羽生名人の著書『羽生の頭脳』の中の詰み手順、米長永世棋聖の結婚エピソード
「羽生名人の著書『羽生の頭脳3』(初版は1992年)の本文221ページのD図(写真の図面)では、△8八銀で詰んでいると解説されました。しかし詰み手順は書いてなく、私の力ではどうしても解けません。恐縮ですが、田丸九段に詰み手順を教えてもらいたいのですが…」という内容のコメント(7月8日)は《自休自足》さん。
私はこのブログに寄せられたコメントについて、できるだけ回答するようにしています。時にはブログのテーマにもします。それらの内容は主に将棋界の現状や棋士の裏話などです。将棋の技術に関するコメントはほとんどなく、図面を載せるのが難しいことから取り上げていません。しかし終盤の局面で詰みがあるかどうかという疑問は、どんな場合でも気になるものです。そこで「特別」に詰み手順を解説します。
写真の図面から、▲8六玉△7七銀打▲同銀△同銀不成▲同玉までは必然の手順です。
その局面で△8八銀は▲8六玉で王手が続きません。△7八金(▲同玉は△7九飛で詰み)は▲8六玉△7七銀▲9七玉△8八銀不成▲8六玉△7七銀不成▲9七玉の手順が繰り返されて詰みません。
前記の▲7七同玉の局面では、△7九飛と打てば詰みます。▲8六玉は△7七銀▲9七玉△8八銀不成▲8六玉△7七飛成▲7五玉△7四馬で詰み。△7九飛に▲7八桂の合駒は、△同飛成▲同玉△7九金打▲7七玉△8八銀▲6六玉(▲8六玉は△7四桂以下詰み)△5六馬▲7五玉△6五馬▲8六玉△7四桂で詰み。▲7八桂で▲7八銀の合駒は、前記の手順の最後に△7七銀打で詰みます。
羽生のその著書は、スペースの関係で詰み手順の解説を省略したようです。実際にそれほど難しい詰み手順ではありません。ただ△7九飛が見えないとてこずります。
「米長さん(故・邦雄永世棋聖)のエピソードで、お嫁さんのお父さんに『お嬢さんをください』とお願いしたとき、自分の職業について滔々と話されたそうです。そしてすべてを話し終えたとき、『ところで米長くん、将棋の話はよくわかりましたが、いったい君の職業はなんですか』と言われたそうです。笑い話のようですが、そういう時代だったのでしょうか」という内容のコメント(6月8日)は《東京散歩人》さん。
私の兄弟子の米長永世棋聖は鷺宮高校(東京・中野区)時代の同級生の女性(菊田明子さん)に一目惚れして何年も交際しました。そして女性の父親と対面して結婚を申し込みました。菊田家は鷺宮で代々続いた地主で、当主の父親は米長との結婚に当初は反対しました。将棋棋士という職業をよく理解できず、賭け将棋か何かで勝って食べていると思ったからです。たまたま新聞の将棋欄で米長の名前を見ると、「新聞に出るには、かなりお金がかかったでしょうね。そのお金はどうやって稼いだんですか」と聞いたそうです。
それは今から50年近く前の話です。将棋棋士の存在は、世間的にあまり知られてなかった時代でした。私もその頃に棋士をめざして奨励会の入会試験を受けたとき、親と親戚は「将棋指しは親の死に目にあえない」という迷信を持ち出して反対しました。
米長はその後、女性の父親の理解を得ることができました。1967年に明子夫人と24歳で結婚しました。
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コメント
米長先生や田丸先生のエピソードは時代を本当に感じさせます。ご返事ありがとうございました。私が読んだことがあった米長先生の結婚話エピソードはどなたか(米長先生ご本人かも)が少し面白く脚色して活字にされたようですね。古い時代のエピソードなどは(大橋宗桂などの時代)昔愛読していた「将棋世界」の付録にたくさん載っていて楽しませてもらいました。ああいうたぐいの読み物は今もあるのでしょうか。どなたか教えていただけるとありがたいです(勝手にコーナーを借用)。
投稿: 東京散歩人 | 2015年7月12日 (日) 14時51分
最近、漫画「ひらけ駒!」を読み直しました。
田丸先生が昔ブログで取り上げておられましたが、物語の開始早々、主人公親子が将棋会館を訪れて、田丸昇八段(当時)とすれちがい、田丸先生がにっこりと笑いかけてくれて親子が感激する、というシーンがありました。
今回、わざわざブログの一回を割いて、先生とは関係ない本で省かれていた詰み手順を解説して下さったことに、漫画で描かれたのと同じ先生の優しさを垣間見ることができました。
私も将棋会館を訪れ、千駄ヶ谷駅に戻ろうと道路に出た時に、ちょうど連盟にやって来られた、とある棋士の先生(お若い方です)に笑顔で会釈して頂いたことがあります。そういう優しさ、将棋ファンにとっては本当に嬉しいものです。
投稿: オヤジ | 2015年7月21日 (火) 19時01分