ、負けることの残酷さ、そこから生まれる美意識のようなもの。すべてが相俟って何ともいえない魅力があります。これに近いのは柔道、剣道といった武道ですが、柔道は国際化の過程で妙なルール改正(改悪?)が繰り返され、その魅力が損なわれたように感じます。将棋界も海外普及を行っているようですが、柔道のようにならないか心配です」というコメント(同)は『ピンポン』さん。

将棋の海外普及は少しずつ進んでいますが、競技人口や実力面において囲碁界よりかなり遅れをとっています。世界各国で将棋が盛んになり、東京オリンピックの柔道のようにプロ棋士を負かす将棋版「ヘーシンク」が現れる時代になったら、世界基準による将棋のルールが導入されるかもしれません。まあ国際化でそうなったら、それはそれでいいと私は思いますが…。

「このまま書籍として発行してもおかしくない、密度の濃い内容のブログだと感じました」というコメント(10月4日)は『柴田』さん。来年には、何らかの形で本にまとめたいと思っています。

次回は、今回の予定テーマだった田丸の少年時代の話。

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2010年10月 1日 (金)

本ブログは1周年を迎えました。ご愛読ありがとうこざいます

このブログは昨年の10月1日に始まり、本日で1周年を迎えました。これまでのご愛読を感謝いたします。どうか、今後もよろしくお願いします。

私はアナログ型の人間です。原稿を書くときは、以前は鉛筆(2B)での手書きでした。10年前からは、今では骨董品のようなワープロを使っています。遅まきながらパソコンを始めたのは3年前でした。そんな私がブログをするとは夢にも思っていませんでしたが、友人に勧められて昨年の秋に開設しました。

ブログを始めるにあたり、ほかの人たちのブログを見ました。とりわけ文化系の人や若い女性のブログは、全体的に華やかな感じでした。日々の生活、仕事、趣味、交友、旅行、食事などの話が綴られ、豊富な写真がそれを彩っていました。自分のことをふと振り返ってみると、日常生活にあまり変化がなく、本業の将棋は「開店休業」のような状態です。ブログで日々の生活や将棋の勝負を題材にすると、語ることがあまりないのです。

会合や酒場で将棋を知らない人と話すと、「何手先まで読むんですか」「対局中はトイレに行けますか」「収入はどこから得ていますか」などと、いつも聞かれます。将棋を指さなくても、将棋界や棋士の実態には意外と興味があるようです。また将棋ファンの中には、棋力の向上よりも将棋界の裏話に関心が高い人もいます。

そこで私はこのブログで、現役棋士として将棋界の様々な問題や話題を現場レポートしてみようと思いました。これまでにタイトル戦の将棋、対局中の裏話、棋士のエピソード、将棋界の歴史、制度や規則の説明、将棋愛好家の著名人の紹介、田丸の将棋人生など、自分の知る範囲で盤外の話をいろいろと書きました。いわば「評論ブログ」で、ほかの将棋関係のブログにはない内容だったことから、おかげさまで好評のようです。

ブログをして最も楽しみなのは、読者からのコメントです。昨年12月に竜王戦で有望な若手棋士に勝ったときは、多くの祝福コメントが寄せられて、とてもうれしかったです。私が忘れていた昔の話を書かれ、驚いたこともありました。ネット上とはいえ、こうして将棋ファンと交流するのは意義があると思います。中には厳しい批判の声もありますが、現実を踏まえて受け止めています。

「このブログは客観的な部分が主で、アカデミックな感じがして好きです。読者の質問に答えるのも良い企画だと思います」というコメント(9月28日)は『ムーミンパパ』さん。ありがとうございます。今後も、田丸と読者の関係が「双方向」となるような内容にしたいです。みなさんのコメントをお待ちしています。

ブログ更新は週2回(月・木か火・金)で、多からず少なからずの頻度でしょう。1回あたりの文章が長めなので、多忙だと大変なこともあります。しかし、更新日と翌日のアクセス数が増えるのを管理画面で見ると、さぼらないで書き続けようと思います。5月の連休やお盆休みに更新を週1回にしたときは、友人から「旅行でも行っていたの?」と言われました。私の親族などは、還暦になった私の健康が心配なのか、ブログ更新で「生存確認」しているようです。

次回は、田丸の少年時代の話。

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2010年7月13日 (火)

相撲界の不祥事について将棋連盟会長の米長邦雄が厳しく批判

相撲界が野球賭博の事件によって大揺れしています。日本相撲協会は、賭博に関わった親方や力士を処分したり、外部理事を理事長代行に据えたりして、7月の名古屋場所の開催を何とか実現できました。しかし、反社会勢力の暴力団との関係を根絶し、制度や体質を改めて一から出直す抜本的改革が必要です。相撲界が再生するには、これからが正念場だと思います。

それにしても、近年の相撲界はあまりにも多くの不祥事が続発しています。週刊誌の八百長疑惑報道、親方から力士への傷害致死、休場中の横綱が海外で不適切な行動、数人もの力士が大麻の所持と使用で解雇、横綱が暴行問題で引退、特別席で暴力団員が相撲観戦、そして今回の暴力団がらみの野球賭博。

世の中には種々のスポーツ・文化団体がありますが、これほど不祥事が続発している団体は相撲協会だけです。しかし協会を運営する理事会(理事長・武蔵川親方)は、問題が起きるたびに上辺だけを取り繕ったり、抜本的改革を先送りしたりして、自浄作用がまったく機能していません。

6月23日の朝日新聞・オピニオン欄では、日本将棋連盟会長の米長邦雄(永世棋聖)が野球賭博問題について、『協会理事長は潔く「投了」を』と題する意見を寄稿しました。米長は「名古屋場所の開催という次元でなく、団体の存続にかかわる問題である。私が最も問題だと思ったのは組織の責任の取り方だ」と、協会を厳しく批判しました。

米長は元横綱・朝青龍の引退問題を例に挙げ、次のように論じました。「大相撲は神事で、横綱は神の代理人である。その横綱に問題があったにせよ、結果として追放するがごとく処遇したのは、昔なら切腹ものである。将棋界でいえば、名人や竜王を追放するに等しく、私が理事長なら責任を取っただろう。それが日下開山(ひのしたかいさん。相撲、武芸で比類のないほど強いこと)への最低限の礼であろう」

竜王や名人のタイトルを持つ棋士が、相撲界で起きたような不祥事に関わることは想像すらしたくありません。実際に、絶対にないはずです。しかし万が一にもそんな事態になったら、当の棋士は厳罰を受け、連盟会長は責任を取って辞任するでしょう。連盟の主要事業である公式戦の開催にも、深刻な影響が出ると思います。

こうして重大な事態を想定してみると、相撲協会の一連の対応は危機意識がなさすぎると言わざるをえません。米長も「理事長は潔く身を引くことを勧めたい。それが協会を救う唯一絶対のことではないだろうか」と、最後に結びました。

将棋と相撲は、ともに日本の伝統的文化で庶民の間に根付いています。将棋連盟は社団法人、相撲協会は財団法人と、ともに公益法人です。連盟は棋士、協会は親方が運営していて、純血主義の運営形態も似ています。それだけに私たち棋士は、現在の協会がおかれている状況を、「対岸の火事」と見てはいけないと思います。

次回は、将棋連盟と相撲協会の比較について。

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2010年5月 5日 (水)

今年の5月5日は田丸の60回目の誕生日

60年前の1950年5月5日。私は長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)で生まれました。旧・信越本線の小諸駅の西側の高原で、薬用人参や野菜を栽培している農村です。朝の5時に生まれたとき、朝日がちょうど昇り始め、鯉幟(こいのぼり)の季節だったことから、祖母が「昇」と名前を付けました。逆子の状態となって難産だったそうです。

本日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」として、62年前に祝日に制定された「こどもの日」です。

自分の誕生日も、腹を痛めて生んでくれた母親に感謝する日だといわれます。私は昨日の4日、母親(昭子)に会って元気な様子を見せました。母親は83歳と高齢ですが、かくしゃくとして介護の問題は無縁です。今でも家事を切り盛りし、1人で往復1時間も歩いて買物に出かけます。同居している58歳の妹(一美)は、「私よりも元気」と笑っています。ただ耳が遠いので、歩行中の交通事故が心配です。そこで安全のために補聴器を勧めると、「年寄みたいだから嫌だ」と拒否されてしまいました…。

私が訪ねると、母親は祖母仕込みの田舎料理を何品も作ってくれます。「最近は味覚がにぶくなった」と言いながら、根菜やヒジキの煮物がとくに絶品です。私の好物の炊き込みご飯も作ってくれ、今回は竹の子ご飯でした。息子が母親の手料理をガツガツ食べることも、ひとつの親孝行かと思っています。自分が何歳になっても母親といるときは少年時代に戻れる、と実感したひとときでもありました。

子どもにとって最大の親不幸は、親よりも先に死ぬ「逆縁」だといわれます。私は幸いにも大きな病気や負傷に見舞われず、還暦を迎えて以降も健康な生活を送れそうです。ただ毎年の健診では、長年の飲酒によって脂肪肝の疑いがあると診断されているので、酒量は少し控えています。まあ、お酒は常備薬なので毎日の「服用」は続けていますが…。

私が青年時代に抱いた60歳の人の印象は、まさに老人そのものでした。しかし自分がその年齢に達してみると、社会全体が高齢化していることもあって、何かピンときません。ただ人生の残り時間が決して多くないのは事実です。それだけに、時間は無制限にあると思った(いや、思うことすらなかった)青年時代とは違い、時間を大切に使って生きたいという思いは強くなっています。私と同世代または上の世代の人たちも、同じような心境ではないでしょうか。

私は21歳で四段に昇段して棋士となり、棋士39年目の今年度から立場的にも待遇的にも完全にフリークラス棋士となって数年後には引退します。こうして棋士人生を時系列に振り返ってみると、20代はじめで就職して60歳で退職後は嘱託となる、典型的なサラリーマン人生みたいです。

現役棋士としての残り時間も限定されている、これからの数年間。与えられた対局の機会を大事にして頑張りたいと思っています。

次回は、「と金人脈」で漫画家・さかもと未明さんを取材。

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2009年12月31日 (木)

来年はトラ年の年男で、3回目の「成人式」を迎えます

2009年を振り返ってみて、私は38年目の棋士人生でひとつの区切りをつけました。それが「フリークラス」への転出でした。

順位戦という「出世レース」(トップが名人)に参加しないフリークラス棋士は、状況によって立場がそれぞれ違います。私の場合、会社員に例えてみると「正社員」から「有期社員」に変わった形です。基本の収入は少し減りますが、一定期間の現役延長が可能なのです。また、竜王戦を初めとしたほかの棋戦には出場できます。

私は前期C級2組順位戦で10連敗し、2回目の降級点を取りました。59歳の私が今期順位戦に参加したら、たぶん成績不良で3回目の降級点を取ることになるでしょう。すると規定によって、60歳で引退となります。しかし、その前にフリークラスに転出すれば65歳まで現役を続けられます。つまり私は「待遇」よりも「雇用」を自ら選択したのです。一般社会でもよくある話です。

フリークラス棋士制度については、いずれブログのテーマにして詳しく説明します。

私はトラ年で年男。5月に60歳となります。正直なところ、自分が「還暦」を迎えることに実感がありません。将棋はかなりがたが来て、指した直後に悪手と気付くようなことがあります。しかし体調面では、連日のお酒をおいしく飲め、趣味のテニスを何時間しても疲れません。まあ、3回目の「成人式」を迎えるような心境です。

とは言え、60歳となれば人生の「残り時間」はそう多くありません。現役棋士としての残り時間もあと数年間です。それだけに、限られた時間を有意義に使いたいとの思いを強く抱いています。残り時間を意識したこともない30代40代のころは、逆に無駄な時間を費やしていました。

私と同じ1950年生まれの各界著名人は、次の方々がいます(敬称略)。東尾修、姜尚中、中沢新一、見城誠、伊集院静、佐々木譲、森田正光、生島ヒロシ、久石譲、森田芳光、坂東玉三郎、萩原健一、館ひろし、神田正輝、奥田瑛二、大和田獏、鹿賀丈史、滝田栄、来生たかお、梅沢富美男、三遊亭楽太郎、志村けん、綾小路きみまろ、島田洋七、吉永みち子、残間里江子、由美かおる、麻美れい、久野綾希子、市毛良枝、イルカ、和田アキ子、ジュディ・オング、八代亜紀、中村美津子など。

いずれの方々も精力的に活動して光り輝いています。私もあやかりたいものです。ちなみに、これらの中で将棋愛好家は、志村けん、森田正光、来生たかおです。

今年10月に始まったこのブログ。多くの方に見ていただき、とてもうれしく思っています。来年もよろしくお願いします。ではみなさん、良いお年をお迎えください。

次回は、1月5日の「指し初め式」について。

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