将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2015年7月23日 (木)

叡王戦で散った田丸将棋、終了したプロ棋戦の天王戦と若獅子戦

私こと田丸昇九段は7月17日、叡王戦の九段戦予選で井上慶太九段と対戦しました。その対局は「ニコニコ生放送」で生中継されました。矢倉模様の戦型から、私(先手)は6筋の歩を伸ばして角筋を通す独自の作戦で臨みました。以前にも公式戦で用いた経験があります。ただ中盤で誤算があり、すぐに苦しくなりました。その後は、終盤で一手違いの寄せ合いになる形をめざして指しました。そして投了局面はその通りになりましたが、内容的には私の完敗でした。自分らしい将棋で散った叡王戦の対局については、改めて後日にブログで語りたいと思います。

「叡王戦の段位別の予選方式は、確か以前に天王戦で用いられました。これを機に終了棋戦の思い出を書いてくれますか」という内容のコメント(7月5日)は《S.H》さん。
「若獅子戦という棋戦が以前にありました。若手棋士の登竜門といった感じだったのでしょうか」という内容のコメント(同日)は《スズキ》さん。

1960年代から80年代にかけて開催された「日本将棋連盟杯争奪戦」(地方新聞社が共催)が生まれ変わり、1985年(昭和60年)に「天王戦」が始まりました。その棋戦の予選は叡王戦と同じように、九段から四段まで段位別に分かれた方式でした。タイトル保持者も四段も優勝までの距離が同じなのは初めてのことでした。

第1回天王戦は、九段戦で加藤一二三九段と大内延介九段、八段戦で勝浦修八段と田中寅彦八段、七段戦で吉田利勝七段と福崎文吾七段、六段戦で滝誠一郎六段と脇謙二六段、五段戦で木村嘉孝五段と塚田泰明五段、四段戦で森下卓四段と井上四段など、計12人が勝ち進んで本戦に進出しました。中でも九段戦は、中原誠名人、米長邦雄十段、桐山清澄棋王、谷川浩司前名人らのタイトル保持者が敗れる波乱の展開となりました。そして本戦の決勝で、加藤九段が塚田五段に勝って優勝しました。

第3回天王戦の決勝は森下五段―羽生善治四段、第4回の決勝も森下五段―羽生五段と同じカードになり、いずれも羽生が勝って優勝しました。

天王戦は第8回で終了しました。1993年からは棋王戦(別の地方新聞社が共催)に合流しました。※段位と名称はいずれも当時。以下も同じ。

「若獅子戦」は将棋雑誌『近代将棋』(7年前に廃刊)の主催で1977年に始まりました。四段以上の棋士の中から年齢が若い順に13人を選抜し、トーナメントで優勝を争いました。

第1回若獅子戦は決勝で小林健二四段が宮田利男四段に勝って優勝しました。その後、第2回で谷川四段、第3回で福崎五段、第5回で南芳一五段、第10回で羽生四段、第12回で羽生五段など、後年にタイトルを獲得した若手棋士たちが優勝しました。

《谷川は少し変わってきたように思う。つい先日まで、いかにも中学生風の少年だった。今日は茶色の上下に身を包み、背広姿が板についてきた。盤前におとなしく座る対局態度は、どこにあの強さがひそんでいるのかと思わせる》
16歳・四段時代の谷川の若獅子戦の対局で、『近代将棋』に載った観戦記の一部を抜粋しました。当時から沈着冷静な佇まいがあったようです。

《羽生の目が輝いてきた。この男、とにかく終盤になると生き生きしてくる。考えながらも相手に時々鋭い視線をとばす。これがまた、少年とは思えぬ迫力》
16歳・四段当時の羽生の若獅子戦の対局で、『近代将棋』に載った観戦記の一部を抜粋しました。後に「羽生にらみ」と呼ばれた鋭い視線を、新四段の頃から放っていたようです。

若獅子戦は若手棋士の登竜門の棋戦でした。その観戦記には、後年に大活躍した一流棋士たちの若い頃の姿が生き生きと描かれていました。

終了したプロ棋戦は、ほかにもいろいろとあります。改めてブログのテーマにします。

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コメント

 若獅子戦について、情報ありがとうございました。だいぶ理解度が深まりました。
 消えずに継続がいちばんいいのでしょうが、出版社などの事情で仕方ないのかも知れませんね。

 叡王戦の九段戦予選で井上慶太九段との対戦棋譜を見ました。田丸先生らしい、面白い棋譜でした。定跡にはない内容で愉しめました。また、並べてみたいと思います。

投稿: スズキ | 2015年7月23日 (木) 19時36分

叡王戦田丸先生ごくろうさまでした。「花道」でしょうか。よかったです。「羽生にらみ」しばらくぶりで聞きました。懐かしいですね。さすがに対戦相手を見ることはあっても、にらみのような見え方は最近ではないですね。割と羽生先生は対局中は困ったような、うつむいたような、寝ているようなとあまりきれいな姿勢ではないのには最近のを見ていて驚いています。長い時間のタイトル戦だからなのかも知れません。棋士個々の性格によるのでしょうか。森内先生、森下先生などはきれいな対局姿勢だったなと記憶しています。タイトル戦しか見たことはないので言い切れませんがどうなのでしょうと思う次第です。

投稿: 千葉霞 | 2015年7月26日 (日) 19時02分

こんばんわhappy01papernote。田丸先生、私の文章起用していただき、ありがとうございましたhappy02。スズキさんの文章も起用されてよかったですねhappy02。天王戦も若獅子戦も、当時の棋士の段位を見ていますと、時代を感じますね・・・加藤先生はずっと前から『九段』でしたから、何歳のころだったのか、その表示もほしかったですね(失礼coldsweats01)。羽生先生の連覇と棋王戦への合併は知っています・・・久保九段(昭和50年生まれ)以降の棋士達は知らないでしょうねcoldsweats01。ちなみに若き谷川・羽生両先生を評価した観戦記者はどなたなのでしょう?それも知りたいですね。田丸先生、機会があれば教えてください。次の『終了棋戦の思い出』楽しみにしています。暑くなってきましたので、体調には気をつけてくださいhappy01rocksign03

投稿: S.H | 2015年7月27日 (月) 01時37分

SHさんも意外と中高年領域のお方?以前に「おじさんばかり」で物申したお方でしたか?案外古いこと好きみたいですね。安心しました。さて、久保九段は知らないでしょうね…本当でしょうか?棋士先生たちはご存知ではないですか。(生まれる前の棋戦でも)将棋に関することはよくご存知だと聞いたことがあります。竜王戦も現竜王が誕生されていたかどうか、お生まれでも幼い頃か?若い棋士先生方も結構あとからどんどん将棋についての歴史などは耳に、目に入ってきてよくご存知だそうです。SHさんは将棋を相当真近でご覧になっていたと承知しています。将棋のエピソード、歴史、人物像などまとめられてはどうでしょうか。

投稿: 田舎棋士 | 2015年7月28日 (火) 12時10分

田舎棋士さん、コメントありがとうございます。・・・まあ、『おじさんばかり』と書いたのは否めませんが、どこの大会もイベント会場も大盤解説会も、そうですよ。そうしたところを意識して、未来に向けての普及・・・これが『21世紀の将棋界のあるべき姿』でしょうね。その結晶とも言える集団が『東竜門』『西遊棋』の方々です。ホント素晴らしい方々ばかりです。『彼らがいれば将棋界の未来に憂いは無い!!』私はそう思っています・・・まあ、終了棋戦のことを久保先生がたが本当に知らないかどうかは確認したわけでは無いですが、まず間違いないでしょう(確信は無いですが)・・・確かに私は古いことも好きですよ。20数年前、東西の大正棋士・星田啓三、原田泰夫両先生から貴重な昔話を聞きましたし、観戦記者や5月に亡くなった炬口(たけのくち)カメラマンからも色々お話をうかがいました。また、田丸先生や河口先生の本も買って、読みまくりました・・・ですが人物像とかを書く気はありません。それは今の観戦記者や将棋世界・週刊将棋の編集者の方々の仕事です。そうした『文章・編集のプロ』を差し置いて、しゃしゃり出る気はありません。彼らの奮起に期待したいと思います・・・田丸先生、長々と失礼しました。

投稿: S.H | 2015年8月 3日 (月) 00時56分

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