将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2016年6月22日 (水)

「貴族」の愛称がある佐藤天彦・新名人の盤上盤外

「貴族」の愛称がある佐藤天彦・新名人の盤上盤外

写真は、4月5日・6日に東京・目白「ホテル椿山荘」で行われた名人戦(羽生善治名人―佐藤天彦八段)第1局の前夜祭での光景です。

羽生名人(45歳)は「近年はタイトル戦で若い世代の人と対局することは珍しくありませんが、ついに名人戦でもそうなったかと感じています。棋士として30年間続けてきた中で、いま出せるものを出していきたいと思います」と挨拶しました。

「貴族」の愛称がある佐藤天彦・新名人の盤上盤外

挑戦者の佐藤八段(28歳)は「第一線でずっと活躍してきた羽生名人と戦う名人戦の7番勝負では、自分らしく一手一手を大切に指したいと思います」と挨拶しました。

第1局1日目の5日に『ニコニコ生放送』の番組で解説者を務めた私は、前夜祭の会場で話の種を仕入れました。佐藤八段の家族(母親・兄・姉)にも話を伺いました。とてもユニークな名前の「天彦(あまひこ)」は、天という言葉が好きな母親が付けたそうです。佐藤は4歳のときに母親に将棋を習いました。8歳のときに同じ福岡出身のよしみで中田功七段に将棋を教わり、それが縁となって後に師弟関係を結びました。少年時代の佐藤を「とてもいい子でした」と語った家族の人たちの明るい表情を見ると、佐藤が真っすぐに育って大成した環境がわかるような気がしました。

佐藤は2004年の三段リーグで、2回目の次点を獲得してフリークラス編入の権利を得ました。しかし両親や師匠と話し合った末に、その権利を放棄したのです(同じ例は皆無です)。前夜祭の会場にいた中田七段の話によると、佐藤は「どっちでもいい」と語ったそうです。その理由として、フリークラス編入からC級2組昇級までの期限が10年、奨励会で年齢制限を迎えるのも10年後というわけです。また、当時は将棋に対する意識の甘さを感じていたといいます。まだ16歳と若く、正規のルートで棋士になりたいという高い志があったにせよ、かなり重い決断だったと思います。

佐藤が四段に昇段して棋士になったのは、それから2年後の2006年でした。昇段の一局では、楽をしては勝てない、背筋が凍るような思いをしないと勝てない、という心境で臨んで勝利をつかみました。

佐藤はクラシック音楽、ヨーロッパの美術や服飾など、西洋文化に深い関心を持っています。そんな優雅な趣味から「貴族」という愛称を友人の棋士に付けられました。

クラシック音楽はベートーベンとモーツァルトの曲がとくに好きです。家でのんびり聴いていると、無上の喜びを感じるそうです。コンサートにもよく通っていて、いつも黒を基調とした服装で行くので音楽家に見られることがあります。終演後のアーティストのサイン会で並んだとき、将棋の好きな人に声をかけられてサインをしたこともありました。

ファッションに興味を持ったのは高校生の頃で、友人たちと比べて自分のあか抜けない服装を何とかしたいと思ったのがきっかけでした。好きなブランドは、ベルギーの女性デザイナーの名前を当てた『アン ドゥムルメステール』。黒と白を基調とした個性的な服装です。気に入って月に何十万円も買ったことがあったそうです。

佐藤八段は名人戦の最中でも、対局の合間にそのブランドの予約会に2回も出かけました。また、モーツァルトのバイオリン・ソナタ、弦楽四重奏などの室内楽を繰り返し聴きました。いずれも良い気分転換となり、対局に向けて英気を養いました。

そして佐藤八段は名人戦で羽生名人を4勝1敗で破り、佐藤新名人が誕生しました。タイトル戦の対局で羽生に4連勝したのは、谷川浩司九段、森内俊之九段、渡辺明竜王に次いで、佐藤が4人目です。羽生との対戦成績は7勝6敗の勝ち越しとなりました。

佐藤名人はある週刊誌のインタビューで、「歴代の名人の方々は、すごい個性を持っていました。そうした先輩たちの良いところを取り入れ、最終的には自分なりの名人になっていければと考えています。結婚に関しては、今のところ考えられません。一人暮らしが長くてライフスタイルが確立しているので、生活のリズムが変わってしまうと…」と、今後の盤上盤外について語りました。「名人」と「貴族」を両立するのは、なかなか大変なようです。

「貴族」の愛称がある佐藤天彦・新名人の盤上盤外

私は2008年6月に棋聖戦で佐藤天彦四段と対局しました。矢倉模様から角筋を敵陣に利かす得意の急戦策を用いました。実戦は写真(先手が田丸)の▲4五同桂以下、△4四銀▲4六歩△8六歩▲同歩△3三桂と進みました。以後は佐藤の反撃に応手を誤り、不利となって私が敗れました。佐藤(当時20歳)は闘志を胸に秘めた冷静な若者という印象でした。

 

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コメント

こんにちわ。佐藤天彦先生とは昨年秋の『NHK将棋の日・イン倉敷』の前夜祭レセプションで一緒に写ったことがあります。『三段リーグ』の話題から存じていた棋士なので、一緒に写れて嬉しかったですね。・・・しかし田丸先生『タイトル戦で羽生に4連勝した棋士』では、『最初の棋士』谷川浩司会長を忘れていますよ。あの『七冠達成』(平成8年)の相手棋士で、多くのフラッシュを背中から浴びた『屈辱』からわずか数ヶ月、第9期竜王戦では初戦を落としながらも次局で『伝説の△7七桂』で勝利。そのまま4連勝で押し切って4-1で竜王奪還、そして翌年には『十七世名人』にもなられました。この棋士を見落としてはいけません・・・・閑話休題。失礼。佐藤先生の趣味を見ていると、クラシックは中原誠十六世名人が有名ですし、ファッションは島朗先生が初代竜王になられたとき、話題になりました。竜王戦創設時に生まれた棋士が新名人になり、趣味が話題になる・・・時代の流れでしょうか?また、新名人は『東竜門』リーダーというもう一つの顔があります。皆さんご存知のように島先生は『島研リーダー』として、3人の精鋭を世に送り出し、将棋界に革命をもたらしました。『東竜門』もそのように時代の流れを変える、そうした存在になってほしいですね、あ、もちろん『西遊棋』もね。長々と失礼しました。今後の将棋界の動向に期待しています。田丸先生、皆さん、暑くなってきますので、体調には充分気をつけてください

投稿: S.H | 2016年6月23日 (木) 15時48分

世代交代でしょうか?まだまだだよ!と分かれるところでしょう。4回、5回と名人を防衛や獲得しないとトップ棋士とはいえないでしょうね。2度は獲得できる名人位という印象が以前ありました。今は竜王が席次トップですからこの獲得も3度以上は必要でしょうか。究極はタイトルを複数獲得することになるのでしょうか。それも同時に保持していることですね。佐藤さんにはその期待がかかる?羽生さん、森内さん渡辺さんらのファンにはとんでもないことですか?しばらく静観ですね。将棋界を面白くしてほしいですね、若手高段者らには。40歳代には今しばらく、あと10年は現状を守っていかれることを期待したいですね。

投稿: 千葉霞 | 2016年6月24日 (金) 16時11分

将棋連盟のホームページの今年度成績一覧で、羽生3冠が第3位の席次で掲載されていますが、さてどういう格付けでされているのでしょうか?
渡辺竜王(2冠)、佐藤名人(1冠)の順です。竜王はできた頃の話で席次1位で免状に加判と読売が捻じ込んだとか。名人は元々将棋では最高位ですから、読売に当時は譲られたのでしょう。3冠で第一人者は変わらないと、名人失冠後にどこかに書かれていましたがどうなのでしょうか?昔中原先生がいったとかいわなかったとかの「名人のない3冠はどうだろう」と米長先生のことをこれまた噂ですが、そんなものなのでしょうか?竜王か名人を含まないと4冠、5冠持っていても席次は3番目が上限でしょうか?なかなかに難しいとは思いますがお教え願えないでしょうか。

投稿: 田舎棋士 | 2016年6月28日 (火) 16時11分

新名人誕生、早速席次?とは楽しいですね。田舎棋士さんのコメントは興味深いです。前名人でもある羽生3冠ですから、名人失冠即3番目とは、やはり公式には7冠中竜王、名人がないと3番位が連盟の見解なのでしょうね。これはなんの根拠もない個人的な感想です。でもそうなのでしょう。1冠でも名人は上なのでしょう。それもありでしょう。新名人とて名人で無くなれば九段では名簿上では一番下になります。これは少し違いました。さりとて、竜王、名人以外は連盟では格下扱いの感があります。羽生3冠が叡王をとったら4冠、コンピューターを破ったら(引き分けたら)スーパー4冠(もしくは5冠)どういった席次になるのでしょう?スーパー叡王(コンピューターを破ったら)は竜王、名人より上になるのでしょうか。興味津々です。一度タイトルの格付けをされてみてはどうでしょう。どれも一番なのに歴史、金額、思惑などが絡み合うのでしょうが、スポンサーとしては注目されることではないのでしょうか。

投稿: 東京散歩人 | 2016年6月29日 (水) 12時50分

新名人は喜ばしいです。マンネリ化ではないですが、羽生さん以外いないのかという感すらあった将棋界でした。順位戦も初戦羽生さん敗けでした。変な予感すらします。まだ羽生世代かとも思っていたいですね。さて、面白いコメントがされていましたので久しぶりにお邪魔しました。タイトルの席次です。坂田王将(贈)とつくくらい高位の王将タイトル、でも格下扱いなのです。棋王、王位、叡王、棋聖、王座、王将、竜王、名人と8代タイトルがあります。(叡王は?)名人が最高位だったと過去形になるのにはがっかりでしたが、スポンサーの意向と金には黙らざるを得ない事情でしょう。否定はされるとは思います。これはいいでしょう。(ただ竜王は十段の発展型と思っている小生は残念には思っています:名人は12とか13段と言われていました)そこで本題です。名人が上位というのは誰もが納得ですが、他の7つはどうなのでしょうか?竜王は??ですが、スポンサーあってのタイトル、連盟の財政基盤ですね。前出のコメントにあるように実際の順位付けはどうなのでしょうか?各賞金など非公開が多いのは○○法人としてさらに曖昧ではいけないかも知れません。酷な内容で申し訳ありませんが、ファン感覚としてはなるべくオープンな団体であってほしいと思う次第です。

投稿: 将棋九段 | 2016年7月 1日 (金) 15時24分

佐藤八段が名人になったことは、近年にない慶事だと思います。羽生さんたちの時代が長くつづきすぎました。若い名人の登場で、時代がいっぺんに開けたような思いがします。ほかのタイトルを取った若手は渡辺さんなど幾人かおりましたが、名人が若い世代に移動したのは今回が初めてです。画期的なことだと思います。

席次でいろいろ思い悩む人たちもいるようですが、将棋連盟内部の問題であり、外部の私たちがどうこういうほどのことはありません。将棋の名人は大げさに言えば日本の文化のひとつであり、私たち日本人の共有財産のように思います。将棋連盟はその名人位を仮に預かっているだけで、名人位そのものは私たち日本人のものです。

それとくらべれば「王将」「王位」「竜王」などのタイトルは新聞社と連盟が内々で決めただけのもので歴史が浅く、いくつ登場してきても単なる「その他のタイトル」にまとめてしまえるものだと思います。連盟は「竜王」が名人の上位にあるとか、名人と同格だとか言っているようですが、それはそれでよい。あくまでも連盟の見解であって、私たち将棋ファンが従う必要はないからです。

オセロ連盟がオセロという遊戯について責任をもたないように、将棋連盟は将棋について責任を負う立場にはありません。それにかかわっているというだけのことで、将棋を統括しているわけでもない。そこを勘違いしている将棋ファンが多いように思います。また連盟所属棋士の地位は、医師や弁護士のような正式なものではなく、八段や七段といった段位も別に国家資格ではありません。だからその資格要件もしょっちゅう変わるわけで、A級にのぼったことのない(そしておそらく終生のぼることのない)人でも、八段の免許を堂々と受け取ることができたりするのです。それは将棋を指す大臣は六段、駒を動かせる女優は初段というのと本質的には同じことなのだと思います。

将棋のルールは将棋連盟が決めたものではなく、連盟ができるはるか昔から、とうに定まっていました。私たちはそれに従えばよく、そうでないもの、千日手に関する面倒な規則や持将棋引き分けに関する決まり(大駒五点、小駒一点など)、時間切れは即負け、反則は即負けなどの決まりに私たちがしばられる必要はない。それらは連盟内々の決まりであり、将棋のルールとまでは言えないものだからです。

したがって将棋ソフトが、その連盟ルールのすべてを取り入れていないとしても当然のことであって、塚田さんがそれを利用して負け将棋を引き分けに持ち込んだのは、やはり大人気なかったと言えると思います。

将棋連盟は将棋という遊戯をなりわいとした人たちによる互助的な組織であり、将棋ファンはあまりに責任を負わせすぎているように思います。タイトルの序列がどうとか、三冠や二冠の席次がどうとか、そういうものは連盟内々の話であって、世間一般とはかかわりのないものです。竜王は読売が大金を出したので最高格とするという連盟の理屈は、連盟のそのときの台所事情から出てきた便宜的なものにすぎず、そういう日和見に私たちがいちいち付き合ってやる義理はありません。

名人という連盟が創出したわけでもない伝統ある格式と、竜王などという昨日できたばかりのような歴史の浅いタイトルを並べて、どちらが上とか下とか言い出すこと自体、連盟の不明と傲慢さの表れであると思います。しかし私たち日本人がそのことに特段の腹を立てる必要はなく、連盟はそう「言っている」のかという風に受け取っておけばよいのだと思います。

長文で失礼いたしました。

投稿: 田舎初段 | 2016年7月 6日 (水) 15時44分

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