将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2014年7月10日 (木)

女流棋士パーティーのリレートークで田丸が40 年前の経緯を語る

女流棋士パーティーのリレートークで田丸が40<br />
 年前の経緯を語る

6月29日に盛大に開催された「女流棋士発足40周年記念パーティー」(東京・渋谷のセルリアンタワー東急ホテル)では、「40年の歴史を語るリレートーク」というコーナーがありました。青野照市九段、深浦康市九段、私こと田丸昇九段、清水市代女流六段など7人の棋士と、カメラマンと観戦記者の方がそれぞれの思いを壇上で語りました。

写真は、右から田丸、聞き手の安食総子女流初段。※撮影は『将棋世界』。

私はリレートークの2番目に登場し、女流棋士発足の経緯を次のように語りました。

「本日の列席者の中で、40年前の1974年(昭和39年)の秋に女流棋士が誕生したことを最も早く知ったのは私だと思います。私は当時、将棋連盟で公式戦の日程を決める手合係を務めていました。10月に理事の二上達也九段から女流棋士と女流棋戦の発足を初めて知らされ、大いに驚いたものです。事の発端は、ふとした縁がきっかけとなり、連盟と報知新聞社が女流将棋について話し合ったことです。そして水面下での交渉の末に、6人の女流棋士誕生と報知の女流棋戦創設がわずか2ヶ月で決まったのです。スポーツ紙の報知は、プロ野球のシーズンオフの期間は文化面を明るい話題で盛り上げたいと考えていて、その編集方針と華やかな女流将棋が合致しました。連盟の副会長だった大山康晴十五世名人は、スポーツの世界のように将棋界も男と女にジャンルを分けるべきだと、女流棋士制度の設立をかねてより提唱していました。大山先生のような影響力のある棋士が女流将棋に無理解だったら、女流棋界の発展はずっと遅れたことでしょう。40年前にいろいろな
方たちの尽力によって、女流棋士と女流棋戦が誕生しましたが、陰の功労者は大山先生だと思います」

ちなみに現在の報知新聞はスポーツ紙ですが、大正から昭和初期の時代は一般紙でした。プロ棋戦を主催して将棋欄がありました。木村義雄十四世名人は青年時代、報知に嘱託として入社して観戦記を連載しました。報知と将棋界はもともと縁が深かったのです。

「もうひとつの女流団体と、フリーの中井さんは、女流棋士パーティーに招待されたのでしょうか。林葉さんもお元気なら、ぜひ招待される方だと思います」という内容のコメント(7月6日)は《古代子孫》さん。「女流棋界は、蛸島さん、林葉さん、中井さん、清水さん、里見さんと流れが続いてきました。どなたが欠けても、今の女流棋界はなかったのではないでしょうか。とにかく紆余曲折はありがちです。そこから融和がまた生まれるといいと思います。これからも女流棋界を応援していきましょう」という内容のコメント(7月8日)は《囲碁人》さん。

女流棋士発足40周年記念パーティーには、女流棋士の草分けの蛸島彰子女流五段が所属する日本女子プロ将棋協会(LPSA)の女流棋士たちは参加しませんでした。フリーの立場の中井広恵女流六段が贈ったお祝いの花束が会場に飾られましたが、当人は参加しませんでした。体調が良くないという元女流棋士の林葉直子さんも参加しませんでした。

前記の女流棋士らは、パーティー主催者の将棋連盟・女流棋士会から招待されなかったのか、遠慮して参加しなかったのか、そのあたりのことはわかりません。

将棋連盟とLPSAの関係は、LPSA側の「女流棋士認定」と「不戦敗」の問題が響いて、この3年ほどは深い溝が生じていました。しかし今年の6月、連盟と新体制となったLPSAとで、女流棋戦を円滑に運営するための「合意書」が締結されました。厳冬からようやく雪解けになった感じです。今後は、少しずつ融和していくことでしょう。

だいぶ先の話ですが、10年後の2024年に、将棋連盟は創立100周年を迎えます。同時に女流棋士発足50周年となります。そんな大きな節目の年に開かれる記念祝典は、すべての棋士と関係者が所属や過去にかかわらず、一堂に会してお祝いすることが望ましいと、私は今から思っています。

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コメント

田丸先生お疲れ様でした。
今回は女流棋士への特別昇段はなかったのでしょうか。記念式典では様々な催しがあったようですが、功績に対する昇段もどうだったのかと「ふと」思った次第です。清水さん、中井さんあたりは7段、里見さんは6段と予想だけはしていました。(当然勝手な予想です)評価点は沢山あると思います。そんなお話も聞けるといいのですが。(その他功績大の方々は多くいます)

投稿: 千葉霞 | 2014年7月12日 (土) 13時19分

田丸先生、こんにちは。女流棋士が誕生してから四十年もたったのですね。当時私は子供だったのであまり記憶がありませんが、のちに聞いた裏話では、連盟が女流棋士を急いでつくった大きな理由は、蛸島さんの存在だったということです。蛸島さんはすでに結婚されていて、お子さんがふたりもいらっしゃったのですが、非常にきれいな方だったので、連盟は蛸島さんをなんとかして使いたかった。そういう話でした。私が聞いただけの話なので、本当かどうかはわかりません。

蛸島さんには各地の愛棋家から「息子の嫁にほしい」という話がしょっちゅうあって、連盟はその都度「少女のように見えるかもしれませんが、彼女は二児の母です」といってお断りしていたという話も聞きました。遠い昔の話です。

蛸島さんが40周年に参加されなかったのは、ちょっと残念ですね。

投稿: 田舎初段 | 2014年8月 1日 (金) 11時25分

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