将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2015年2月 1日 (日)

将棋界の語り部・河口俊彦八段が78歳で死去

将棋界の語り部・河口俊彦七段が7<br />
 8歳で死去

河口俊彦七段が1月30日、腹部大動脈瘤によって78歳で死去しました。※同日付で八段が追贈されました。

写真は、43年前の1972年(昭和47年)3月21日、私こと田丸昇四段と河口四段(右)との対局光景です。私は同年2月に奨励会の「東西決戦」に勝って四段に昇段し、この新人王戦の対局が棋士デビュー戦となりました。

当時の『奥山紅樹』さんの観戦記の一部を抜粋で紹介します。

《この朝、田丸は別人のように見えた。稽古先から共同で贈られたという仙台平の袴をさわさわとさばいて、将棋会館の銀杏の間にスックと立った。ういういしい女剣士のようなあで姿だった。河口は、颯爽とデビューした頃の自分を思い出した。豊かな棋才、構想とさばきに才気がある、と言われてもう5年になる。プロの厳しさと競争の激しさを知ったこの5年の毎日は、河口に不敵なプロ根性を植えつけて過ぎていった。河口は「それに比べて、目の前の若者のういういしさは、まあどうだろう…」と思った》

私はひたすら盤面に集中しました。河口さんはそんな若者を相手にやりにくさを感じていたようで、中盤で疑問手を指すと、終盤に入る前にあっさり投了しました。その瞬間、私は何が起きたのかすぐに理解できず、少し間をおいてから一礼を返したものです。

河口さんは後日、私の将棋について「才能はそれほど感じないけど、意外に勝つかもしれないね」と語ったそうです。その真意は不明ですが、私は河口さんの言葉どおり、以後は順位戦で昇級・昇段を着実に重ねました。

河口さんは現役棋士の頃、目立った実績はありませんでした。しかし勝負の分析、棋士の生き方・才能・性格を見極める眼力に長けていました。それを文筆活動で存分に発揮しました。中でも『将棋マガジン』『将棋世界』で通算20年以上にわたって連載した『対局日誌』は、河口さんのライフワークとなりました。

河口さんは『対局日誌』で、対局室の光景、棋士の心情、将棋会館の控室での遠慮のない批評や会話などを題材にして、勝負の厳しさ、将棋の面白さ、棋士の素顔を活写しました。密室で行われるプロ棋士の対局を、読者が現場で見ているような臨場感で生き生きと伝えたのです。将棋界の歴史や一流棋士の思い出も織り交ぜました。まさに将棋界の語り部のような存在でした。

その後、河口さんの『対局日誌』を引き継ぐ形式の読み物が将棋雑誌でよく掲載されました。私も2年前から『将棋世界』で『盤上盤外 一手有情』を連載しています。参考のために河口さんの以前の連載をたまに見ますが、決して古くなくて面白いです。それは河口さんが取材に力を入れたからですが、昔の棋士のエピソードや話がユニークだったともいえます。私は前記の連載の取材で将棋会館の控室で待機しますが、今の棋士からは面白い話はあまり聞けないのが実情です。

河口さんは文学青年でした。やがて文筆に長じていた才能を買われ、奨励会時代に将棋雑誌で編集と執筆に携わりました。大の読書家だった芹沢博文九段の影響を受けました。ちなみに河口さんの2人の娘さんの名前は、芹沢九段の名前の「博」と「文」が1字ずつ付いているそうです。

河口さんは13年前に引退してからも、観戦記、書籍、評論の分野で精力的に文筆活動を行っていました。将棋会館でたまに見かけると、対局中継を見れるタブレットをいつも持参していて、控室では若手棋士と一緒に楽しそうに研究しました。将棋が心から好きだったようです。

河口さんは長身痩躯の体型で、長生きするものだと思っていました。お酒もまったく飲みません。つい最近まで元気な様子に見えました。それだけに、このたびの訃報に驚くばかりです。2年前から『将棋世界』で連載していた『評伝 木村義雄(十四世名人)』は完結しないうちに、3月号の第20回が絶筆となりました。「生涯文筆」の人生でした。

今後は、天上から将棋界の動きを見守ってくれるでしょう。

|

対局」カテゴリの記事

コメント

初手合いの相手が亡くなったということで、先生もいろいろ思うところが大きいかと存じます。河口先生の冥福を心よりお祈り申し上げます。

私が河口先生の作品で好きなのは「大山康晴の晩節」です。大山vs中原の最初の七番勝負をあれほど熱く語ってあって、わくわくどきどきしました。河口先生亡き後、ああいう、将棋を語り継ぐような人が出てくることを期待しています。

投稿: 匿名希望 | 2015年2月 1日 (日) 14時07分

今日、将棋世界3月号が届きました。
河口先生が連載しておられた「評伝 木村義雄」が、何事もなかったかのように載っています。今月分が最後なのか、もう一回分くらい遺稿があるのか・・・

最後まで将棋を書き続けた人生、河口先生としてはあるいは本望であったかもしれませんが、ご壮健だった河口先生にもっともっと将棋を書いて頂きたかった、と残念でなりません。

心からご冥福をお祈りすると共に、河口先生の「対局日誌」を一括して書籍化してくれないかなあと願います。必ず買います!

投稿: オヤジ | 2015年2月 1日 (日) 16時48分

十四世名人伝は未完の対局になりますか・・・

誰かに引き続いて書いて欲しい気もしますが、老師のマニアは多少なりとも必ず不満に思うでしょうし・・・

田丸先生は生で(現役引退後の)木村先生を目撃した最後の世代でしょうか?

老師の冥福をお祈り致します。

投稿: ちとく | 2015年2月 1日 (日) 21時17分

こんばんわ。1月31日(土)の夕刊に訃報が載っていました・・・昨年春、静岡にて『青野照市九段現役40周年記念祝賀会』があり、そこで河口先生に初めて会い、一緒に写り、連盟宛に写真を送付しました・・・返事も年賀状もなく、『次また会えるかなあ・・・』と思っていた矢先でしたので、本当に驚いていますcrying
『大山康晴の晩節』(飛鳥新社)ほか『盤上の人生 盤外の勝負』『升田幸三の孤独』『最後の握手』(3冊全てマイナビ)と、計4冊持っています・・・改めて読むと、木村名人ら大棋士相手でも、敬称略で『上から目線』の文章が多く、『すごい文章だなあ』と驚くことしきりでしたcoldsweats01。文章力のすごさはそれだけにとどまりませんが、いちいち書くと長くなるので、まとめるなら『明治・大正・昭和時代の棋士達を、あれだけ細かい伝記で残せた棋士はいない』と言うことです。『将棋界一の文士』とも言える棋士でした。
あとは昭和一ケタ・10年代・20年代・30年代棋士(二上~谷川世代)を田丸先生が、40年代(羽生、森内世代)以降の棋士を先崎先生が、伝記として残してほしいですねhappy01
ぜひよろしくお願いいたします。
河口先生、お疲れ様でした。
原田泰夫先生、山田道美先生、芹沢博文先生、真部一男先生、米長邦雄先生には会えましたか?
どうぞゆっくりお休み下さい。
謹んでご冥福を、お祈りいたします。合掌・・・crying

投稿: S.H | 2015年2月 1日 (日) 23時22分

河口先生の著書はほぼすべて拝読させていただいており、いつかご著書にサインをと思っていましたがかなわなくなりました。
将棋を良く知らない人でも河口先生の本は読み物として面白く引き込まれて行きます。
訃報を聞いたのはくしくも昨年8月末に刊行された「羽生世代の衝撃~対局日誌傑作選~」を読み返していた時でした。
河口先生の味わい深い文章をもう読めなくなってしまうのかと思うと残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

投稿: こうめい | 2015年2月 2日 (月) 10時23分

河口七段の文章大好きでした。「対局日誌」は昭和~平成の将棋界を知るバイブル的な書籍で、古書店をまわり集めたものです。
中でも、大山名人のタイトル戦での裏話や中原名人の羽生名人若かりし頃へのコメントなど、印象に残るものが数多くありました。
ご自身の奨励会年齢制限のお話などは、将棋界の厳しさを私が知るきっかけともなりました。
残念だなぁ・・・・これからも将棋界の中心棋士はもちろん、加藤九段、内藤九段、桐山九段など重鎮の逸話を書き続けてほしいと願っていました。
棋譜の奥深さを知ることのできない私にとって、将棋界とファンを繋ぐ大切な方でした。
謹んでご冥福をお祈りします。

投稿: 見る将棋ファン | 2015年2月 2日 (月) 12時23分

川口先生のことはお名前とお顔だけは知っているという程度でした。最近は観戦記などの関係で控室などや対局室での様子を映像などで拝見してはいました。将棋を指す方は淡泊だったのでしょうか、文筆の方を皆さんはコメントされていますが。あの芹沢さんというイメージを私は思い浮かぶのですが、「将棋の美学」ですか、それに近い将棋棋士だったのかなと回想しています。ご冥福をお祈りいたします。

投稿: 散歩人 | 2015年2月 4日 (水) 12時17分

河口先生といえば芹沢先生ですね。芹沢先生はTVタレントとしても華やかでしたが河口先生は将棋界だけだった気がしています。これは当然なことでいい普及活動をされていたと思います。マスコミでの露出も内藤先生、大内先生、有吉先生、米長先生、そしてひふみん先生と将棋界の普及にも両極端があり、地味でしたが河口先生も大いなる貢献者です。八段贈位はいいですね。田丸先生は露出、地味と両方の面を持たれた存在です。河口先生からの遺産も多く記憶などにあると思いますので少しでも生かしてほしいと思う次第です。
河口先生のご冥福をお祈りします。

投稿: 千葉霞 | 2015年2月14日 (土) 11時10分

初めまして。河口七段(追贈八段)の訃報には驚き、我が目を疑いました(最近、大動脈瘤で突然お亡くなりになる著名人が多いようです)。
河口先生の文章というと「大山康晴の晩節」の一節、大山名人対中原八段の最終第七局について書かれたものを思い出します。また、「対局日誌」はなかなか手に入らず、地元の図書館で全巻借り出して期限までに必死で読み終えました。「将棋世界」連載中の木村十四世名人の評伝はどうなるのだろう、と案じておりましたが、やはり3月号の第20回が絶筆でしたか。まことに残念です。
末筆で失礼かとは存じますが、田丸先生のご健勝をお祈り致します。

投稿: 周利槃特 | 2015年2月19日 (木) 16時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545452/61068208

この記事へのトラックバック一覧です: 将棋界の語り部・河口俊彦八段が78歳で死去: