将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2015年9月15日 (火)

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

東京・荒川区立第一中学校で「全校ハローワーク」の催しが9月12日に行われました。様々な職業に就いている人たちが、その道に進んだ理由、仕事の内容、生きがいと苦労などを話すことで、中学校の生徒たちが自分の将来の生き方を考えるきっかけとする、というのが趣旨です。この講座は同校の恒例行事で、私は2年前から参加しています。

約30人の講師たちの職業は、新聞記者・テレビ局員・裁判官・銀行員・警察官・消防士・建築士・気象予報士・宇宙航空研究者・鉄道運転士・元プロ野球選手・テニスコーチ・デザイナー・ガードマン・音楽家・ダンスコーチ・声優・格闘家・美容師・保育士など、多岐にわたっています。これほどの規模の講座は、都内でもかなり珍しいそうです。

写真・上は、将棋棋士の私と先生、生徒たち。窓からはスカイツリーが見えます。講座は40分単位で3回に分けて行いました。生徒たちは約10人のグループごとに、3種類の講座を受講しました。

私は、小学6年に将棋を覚えて中学2年に棋士をめざしたきっかけ、将棋の専門学校である「奨励会」の仕組み、棋士になって良かったことと辛かったこと、将棋の歴史、研究の仕方、コンピューター将棋の進歩など、自分の棋士人生と将棋の世界について語りました。

この講座では将棋の指導をしませんが、盤と駒を持参してどんなゲームか実際に見てもらいました。そして『将棋は、負けた側が「ありません」「これまでです」と言って頭を下げる投了で勝負がつきます。自分で負けを認めるのは辛いですが、自己責任と潔さが大事です。一方の勝った側も、スポーツのようにガッツポーズをとるのではなく、「ありがとうございました」と言って頭を下げるのが礼儀です。勝負が終わると、目上の人が盤上の駒を駒箱(袋)に入れてしまいます。これは勝者と敗者の駒が一緒になり、ともに健闘を称え合うという意味でもあります』という話を結びにしました。生徒たちは将棋の勝負における精神を何となく理解したようです。

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

講座が終了すると、私たち講師に「給食」が出ました。カレーライス、ワカメと野菜の和え物、牛乳、冷凍ミカンという献立です。専門の栄養士が考えた手作り料理は、栄養バランスが良いうえに美味しかったです。

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

荒川一中の正門。じつは、私は約50年前にこの中学校に在学していました。校舎の外観は昔とあまり変わっていません。

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

荒川一中の近くにある路面電車の「都電荒川線」の停留所の「荒川一中前」。私の在校時代はなかったのですが、15年前に地元の商店街の働きかけによって新駅が誕生しました。自分の母校が駅名になり、とてもうれしかったものです。

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

都電荒川線と平行している商店街の「ジョイフル三ノ輪」。約300メートルにわたって日用品や食料品などを売る個人商店が並んでいます。庶民的な品揃えと値段、品質や味の良さが地元以外の人たちにも評判です。私の少年時代には日活の映画館があり、絵師が看板に描いた若き日の吉永小百合を見て心がときめいたものです。

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

都電荒川線の始発駅の「三ノ輪橋」。次の停留所が荒川一中前で、町屋駅前~王子駅前~大塚駅前を経由して、終着駅は「早稲田」です。山手線の北側の周辺を東西にアーチ形に走る路線の総距離は約12キロで、所要時間は約1時間。それぞれの地域の人たちの便利な足になっています。また、車内を貸切にした落語会や下町の風景を楽しむ企画がよく催されています。

田丸の母校の東京・荒川一中での将棋講座と、少年時代を過ごした都電荒川線の風景

三ノ輪橋の停留所の脇にある赤い鳥居。その隣の現在は美容室になっている場所には、昔は「三ノ輪将棋会所」という将棋クラブがありました。私は将棋を覚えてまもない中学1年の頃、この将棋クラブに通い始めて教わったものです。

次回は、約50年前の当時の思い出をテーマにします。

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コメント

荒川一中~ジョイフル三ノ輪~都電三ノ輪橋。
なんとも懐かしい地です。私はかつて都電三ノ輪橋近くに住んでいました。
荒川一中の前も何度も通りました。ジョイフル三ノ輪商店街ではよく買物をしましたしサウナに入ったりもしました。そば屋が確か3軒ありいずれでもよく食べました。
喫茶店や一路外れた寿司屋・居酒屋等も目に浮かびます。
写真の鳥居も覚えています。そこから小路に入ると将棋クラブもありました。先生が言う「三ノ輪将棋会所」でしょう。
都電荒川線には何度も乗りましたしほとんどの駅(たぶん全部の駅)に降りて散策したものでした。大塚や池袋の将棋クラブで指したこともあります。
当時を思い出しつつ懐かしく楽しく読みました。

投稿: と金読者 | 2015年9月21日 (月) 08時49分

田丸先生の母校での社会指導ですか。いいですね!大先輩の話は為になることばかり、多種多様な講師陣での講演はいいです。えっ将棋の先生も先輩にはいるんだ?とかなっていますね。医師、弁護士、料理人、芸能人などお手本だらけ。荒川は東日暮里で若い頃勤務したことがあります。大学との往復の毎日、いい先輩がたくさんいました。ダメなお方もたまにはいました。でも荒川はいい思い出が多かったです。板橋、足立(ほぼ葛飾は亀有)と大学卒業後は3区まわりました。最後のs区ではお役人になってしまいました。ここで将棋をよく指しました。新宿大ガード近くの将棋センターの前で屋敷先生を通り越しに見かけました(これは3年ほどまえのことでした)。

投稿: 東京散歩人 | 2015年9月27日 (日) 16時27分

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