将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2014年12月 1日 (月)

櫛田六段が『NHK将棋講座』の自伝で綴った棋士人生と師匠の田丸への思い

発売中の『NHK将棋講座』12月号の「棋士道 弟子と師匠の物語」で、櫛田陽一六段が自身の棋士人生と師匠の私こと田丸昇九段への思いを自伝として綴っています。その自伝の内容を元にして、櫛田六段の足跡を次のように時系列で列記してみました。

《中学2年のときに将棋漫画『5五の龍』(作・つのだじろう)を読んで将棋を覚えた。千駄ヶ谷の将棋会館に通って上達した。奨励会に入りたかったが、家庭の経済的事情であきらめた。17歳のときに支部名人戦・都名人戦で優勝、アマ名人戦で4位と活躍した。田丸が主宰したアマ強豪との研究会に参加した。それが縁で18歳のときに田丸の門下で奨励会に1級で入会した。奨励会では羽生善治、佐藤康光、森内俊之とよく対戦した。22歳のときに森内三段に勝って四段に昇段した。1989年のNHK杯戦・1回戦の高橋道雄八段との対局で朝寝坊して遅刻し、対局後に解説者を務めた田丸と一緒に関係者に謝罪した(翌年に四段としてNHK杯戦で初優勝)。2012年に負けたら引退となる竜王戦の田丸との「師弟対局」で、全力を出して戦って勝った。その次の対局に敗れて、47歳で引退が決まった。後日に田丸一門が櫛田の引退慰労会を開いた》

私が櫛田と初めて会ったのは32年前の1982年でした。当時17歳の櫛田はアマ棋戦で大活躍していて、アマ棋界の若きヒーローでした。多くの将棋少年たちがプロをめざした中で、櫛田は断固としてアマにこだわり、プロ棋士に敵愾心を燃やしていました。その背景には、アマ棋界のカリスマ的存在だった小池重明さん(80年と81年のアマ名人戦で連続優勝)の影響がありました。櫛田は小池さんの破天荒な人生に憧れていたのです。

その小池さんは酒やギャンブルに明け暮れて荒れた生活を送り、83年に経済的に困窮した末に金銭トラブルを起こしました。私はそんな話を聞いて、定職に就いていない櫛田の将来が気になりました。小池さんの二の舞を心配したのです。そこで奨励会入会試験の受験を強く勧めました。櫛田は頑なに拒否しましたが、やがて私の説得に応じました。じつは、私は櫛田が奨励会受験を決心した一番の理由を『NHK将棋講座』の自伝を読んで初めて知りました。

83年6月に21歳の谷川浩司・新名人が誕生しました。その谷川名人が同年の夏、プロ棋士やアマ強豪がよく出入りしていた新宿の将棋酒場「リスボン」にだれかと一緒に来たそうです。酒場には櫛田もいて、周囲の人たちに勧められて谷川名人と将棋を指すことになりました。結果はもちろん櫛田が負けました。しかし櫛田は胸の中に熱いものが込み上げてきて、「もう一度、あの谷川名人と戦いたい。それにはプロになる必要がある」と思うように至ったのです。

それから5年後の88年。櫛田四段は全日本プロトーナメントの決勝に勝ち進み、谷川王位と3番勝負を戦いました。結果は櫛田の2連敗でしたが、奨励会に入ったときの願いを叶えました。櫛田は93年のNHK杯戦・2回戦で谷川王将に勝ち、3回戦で私との「師弟対局」が初めて実現しました(結果は櫛田の勝ち)。

櫛田は自伝で私について、奨励会時代に将棋を指して教わった、経済的に助けられた、食事やお酒をご馳走になった、と書いています。当時の私は棋士として上昇指向だったので、櫛田とは切磋琢磨するために将棋をよく指しました。櫛田の生活面については、私の友人の実業家の方が何かと援助してくれました。

櫛田の自伝には書かれていませんが、順調な滑り出しだった櫛田の棋士人生は、その後に私生活で思わぬ落とし穴があって暗転しました。師匠の私も、とばっちりを受けました。しかし、それも今となっては昔の話です。自伝の「田丸先生の弟子になって本当に良かったと思う」という結びで、過去のいろいろな苦労を忘れた思いになりました。

櫛田は引退棋士となった現在、子どもたちへの指導に力を注いでいて、「負けてあげて自信をつけさせるのが今の自分の仕事」と語っています。

|

裏話」カテゴリの記事

コメント

「NHK将棋講座」12月号の櫛田先生の文章、興味深く拝読しました。田丸先生の文章と合わせて読むとなおさら良く分ります。有り難うございました。

田丸先生はA級八段に昇る棋士としての盤上での活躍に加え、山田道美九段の伝記の上梓(とても意味が大きい本だと思います)、その他の執筆活動、このブログを開設なさっての将棋界の広報活動、連盟理事としての活動など盤外で様々なご活躍をなさっています。

櫛田先生が引退なさった時も田丸先生がブログで書いておられましたが「そのままだと小池氏の二の舞になりかねなかった」将棋の大才を持つ櫛田少年が棋士として世に出ることに、田丸先生が陰になり陽になりお力になられたこと、櫛田先生がそれを深く徳としておられること、誠に美しいと思います。

投稿: オヤジ | 2014年12月 2日 (火) 10時36分

師匠と弟子のお話、いいですね。、47歳で引退は早いですね。何かもっさりとしていたイメージの櫛田先生でしたが(風貌からの個人的な感想)、ここ一番では力を発揮していました。。「奨励会では羽生善治、佐藤康光、森内俊之とよく対戦した。22歳のときに森内三段に勝って四段に昇段した」は田丸先生の名文でしょうか。小池さんは松田先生との物語がありました。プロへの道は大山先生以下の反対でダメだったようですが、小池さん自身を見られたということでした。生活環境の乱れだったようですね。将棋の道も大変厳しいというところでしょうか。櫛田先生はよかったですね。

投稿: 千葉霞 | 2014年12月 2日 (火) 12時33分

師弟関係の素晴らしさ、そして櫛田先生の波乱の人生を
思い起こし感動しました。
早すぎる引退というと永作五段を思い起こします。
それぞれの事情や思愛はあるのでしょうが、傍目には
勿体なく思ってしまいますが、決断した本人には必要な
ことだったのでしょうね。
後進の育成で櫛田先生の活躍をお祈りいたします。

投稿: 1将棋ファン | 2014年12月 2日 (火) 20時54分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 櫛田六段が『NHK将棋講座』の自伝で綴った棋士人生と師匠の田丸への思い: