将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2015年5月 3日 (日)

河口八段の木村十四世名人の評伝、A級順位戦の最終戦、山田九段の生涯成績などのコメント

「故・河口俊彦八段の『評伝 木村義雄』は未完の対局になりますか…。田丸九段は現役引退後の木村十四世名人を目撃した最後の世代でしょうか」という内容のコメント(2月1日)は《ちとく》さん。

河口八段は『将棋世界』で木村義雄十四世名人の評伝を連載していましたが、「高野山の決戦」(昭和23年に名人戦の挑戦権を争った升田幸三八段と大山康晴七段の3番勝負)を題材にした今年の3月号が絶筆となってしまいました。将棋でいえば中盤の佳境の局面で、以後の面白い話を読めないのはとても残念です。「老師」(河口八段の愛称)の文章を愛読した方も同じ思いでしょう。なお発売中の『将棋世界』6月号では、私が連載している「盤上盤外 一手有情」で河口八段の棋士人生をたどってみました。よかったら読んでください。

私は木村十四世名人を何回か見かけましたが、じかに話をしたことはありません。若手棋士にとって雲の上の存在でした。39年前の1976年(昭和51年)2月、将棋雑誌のグラビア撮影で神奈川県茅ヶ崎市の自宅に伺ったことがあります。木村名人(当時70歳)と鶴子夫人が和服姿で縁側に座った写真は、じつにほのぼのとした光景でした。木村名人は江戸っ子らしい小気味よい語り口でした。私は記事にするためにメモを取り続けましたが、何か一言ぐらい木村名人と話しておけばよかったなあと、今になって後悔しています。

「3月のA級順位戦の最終戦は、今年は東京の将棋会館で行われました。何年かに1回は関西将棋会館というのもいいですね」というコメント(3月6日)は《ともっち》さん。

現在は10人のA級棋士のうち、関西所属の棋士は久保利明九段の1人だけです。谷川浩司九段、山崎隆之八段、豊島将之七段、稲葉陽七段、糸谷哲郎竜王などの棋士がA級に昇級して関西の棋士が増えれば、A級順位戦の最終戦を関西将棋会館で行う話が持ち上がるかもしれません。

関西の棋士が名人を含めてA級に5人も在籍した例が過去に3回ありました。1983年度の谷川名人、桐山清澄八段、内藤国雄九段、森安秀光八段、淡路仁茂八段、86年の谷川棋王、桐山棋聖、有吉道夫九段、南芳一八段、小林健二八段、87年度の谷川王位、桐山九段、南棋聖、有吉九段、内藤九段。同じ藤内一門の谷川名人に森安八段が挑戦した84年の名人戦は、過去50年で唯一の関西同士の対戦でした。※棋士の肩書は当時。

「今年のA級順位戦のプレーオフ2回戦で、久保九段(7位)が渡辺明二冠(3位)に勝ちました。来期のA級の順位は、どちらが上位になるのでしょうか」というコメント(3月17日)は《ヨッシー》さん。

今期のA級の順位に、前期のプレーオフの勝敗は反映されません。前期のA級順位戦で6勝3敗の3人(挑戦者の行方尚史八段は除く)は、順位の上位順に2位が渡辺棋王、3位が久保九段、4位が広瀬章人八段となります。なお名人戦で挑戦者になって敗退した場合、次期の順位は前期の順位(10位でも)にかかわらず1位です。

「田丸九段が書かれた『熱血の棋士 山田道美伝』の著書には、山田九段の生涯成績が載っていません。将棋連盟ホームページの物故棋士一覧でも同様です。古い時代なので連盟に記録が残っていないのかと思います。大山十五世名人は棋士としての全対局を自分で記録していたので、連盟に記録が残ってない分を含めて生涯成績がわかる、というのは有名ですね。山田九段の生涯成績を教えてください」というコメント(3月24日)は《オヤジ》さん。

昭和20年5月に将棋大成会(日本将棋連盟の前身)の本部は空襲によって焼失し、戦前の公式対局の資料はほとんど消滅しました。戦後も混乱した状況が続いて資料は不明確です。棋譜として資料が現存しているのは昭和29年以降だそうです。山田道美九段が公式対局に初参加したのは昭和27年なので、正確な生涯成績はわかりません。私は山田九段の評伝の著者として、いちど調べてみたいと思っています。

大山十五世名人と升田実力制第四代名人は、本人の記録や関係者の調査で戦前からの公式対局の資料が残っています(大山は昭和15年~、升田は昭和9年~)。ただそうした例は一部の棋士のみです。

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コメント

田丸先生、山田九段の生涯成績の件、取り上げて下さり有り難うございます。
連盟に記録がない分は如何ともし難いですが、ぜひとも「山田九段の昭和29年から亡くなるまでの生涯成績」を調べて頂いて世にお伝え頂きたく、よろしくお願い致します。

投稿: オヤジ | 2015年5月 4日 (月) 22時53分

こんにちわ。私も『堺市民』さんと同じく大阪府民ですので、関西同士の名人戦やタイトル戦は見たいですね。残念ながら谷川-森安戦の第42期名人戦は知らないのですが、平成初期の谷川-南戦、谷川-福崎戦は見ました・・・ただ、この『昭和30年代棋士・関西御三家』の後に続く関西の次世代の活躍が少ない。私は『羽生世代』とは言わず、『昭和40年代棋士』と呼んでいますが、A級・タイトル戦・棋戦決勝はほとんどが『関東・昭和40年代棋士』が活躍。関西でA級・タイトル戦経験者は阿部隆八段(昭和42年生まれ)と故・村山聖九段(昭和44年生まれ)の2人だけ。あとは久保九段(昭和50年)、山崎八段(54年)、糸谷竜王(63年)、豊島七段(平成2年)と、ドンドン若い棋士が席巻してきていますから、『関西・昭和40年代棋士』は、40代とはいえ、若手棋士の『壁』になってほしいですし、名人戦(羽生-行方)の両先生や森内・佐藤康光・郷田・丸山・藤井・屋敷・深浦・三浦各先生方に負けない活躍をしてほしいですね・・・同じく昭和40年代関西人として、この20数年間思ってきました・・・誰かの起爆剤になればいいなあ・・・

投稿: S.H | 2015年5月 5日 (火) 10時07分

木村名人は何かのイベント(将棋の日か)に昭和51年以降にもお出になられたことがあったような記憶があります。(あやふやな記憶で間違い大)山田先生のお姿はNHKのライブラリー的なものでしか見たことはありません。伝説ですね。木村名人が対局中に「おい、〇〇君時間だよ」といったとか?当時はすごいですね。名人の権威たるや!超伝説です。今はせっかくの中継ですが、生中継でいいのですが、いろいろみっともない仕草が多いです。それがいいのだともいわれますが、中継コメントも、「寝てるぞ、寝ぐせか、食ってるぞ」あまりよくはないです。これもいいのだという派は多いですね。人それぞれか!伝説が多い将棋界、さらなる伝説はありましょうや。

投稿: 田舎棋士 | 2015年5月 8日 (金) 08時59分

山田九段。週刊将棋新聞でしたか、森下九段が山田九段のご子息のことを書かれていました。私がよく知る四谷あたりを書かれていたのを思い出しました。内容は諸兄ご存知でしょうから省略しますが、とても読後感のあるもであったと記憶しています。今少し山田九段のことは記憶にないのですが、名棋士というと必ずお名前があがります。少し調べてみようと思っています。

投稿: 千葉霞 | 2015年5月11日 (月) 19時18分

関西と関東の奨励会を比べると、単純比較ですが、人数が関東の方が俄然多いですね。這い上がるのはなかなか大変に思えます。やや少ない関西はやや有利かなと思えてしまいます。そうすると上に上がってきた時にはもまれた分関東出の方が強そうに感じます。おおざっぱすぎて一概には言えないのは承知しています。もともと天才集団ですので、その時一番の子がやはり最終的には出てきますね。関西は少ないからともいえないのでしょうが、子たちの才能プラスアルファでしょうか。個人の努力もありますね。でも、関東に偏るのは人数に関係しているとも言えそうです。天才らが多い方がより切磋琢磨できそうです。才能集団ですから、その時代にどちらかに偏ることもありそうです。人数の多い少ないに関係なくです。概して半々近くまで接近していることがあります。全体人数から計算していくとですね。SHさんのいわれるような(推測ですよ)タイトルや上位を関西系が多数を占めるのは容易ではないですね。可能性は捨てませんが、しばらくは関東系の天才集団が大暴れしています。「羽生世代」と一括りにされて、あまりというかその世代の棋士先生方も「うんっ?」といい気持ではない方もおられるかも知れません。ただ、あまりにも羽生4冠が突出しているのでやむなしです。中原、米長、加藤、と先輩世代を倒してきましたので、「同じ世代」と言われ活躍している棋士はいい心持ちでしょうね。羽生4冠と同じレベルにと評価されてもいる分けですから。さて、もう少しでしょうか?関西の若手がノシテくるのは!関西でも関東でも若手が羽生世代を倒して60年代、70年代が出てくることを期待したいです。

投稿: 囲碁人 | 2015年5月14日 (木) 16時24分

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