将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2014年8月 7日 (木)

80歳で死去した作家で将棋を愛好した渡辺淳一さんのお別れの会

80歳で死去した作家で将棋を愛好した渡辺淳一さんのお別れの会

80歳で死去した作家で将棋を愛好した渡辺淳一さんのお別れの会

80歳で死去した作家で将棋を愛好した渡辺淳一さんのお別れの会

80歳で死去した作家で将棋を愛好した渡辺淳一さんのお別れの会

4月30日に前立腺ガンによって80歳で死去した作家の渡辺淳一さんの「お別れの会」が、7月28日に東京の帝国ホテルで執り行われました。

写真・上は、紅白の花で飾られた祭壇。数多くの著作を世に送り出した作家らしく、本を見開きにしたような形です。

会場には生前に親交があったメディア関係者,作家、芸能人、愛読者など、約900人が参列しました。渡辺さんは将棋を愛好しました。そんな縁で私も出席しました。

式典では作家の北方謙三さんと林真理子さんが弔辞を述べました。北方さんは「渡辺さんと初めて会ったときは《北方さん》と呼ばれ、やがて《北方くん》《お前》と変わっていきましたが、酒場で文学について激論したほど親しくさせてもらいました」と語りました。林さんは「渡辺さんには以前から何かと励まされました。出版界は厳しい状況にありますが、出版文化を盛り立てていくことをお誓いします」と語りました。

喪主で夫人の渡辺敏子さんは「主人は自宅で半年ほど療養していましたが、苦しみはなく安らかな日々でした。亡くなった日も、訪問医の診察を受けて普通に過ごしていましたが、その日の夜に静かに旅立っていきました」と挨拶しました。

写真・上から2番目は、渡辺さんの小説『失楽園』の映画に主演した女優の黒木瞳さん。「渡辺さんのほかの作品でホステス役を演じたときは、渡辺さんに勧められて銀座のクラブに1週間ほど勤めました。渡辺さんは毎日のように来てくれました」と語りました。

渡辺さんの作品のドラマに出演したり交流があったほかの芸能人は、津川雅彦さん、豊川悦司さん、石田純一さん、三田佳子さん、名取裕子さん、川島なお美さん、秋吉久美子さんらを会場で見かけました。

写真・上から3番目の右は田丸、左は俳優・映画プロデューサーを経て東映グループ社長を今年まで12年間にわたって務めた岡田裕介さん(現在は同会長)。岡田さんは学生時代から将棋を愛好し、私はそんな縁で以前から知り合いでした。

岡田さんは「渡辺さんとは将棋、囲碁、ゴルフでよく遊びました。昭和の最後の日(1989年1月6日)の夜には翌日の平成にかけて、渡辺さんとある出版社の企画で4時間も将棋を指し、見事に負かされました」と語りました。

写真・下は、40年ほど前に自宅で将棋を指す渡辺さん(当時42歳)。左手に水割りウィスキー、右手にタバコを持ち、いたって寛いだ姿です。しかし盤面を見つめる表情はとても真剣で、いつもひたむきに将棋を指していました。※写真は田丸が撮影。

渡辺さんは熱心な将棋愛好家でした。当時から自宅に将棋好きの知人たちを集めて、定期的に将棋会を開いていました。私は20代半ばの五段時代、その将棋会の参加者と知り合った縁でたまに訪れました。メンバーの平均棋力は初段ぐらい。お酒を飲みながら和やかな雰囲気で将棋を楽しんでいました。その将棋会は渡辺さんの仕事の都合で休止した時期もありましたが、2年ほど前まで続いたそうです。

渡辺さんの作品は、かつての本業(整形外科医)の経験を生かした『光と影』(直木賞を受賞)『小説・心臓移植』などの医療もの、『遠き落日』(野口英世がモデル)『花埋み』などの伝記もの、『失楽園』『愛の流刑地』などの恋愛ものに分かれます。晩年は中高年の生き方をテーマにした作品が多くなりました。1年ほど前には、認知症や不能のテーマで実際に福祉や介護の現場を取材したそうです。渡辺さんはまさに生涯現役を貫いた人生でした。

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コメント

以前、田丸先生がかつて「カメラ棋士」でおられたことを書いておられたのを記憶しますが、渡辺淳一さんのポートレートはてっきりプロが撮ったものと思いました。フィルムは今のデジタル一眼と違って感度が低いですから室内でのスナップは容易ではなかった訳ですが、見事な「作品」になっていると思います。

投稿: オヤジ | 2014年8月 8日 (金) 11時49分

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