将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2015年4月21日 (火)

棋士の名誉称号についての賛否両論のコメントと棋士の認識

4月1日のブログで棋士の名誉称号をテーマにしたところ、賛否両論のコメントが数多く寄せられて関心の高さに驚きました。コメントの内容をいくつか紹介します。

「タイトル名や段位が付かない名誉称号を作ったらどうでしょう」《高田直江さん》。「引退時に現段位以上の名誉称号を贈位されてはと思います」《千葉霞さん》。「勝負師らしく1000勝を区切りで十段とすればよいと思います。加藤一二三九段、羽生善治名人、谷川浩司九段が現役では該当します。佐藤康光九段も今年3月末日時点で、あと41勝で1000勝に到達します。内藤国雄九段も1000勝が基準なら受けたと思います。ほかに退役では有吉道夫九段が該当します」《saku-sakuさん》。

現行の昇段規定は、タイトル獲得、タイトル挑戦、竜王戦・順位戦での昇級と実績、全棋士参加棋戦で優勝、昇段後の勝利数などによって昇段が決まります。また、フリークラス棋士と引退棋士の昇段規定が別に定められています。私は2年前の4月、前者の規定で九段に昇段しました。

これらの規定のように、大半の棋士が昇段する可能性があります。しかしタイトルを獲得したり1000勝して素晴らしい実績を挙げた九段の棋士には、原則として新たな肩書は付きません。私は、前記の棋士たちに何らかの名誉称号を贈るべきだと思います。具体的には《saku-sakuさん》の十段昇段の考えに同感です。囲碁棋戦の「十段戦」との兼ね合いについては、主催新聞社や日本棋院と協議すれば理解を得られると思います。

「将棋連盟が与える段位や称号はインフレの一途をたどっています。棋士はそれほどまでに、名誉称号をほしがるものなのでしょうか」《田舎初段さん》。※失礼しました。アドレス名を訂正します。

約40年前までは、順位戦で昇級する以外に昇段の道はありませんでした。そうした状況について「順位戦に偏重だ」という批判の声が出て、すべての棋戦の実績が昇段の対象になる現行の規定に変わりました。そうした経緯もあり、規定の概念は決して悪くありません。段位や称号がインフレかどうかは、人によって見方が違うと思います。

名誉称号を得た棋士は小菅剣之介名誉名人、土居市太郎名誉名人、塚田正夫名誉十段、渡辺東一名誉九段、金易二郎名誉九段、加藤治郎名誉九段、高柳敏夫名誉九段、佐瀬勇次名誉九段。終生名人制の時代で実力が一番でも名人になれなかった、将棋界の運営、将棋の普及、弟子の育成に貢献したなど、いずれの棋士も名誉称号を得るだけの事由と実績を残しました。そうした棋士は過去に8人しかいません。ほかの世界(名誉会長、名誉市長、名誉会員など)と比べても、将棋界に「名誉棋士」は多くなく、棋士が名誉称号をほしがっているわけではありません。

「実力とは違う要因が強い名誉称号は、棋士のプライドが受け付けないのではという気がします」《通行人さん》。

辞書によると、「名誉市民」は市が特定の人の功績を表彰するために贈る呼称、「名誉教授」は大学に長年勤務して学術上で顕著な功績があった人に退職後に贈る称号、とあります。いずれも良い評価を受けたという意味で、名誉の言葉を冠します。ただ形式だけで実質的な内容がともなわない立場を「名誉職」ともいいます。将棋界で名誉という言葉は、後者の意味に受け取られがちです。

高柳名誉九段は名伯楽として中原誠十六世名人、芹沢博文九段などの名棋士を育てましたが、九段昇段をずっと辞退していました。実力で勝ち取った八段への思い入れが強かったのでしょう。しかし弟子たちが九段なのに、師匠が八段では良くないという周囲の説得に応じて、「名誉九段ならば」と承諾しました。ただ世間では、九段よりも名誉九段のほうが格上という評価だと思います。その辺りの認識に違いがあるようです。

「田丸九段が提案した名誉称号の問題について、将棋連盟が必要なしとした」という内容のコメントがありました。

私は今年1月の「月例報告会」で連盟の理事会に対して、名誉称号などの問題を提案しました。内藤九段の3月の引退に合わせる意味合いもありました。2月の会合で理事会は「現時点でその制度化は難しい状況です」と答えましたが、私の提案を拒否したわけではありません。大事な問題は時間をかけて決めるべきです。正式に制度化して、該当した棋士が胸を張って受ける形が望ましいです。内藤九段が名誉称号を辞退したのは、個別の特定のケースになるのは本意ではないと思ったからでしょう。

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コメント

今後、棋戦が減少する可能性もありますので、1000勝規定は厳しいかもしれませんね。
個人的には九段はタイトル経験者に限っても良かったのではないかと思います。

投稿: | 2015年4月21日 (火) 08時32分

1000勝で十段の名誉称号ですか。九段棋士で1000番勝つは至難ですね。だから価値ある名誉称号だといわれるとそうかでしょうか。ただ佐藤九段は永世棋聖称号をお持ちです。羽生さん、谷川さんも永世名人ですね。名誉称号を提案された方の趣旨は内藤先生、有吉先生、丸田先生、加藤一二三先生を挙げておられたようですので、永世資格者の名は挙げてもセンナイことです。規定タイトル獲得数に達していない、功績は大だけれど「次回以降に継続審議」を無念に思っているでしょうに、「そのうち」ですので待ちましょう。1000勝は特別将棋栄誉賞を頂いていますね。これもいいですね。あとはコメントでの提案者は「名伯楽の先生方」にも特別表彰をでした。これは重要ですね。相撲の世界と同じで、部屋所属(プロ棋士の弟子)が必要ではなかったか?多分現状はそうだったはず?囲碁は確か「菊池先生(アマ)」のお弟子さんが多くプロになっている。そうでない将棋界はこの師匠にもライトを当てるべきといわれていたような気がしました。皆さん師匠の恩をお忘れではないかと「ふと」思った次第です。余計なことだとプロの先生方に怒られますね。

投稿: 囲碁人 | 2015年4月21日 (火) 12時58分

師匠については段位というより特別表彰のほうがいい気がします、自分の実力ではなく弟子の実力で段位を得てもねぇ、という気になります。そもそも基準がどうしても曖昧になってしまいます(人数?タイトル数?勝ち数?数値にしてもそれは変な気がします)。

名誉称号の顔ぶれを見るには実質的に特別表彰のような位置づけだったような感じですね。
それに最後の名誉称号の先生から現在までかなり期間が空いています。

そうなると、内藤、加藤、有吉各先生だけでなく、過去の先生方についても贈与対象の棋士がでてくるのではないでしょうか。
そういう意味でじっくりした議論が必要かもしれません。
さらに、こういう議論は棋界全体で盛り上がらないと受け取る側も受け取りにくい気がするので気運が高まるのを待つのも悪くないと思います。

とはいえ、個人的には「元〇○」で十分と思うのですが……

投稿: 通行人 | 2015年4月21日 (火) 23時14分

通行人さんの「師匠については段位というより特別表彰のほうがいい気がします」はいいですね。これは賛成者が多そうです。ただ《個人的には「元〇○」で十分と思うのですが…》はどうでしょう?タイトル獲得者でしょうが、九段なわけでそれを元名人(加藤先生はどれをいうのか)と表記はいいが御呼びするのは違和感めいて可笑しい気がします(個人的な意見です)内藤先生もどれを元〇〇か、複数の方は困りますね。正直分かりません。でじっくりした議論が必要に賛成です(”私”は逃げました)。

投稿: 東京散歩人 | 2015年4月22日 (水) 11時36分

田丸先生。「棋士はそれほどまでに、名誉称号をほしがるものなのでしょうか」と引用されていますが、私は「名誉称号」ではなく「称号をほしがるものでしょうか」と記しています。

この称号には永世称号や九段、八段といったものも含めて書いたつもりでした。もちろん「実力制なんたら」といった奇怪な称号も含まれています。

勝負師の集団である将棋連盟が、お手盛りでどんどん自分たちに甘くしてゆくのはいかがなものかと思って書きました。インフレで百円のものが二百円になっても、価値が倍になったわけではなく、円の価値が半分になっただけです。

大山さんも中原さんも、現役のままで永世称号を平然と名のりました。九段のままでいいとは決して言いませんでした。升田さんもまた「俺ほどの者が、ただの九段か」と文句を言って、何がしかの称号を要求しました。

棋士は「称号をほしがるもの」だと言ったのは、そういうことです。

投稿: 田舎初段 | 2015年4月22日 (水) 18時38分

私の元○○案ですが……
・どのタイトルを名乗るかは棋士の自由(当然「九段」でもいい)
 押しつけるより自分で選んでもらったほうがいい
・名乗るのは引退後
 昔は現役でも名乗ってましたが、昔は昔、今は今、で割り切って整理したほうがいいのでは。
 現役でも名乗りそうなのはあえて言えば加藤先生ぐらいなので(笑)


あと昔のことをぶつくさ言うのは正直本質的ではない気がします。やめません?
名人戦が絶対・実力のみが絶対の時代と今は違います。
昔は昔の事情・棋士のプライドがあり、今は今の事情・棋士のプライドがあります。
昔を持ち出して今を語るのは違う気がします。今の状況に合ったものを考えないといけないのでは。
(升田先生は称号を要求したのではなく、勝手に名乗ってそれを周りが認めて、後で整理したということでは?)

あと、師匠の特別表彰ですが、よくよく考えたら「表彰するタイミング」ってどうなんでしょうか?
棋士は引退がありますが、師匠は引退がありません。どういう称号であれ、タイミングが難しい気がします。

年に一度の将棋大賞で「師匠賞(センスねぇ)」みたいなの作って毎年一人表彰するのが一番現実的なような気がしました。

投稿: 通行人 | 2015年4月22日 (水) 23時18分

せっかくいいコメント多数で方向性がいいとおもっていましたが、通行人さんの≪あと昔のことをぶつくさ言うのは正直本質的ではない気がします。やめません?名人戦が絶対・実力のみが絶対の時代と今は違います。昔は昔の事情・棋士のプライドがあり、今は今の事情・棋士のプライドがあります。
昔を持ち出して今を語るのは違う気がします。今の状況に合ったものを考えないといけないのでは。≫これはなんでしょうか?炎上の原因になりそうな気がします。我が出過ぎでしょう。昔との比較がなくては分からなくなります。何事も積み上げではないでしょうか。ご自身も昔を例として挙げていますね。今は昔の上に成り立っています。議論はしたくありませんが、ご発言内容には矛盾があります。将棋文化といわれるのも過去からの積み重ねですよ。かき回す方向への発言は「それこそ」止めません、ですね。通行人さんは結構いいご提案コメントが多かったのに、賛同するコメントも多くありましたが、今回のコメントは残念です。  

投稿: 千葉霞 | 2015年4月24日 (金) 11時56分

>千葉霞さま
語りすぎたようですみません。確かに自分も本質的ではないですね。

フォローを含めて書きたいことはあるのですが、議論がずれるのは本意では無いのでこれ以上語りません。


せっかくなので、意見を追加します。

前回投稿から考えたのですが、「元○○」の称号を設けると似た称号である「永世○○」の価値が下がるような気がしました。
もちろん、分かっている将棋ファンは区別できますが、素人の目からしたら「どっちも似たようなもの」と思われてしまうかもしれません。

永世名人以外ではたった4人しかいない永世称号(塚田永世九段・米長永世棋聖・渡辺永世竜王・佐藤永世棋聖)の一般的価値を下げるのはちょっと違うかな、という気がしています。


じゃあ、どうするの?と言われると「段位十段」に反対の身としてはなかなか思いつかないのですが……

投稿: 通行人 | 2015年4月24日 (金) 22時55分

贈位称号は通行人さんの言われる通り難しいですね。永世号は(名誉王座も含む)は実力で勝ち取った称号。名誉、贈がつく称号は功労で贈られたものと分けられているようです。(手帳からの推測判断)名誉十段、名誉王将、名誉棋王、名誉竜王、名誉棋聖、名誉王位、名誉王座、名誉名人が既存のタイトルからですと候補ですね。新しい名称となると時間がかかりそうです。
師匠の表彰ですが、「名誉普及理事」などを盛り込んだ表彰が思いつきました。

投稿: 千葉霞 | 2015年4月25日 (土) 11時45分


名誉称号について

高柳敏夫先生が名誉九段を受けられたのは、厳父で師匠の
金易二郎先生が名誉九段であったことも理由のひとつと
拝察しています。
田中寅彦先生が九段に推挙されるときに師匠に薦められた
とも仄聞しました。
柳門のお弟子さんたちの段位の総計が99段に達したのも
理由と仄聞しました。

永世名人などの名誉称号は、大山名人以外は現役中は名乗れません。
谷川名誉名人、森内名誉名人、佐藤永世棋聖もいまは、九段と
表示されています。
十段は、住段位として 1,000勝に達した段階で推挙すれば
現役中も名乗れます。
拾段表記でもよいと思われます。


免状の文言もどのようになるのか楽しみです。

投稿: saku-saku | 2015年4月26日 (日) 06時32分

名誉称号、師匠に対する表彰と内容が色々出てきました。そこで肝心なのが将棋連盟の役員様、顧問の皆様の決断次第ですが、結論は「「現時点でその制度化は難しい状況」なわけで未来へ先送りになりました。どなたかもいっていましたが「鶴の一声」が欲しいですね。せっかくの田丸先生の提案もあっさり前記の如し、当分日の目は見そうにありません。話題を変えます、名人戦の2局目は羽生先生の全く将棋にならない負け将棋。どうしたのだろうと思わず首をひねりました。ただ、講評では難しい力戦とか何とかと訳が分かりません。羽生先生は60数手目の銀でもう駄目だったともいわれていました。では「第1局の行方先生のように」投げてもよかったのではないだろうか。本名人戦はそんな内容の繰り返しにならないだろうかと興味半減する思いです。また、里見さんの復活でしょうか?強いですね。もう一つの女流タイトル戦(先生がパーテーの模様を紹介)がありました。奨励会の女流は強いですね。上田女流が挑戦でしたか、全然歯がたちません。もともとの才能なのでしょうか?練習の場の違いが大きく出ているようですね。他の女流も付け出しでもいいので奨励会で腕を磨ける場を設けてはどうでしょう。
里見さんを含めて3人が女流界を荒らしまわっている感が強すぎます。彼女らも初めは男子に全く勝てず昇級は難しく見えていたのですが、力は付くのですね。上位に上がっています。ちょっと練習(修行)にハンディが大きすぎる気がしています。ご検討をお願いします。

投稿: 古代子孫 | 2015年4月27日 (月) 11時30分

泡氏はなかなか冷静で全うなご意見。ただ「オールドファン」はやめてほしいな。単に泡氏(若い世代?)より前から将棋好きというだけなのだから、田丸先生世代(私)、田舎棋士さんはどうだろう?色々将棋に詳しい方々は中高年に近い方々だろうと思います。以前のクレーマーさんが騒いだ時を思い出しました。もっと若い世代でも大人の対応で「中傷」よりはどこどこが違うという方がいいと思います。「昇段規定」がおかしい、「お手盛り」はおかしいと私ならいいます。ただ、田舎棋士さんは「名誉称号、名誉段位」の方でお手盛り(功労)でいいといっているのではないでしょうか。現役棋士への昇段については当然お手盛りは感心しません。ある程度の実力が伴わなければ、コロコロ負けて惨めなおもいをされるのは棋士自身ですから。ただ「どのように」昇段規定を厳しくすればいいのか、今のがどの程度ゆるくお手盛りなのかを明示され、これでプロ棋界は認められるとなるのかをご提案されるのがいいのではないでしょうか。『そして世間の一部から将棋界に厳しい視線が向けられていることも事実です』と泡氏がいわれているコメントはどこで拝見できるのか、どこで聞けるのかが知りたいです。泡氏とトラちゃんさんは世間ではというコメントを使っていますが実際にはどんな表現で「将棋界」が批判されているのかは気になります。将棋お宅で世間を知りませんので、ご披露くださればありがたいです。お手数をおかけします。

投稿: 東京散歩人 | 2015年4月29日 (水) 12時04分

1000勝を基準にするのはおかしい気がします。棋戦の数が多い現在と、少なかった昔では明らかに不公平ですし、今後も棋戦の増減は有り得る話なので公平な基準にはなりません。また名誉称号自体が必ずしも必要ではないですし、将棋界には「名人」という最高の名誉称号がタイトルとしてあるのですから、それを奪ればいいだけの話です。名誉を多くの棋士に与える事は名誉自体の価値を下げる事なので、やめた方がいいです。

投稿: 銀桂 | 2015年5月 6日 (水) 07時07分

ネットサーフィンしてこのブログを見ましたので、遅くなりましたがコメントします。
将棋は一般の人にとってはとても挑戦できない、勝つか負けるかの勝負の世界です。勝った人だけが称賛されるのです。将棋界は民主的に運営されているのでしょうが、実際は5名位のスーパースターが将棋界の魅力ではないでしょうか(すべてとは言いませんが)?
今回の話題は、既にある勝ち続けた棋士だけに与えられる永世称号、名誉称号に対し決して良い作用はしないと思います。

投稿: 転寝鉛筆 | 2015年8月 2日 (日) 08時54分

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