将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2014年6月29日 (日)

プロ並みの実力に進化した将棋ソフトと棋士との今後の関係

6月13日のブログで、あるベテラン棋士が将棋連盟総会の席上で「電王戦は棋士の人選に問題がある。最強の布陣で臨んでほしい。負けた棋士には対局料を払わなくていい」と発言したことを紹介したところ、次のような内容のコメントが寄せられました。

「会場の空気はどのようなものだったのでしょうか」《ベナユン》、「ご年配の棋士の方々は、いまだに人間がコンピューター将棋と互角以上の戦いができると思っている方が多いのでしょうか」《Britty》、「エースが打たれて負けた。エース級を5人揃えれば勝てる。そんな言い訳にしか聞こえません」《Shellby》、「電王戦で『勝って当たり前、負けて恥さらし』みたいなファンばかりならば、出場する棋士は出てきません」《通行人》、「35年ほど前に『将棋世界』のプロ・アマ平手戦でプロが初めて敗れたとき、『プロ落城の日』という衝撃的な見出しが載りました。しかし現在ではプロ棋戦にアマ枠があり、プロが負けてもアマのレベル向上を称える側面が強く感じられます。電王戦に関しても、建設的に意識が変化することを願っています」《好俗手》。

前記のベテラン棋士は若手時代、「負けた棋士には何もあげるな」と過激な物言いをしたことがあります。それを知っている私は、「久しぶりに聞いたセリフだ」と思わず苦笑しました。会場の空気は、変化や反応はとくにありませんでした。そのベテラン棋士に限らず、世代が高い棋士、将棋ソフトと指したことがない棋士は、将棋ソフトがプロ並みの実力に進化したことを認めたくない、という傾向は確かにあります。

今年の第3回電王戦で、エース級の元タイトル保持者の屋敷伸之九段、通算勝率が7割台に達している若手精鋭の菅井竜也五段らが敗れました。その結果を踏まえて、第4回電王戦の棋士の人選はとても重要になっています。ただ「タイトル戦にも主催者という大スポンサーがいますから」《通行人》というコメントのように、電王戦にタイトル保持者の棋士が出場するには棋戦主催者の新聞社との協議が必要で、現実的にその可能性は当分ないと思います。

私が若手棋士の頃は、プロ・アマ平手戦は「プロが勝って当たり前、負けたら屈辱」というような緊迫した空気がみなぎっていました。27年前に『週刊将棋』のプロ・アマ平手戦で、朝日アマ名人の小林庸俊さんが中田功四段、富岡英作五段、島朗六段、私こと田丸昇七段を連破して南芳一八段(段位はいずれも当時)と対戦したときは、観戦記者が「黒船来たる」という表現をしたほど騒然としたものです。

現代では《好俗手》さんのコメントのように、プロ・アマ平手戦はともに切磋琢磨する機会と捉えて、以前のような緊迫感はそれほどありません。プロ棋戦で一定の成績を収めたアマには、プロ編入試験への道も開かれています。棋士と将棋ソフトの勝負は社会的にも注目されていますが、いずれはプロ・アマ平手戦と同じような経過をたどると思います。

先日、ある若手棋士の感想戦を見ていたら、「将棋ソフトの『習甦』(電王戦で菅井五段に勝利)が指した手を参考にして作戦を立てました」と語っていました。また、A級にかつて在籍したある中堅棋士は、雑談で次のように語っていました。

「将棋ソフトの『激指』は強いですよ。私が指して形勢の評価関数が+1000点になれば何とか逃げきれますが、+300点ぐらいじゃ自信ありません。負けると《あなたの敗因は○○手目の◆◆◆で、そこから指し直しますか》と紅ちゃん(竹俣女流2級)の音声が聞こえるんですよ。その『激指』に私の棋譜を調べてもらって教えを乞うています。私をはじめ、『激指』門下の棋士と奨励会員は多いです。『激指』対『GPS将棋』先生のソフト同士の将棋は、まさに神々の戦いですね」

このように棋士と将棋ソフトとの関係は、今後は勝負を競うのではなく、棋士がソフトと共同研究する時代になりつつあります。タイトル戦で活躍する棋士も、いずれは専用の最強の将棋ソフトを持つことになるかもしれません。

例えば、羽生善治名人は同姓のフィギュアスケートの羽生結弦の名前と永世七冠にちなんで『ゆずりん7』、森内俊之竜王は出演して優勝したクイズ番組『アタック25』と十八世名人にちなんで『アタック18』、渡辺明二冠は竜王戦9連覇にちなんで『ドラゴン9』という名称のソフトはどうでしょうか…。

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コメント

ソフトより弱いならプロ棋士の存在価値はほとんどないですね

ソフトに教わるプロの将棋を見るよりソフトの棋譜を直接見た方が、クオリティの高い将棋を見れるわけですから、プロ棋士の残す棋譜に全く価値を感じません

プロの良い手を見てもソフトベースではね・・


もうプロ棋界もいったん解散して、64人参加のプロアマ混合トーナメントをいくつかやるぐらいでも良いかもしれないですね

ソフトより弱いならプロもアマも似たような存在ですし、区別する意味がそもそも無いと思います

弱いプロなんてもはや何の価値も無いですから、数もそれぐらいで良いでしょう

投稿: たろう | 2014年6月29日 (日) 16時39分

「電王戦にタイトル保持者の棋士が出場するには棋戦主催者の新聞社との協議が必要」というのをたまに見かけますが、いつも疑問に思いますが、何か根拠があるのでしょうか?現在もたとえば名人位の方は、王将戦に出場するために、朝日・毎日と協議しているのですか?その決まりというのは明文化されていることなのでしょうか?

投稿: YOSI | 2014年6月29日 (日) 17時22分

なるほど。他人にも自分にも厳しいあの先生なら、田丸先生が伝えて下さった「棋士の人選に問題がある。20代と30代を中心に勝率の高い棋士を選び、最強の布陣で臨んでほしい。負けた棋士には対局料を払わなくていい」という過激なご意見も得心が行きます。

私は電王戦は「見世物」以外の何者でもないと思っております。確かに面白いですが、棋士や女流棋士の対局を見る方がもっと面白いです。最近ですと奨励会初段の西山朋佳さんの将棋は男性棋士の将棋以上に見ていてわくわくします。

連盟ファンの大多数は、電王戦の結果に関わらずに将棋を極めようと日々努力しているプロに期待し、プロの指す将棋を楽しんでいるはずです。もっと自信を持たれて大丈夫ですよ。

投稿: オヤジ | 2014年6月29日 (日) 17時26分

本日は激辛コメントが多いですね。ソフトが(師匠)ベースのプロは?との意見は??ではないでしょうか。ベースのベースはプロの棋譜なのですから、開発者がいくら頑張ってもネタ元は作れないのです。羽生先生らの最強指し手を現行では最高といわれるCPUでアレンジメントしているに過ぎないのですから。CPUもAIといわれて久しいですが、考えるというかCPUが自分で応用するAIに進化していますね。プログラミング:ああ指せ、こう指せと参考データーを用いてプログラミングすることが簡単なのですね。そんな時代なのです。人の師匠は弟子にあまり指し手などは教えないそうですが、そうすると弟子は参考書を読み漁り勉強(自習)するわけですね。CPU(COM)は参考書以上の教材になるわけです。連盟での棋譜調べ、上級者の対局観戦以上に将棋実戦知識はあがることになります。勉強はやりやすいことにはなったわけですね。全く便利です。1億手読む佐藤先生をCOMがやってくれるのですから、「なんだこの手は」が「なるほど」になって当然です。現代流でいいと思います。あとは自分の物にしていくことができればいいのですが。一度COMのプログラミングの中身:ソースをご覧くだされば納得できるかも知れません。プロの先生方の勉強方法は今までがあまり良くなかったかも知れません。(マンネリ化?失礼は承知)差がつくのはなぜだろうか。才能もありましょうが、やはり幅広い勉強(修行)が必要なのではと思います。また、途中で横道にそれてしまうと(少し違うかも?仕事ですから)ダメでしょうね。プロは大変です。頑張らないとプロいらないとコメントのようにダメを出されてしまいます。厳しい。

投稿: 千葉霞 | 2014年6月29日 (日) 17時42分


あとソフトベースの棋士を先生と呼ばせることには無理がありませんか?


棋士の師匠がソフトならば、ソフト開発者こそが先生と呼ばれるべきでしょう

棋士は良く言ってもソフトの手を解説して見せてくれるインストラクター

悪く言えば、ひたすらソフトの挙動を研究する廃ゲーマーに過ぎない

なんか今日の田丸さんのエントリー内容を見て、棋士の人たちには本当にがっかりしましたし、棋界の行く末も見えたかなと

将棋は日本の伝統文化だと思いますが、棋士がソフトに教えてもらってるのでは、伝統文化の継承者でもなんでも無いですし、むしろソフト開発者こそが棋理の追及に一番近い存在だと思いました


こういう話をバニラさんも聞いてたんですかね
そりゃ将棋ファンやめるわ・・

投稿: たろう | 2014年6月29日 (日) 19時21分

COMvs.人間(棋士)という図式については、第一回電王戦の頃には既に「電卓vs.暗算」という比喩が使われていたように思います。そもそも人間が勝てるはずがない、という意味次第ですが、第三回がCOM側の勝利に終わった今現在においても、私自身、この比喩を覆すほどの説得力のある論説を見たことがありません。
絶対に電卓には勝てないし、仮にもし人間が勝った場合、その人間に対する称賛よりもCOMへの誹りが勝るのは自明でしょう。将棋関係に限らず、我が国のソフトウエア開発はもはやそういうレベルにあります。そうでなければおかしい。また、そうでなければ、我が国の技術力がその程度だ、ということになってしまいます。電王戦出場ソフトの開発者はまごうかたなき日本トップレベルの方ばかりですので。
なので、むしろ大局的には、まず私たちはハードウエア・ソフトウエア開発の進化=技術力の進化向上を喜ぶべきなのではないでしょうか。技術立国ニッポン、ですから。

また、将棋対局としては第二回、第三回ともCOM側の勝利になりましたが、純粋な「棋力」としてはどうでしょうか。
疲労や「ポカ」といった、純粋棋力の妨げになるファクターを出来るだけ排した形での、純粋な「棋力」の戦いをみてみたいです。
開発者の方もそれを望むでしょう。COM同士の対決では得られないフィードバックが期待できますので。

最後に・・・デイープ・ブルーがチェス世界王者に勝ってから、ボンクラーズが棋士(引退されてましたが)に勝つまで、何年間空いていたか。
これが即ち、日本の技術力が世界トップレベルから何年遅れているか、ということなんだよな・・・なんて声も聞いたことが有ります。単純に比べられるものではないはずなのですが、そういう視点もある、ということで。

投稿: こめ | 2014年6月29日 (日) 23時04分

2014年6月29日 (日) 17時26分の投稿で「連盟ファンの大多数は、電王戦の結果に関わらずに・・・」と書いたのは「将棋ファンの大多数は、電王戦の結果に関わらずに・・・」の誤りです。失礼いたしました。

投稿: オヤジ | 2014年6月30日 (月) 01時09分

誰とはいいませんが、極端なコメントも自由ですが「気持ちの吐露」になっていて意見としては片手落ちですね。こめさんは的を得ていますね。技術の進歩はすごいですね。プロ棋士の棋譜データーからここまでCPU将棋を強くしているのですから、勝又先生あたりでしょうか「そもそもの発端」は!その前からあったのですが、理論と応用はこの先生とその周辺のアマチュアの方と大学の研究室だったと記憶しています。それとITの格段の進歩がありました。ソフトではなくその開発者を師匠と呼べばいいは良いとも悪いとも判断の迷うところですね。どなたかのデーターのネタ元はプロの先生の棋譜、考え方等とありましたがこれが一番的を得ています。従来の将棋ゲームも結構強かったですが、今騒がせているソフトはそのハイバージョンというところですね。強いですよ。羽生マジックや新手(驚く手)が多いのですから(確認してみると本手が多そうですね)力入れないと負けますね、プロでも。また、7月に菅井先生のリベンジ戦がありますが、これは時間も長く逆にCPUは問題なくても(プロも問題なさそう)、開発者の方の同席はかなり厳しいのではないかと懸念されます(体力等)。上手く環境を整えてあげて欲しいです。

投稿: 囲碁人 | 2014年6月30日 (月) 09時42分

ソフトはプロの棋譜を元にしているからプロもすごい


こういってる方何人かいますが、現在磯崎氏などは機会学習の技術の応用で過去のプロの棋譜を全く使わないプログラム開発もやってますよ
プロが1から全てソフトに教えてもらう時代もそう遠くないかもね

投稿: 一応参考まで | 2014年6月30日 (月) 14時42分

タイトル保持者は別棋戦の参加に制約あるか?に、対して素人ながら、お答えしたい。答えはNOです。但し飽くまでも僕の想像で事実とは異なります。理由は以下。まず、スポンサー、イコール棋士の収入源なのでスポンサーのご意向が最優先。各棋戦同士は互いに否定し合わない。それは、プロ同士が戦い合う限り、プロ全体の価値に影響ないから。しかし、プロ対プロ以外の戦いは、プロが負けた場合、プロの価値が低下する。すると、棋戦の価値が低下するのでスポンサーは怒る。東大対NEC戦エキシビションで片上さんと瀬川さんが出てスポンサーから、プロの安売りだとクレームが来ました。安易にプロの棋譜を披露する事も、プロの棋譜の希少価値が薄まる、安易にプロとアマが同期戦で戦う事もプロの特異性が薄まり連盟の運営力のなさが悲しまれます。プロがコンピュータに負けて視聴率がプロからコンピュータに移ったり共に視聴されなくなった場合、当然、プロも棋戦も収入が減る為プロはがっかりし、スポンサーはスポンサー以外のエキシビションで安易に戦った事にクレームをします。経営が協力的でないと批判します。これらの事は、抽象的には逃げの姿勢なので、大々的に発表する程の物でもないが、連盟にとっては、責任転嫁言い訳に成っている気がする。飽くまでも僕の想像で事実とは異なります。

投稿: | 2014年6月30日 (月) 18時40分

今回も先生の素晴らしいブログに御礼申し上げます。「普通に指せば勝てる」「勝てる面子を揃えた」のコメントに期待しただけに、1勝4敗は腹立たしく、「これでは恥ずかしくて友達に電王戦の視聴を勧められない」と私は思いました。友達はSEで「コンピュータに勝てるわけない」「ソフトで練習出来たら勝てるに決まってる」と言って興味無しです。友達は幼馴染で将棋友達でした。もう勝ち越す気がないなら、次回は「いい勝負が出来る面子を揃えた」と言って欲しい。「今回も厳しい戦いになるが可能な限り面子を揃えた」と仰って欲しい。そうしたら僕も「プロも精一杯頑張っているよ」と素直に友達に勧められます。そして、田丸先生のブログでコンピュータとプロの関係を詳しく披露して下さった事に深く感謝の意を表したい。そして、田丸先生がいつもファンのコメントに対して返事を書いて下さる事にも感謝したい。ニコ生の視聴者参加システムにも似たファンサービスですね。有難う御座います。

投稿: | 2014年6月30日 (月) 21時56分

機会は機械(学習)ですね。CPUが自ら行動するのですね。どなたかお話ししたようにCPUは格段に進歩しているのです。一応過去の棋譜をもとにプロもCOMも将棋を指していきます。その中の体験がCOMの自ら計算する能力が発揮できるようにしておくわけですね。プロは常にこれをしているわけです。(人間ですからね)あとはデーター数と計算能力(応用)の差が勝敗を決めていくのではないでしょうか。機械学習!まだまだすごくなりますよ。また、ソフト開発者は師匠と呼ばれるよりは「連盟」やペンクラブみたいな将棋関係の団体から「発明大賞」「将棋大賞」「プロ高段賞」などの表彰を受ける方がうれしいかも知れません。「強い」「このやろう」「対戦環境が人に不利」など言わせない「連盟」が見たいです。「升田賞」部門の技術賞100万円にはピタリではないのかな?対戦の前にCOM、開発者への礼儀が欲しいですね。事実、全然勝てないわけですから。また、リベンジ戦はやめた方がいいと思います。少し情けないです。開発者も「情け」をかけない分けにいかないでしょう。初めのお一人と今度対戦予定のお方、みじめですから本分を頑張った方がいいと思います。期待しています。(菅井先生?)ご検討をお願いします。

投稿: IT男 | 2014年7月 1日 (火) 17時33分

田丸先生、私の投稿内容にフィードバックいただき、ありがとうございました。

現在は、「コンピュータとプロ棋士とで何れが強いのか」を検証している過渡期であると私は考えます。検証結果が何れであるのかが問題ではなく、勝つことを前提に取り組む先生方の姿勢が重要であると思います。ソフト開発に携わった方々が「プロ棋士の英知に挑む」気持ちであったのと同様に。

ただし、まずコンピュータを先生方御自身の実戦対局対策にいかに活用するかが先決で、その延長にコンピュータとの勝負に何らかの活路があると考えます。活用することでコンピュータ将棋の性質が自然と体得されてコンピュータ対策に結びつく原理です。

投稿: 好俗手 | 2014年7月 2日 (水) 04時00分

名前(愛称)無で他のコメント者に噛みつく人出てきましたね。(悪いことではないが)ここで自分の主張ばかり言い張るのは田丸先生に大変失礼かと思います。名無さんはいいこともコメントしているのに残念です。リベンジ戦のことですが、「情け」ですか、無いとも、あるとも「いえる」のではないでしょうか。COMも負けるとバージョンアップしてきたり、一部内容を変えたりしていますが、プロも練習ですね、死ぬほど練習をされてから対戦するのでしょう。「もしかして」師匠的立場(いや大先生?)であればある意味指導将棋気分になる可能性もあるのではないだろうか。製作者のさじ加減はあるのか、ないのか。「結果COMの敗戦}、製作者は「頑張りました。私の能力不足でした」といえばそれまでですね。「今日のS先生はリベンジに燃えていて、強かったですね」とも言ってくれそうですね。COM、製作者に初めだけではなくて、終わりも礼儀は必要ですね。気を使わせないことですね。(PC対戦でプロは対局料が出るそうですが、COM側にはどうなのでしょうか?COMプロですから)プロの先生方は結構前からCPUを利用して棋譜の勉強をされていたと聞いています。連盟に通わなくてもよくなりいろいろ便利になった。などとも聞いていました。指し手研究にはもってこいですね。機械学習もできるのならさらにいいですね。師匠というよりは「アイテム」でしょうか。勉強に偏りがなくなるとも思われ、時代にあった(時代がもたらした)学習方法の一つととらえた方がいいのではないでしょうか。

投稿: 囲碁人 | 2014年7月 2日 (水) 10時42分

コメントを紹介していただき、先生には感謝です。


「プロって何?」
「50年後の将棋界は?」
「ファンって何?」


つまり、今の将棋界はそれが問われているのだと思います。
「プロ=最強」とは言えなくなった。じゃあ、プロとは何か?ということになるかと思います。

他の種目も参考にはなるかもしれません。
チェスやオセロで最強のコンピュータに勝てる人間はいません。
それでチェスやオセロの人口は減ったか?コンピュータに勝てないのに、人間の世界一を目指す人間は愚かな人間なのか?否、それはないと思います。

Jリーグもレベルは欧州リーグに比べれば劣りますし、将来追いつくとは到底思えません。
じゃあ、存在価値はないか、と言われれば違います。
(たとえとしてはちと違う感じもあるが)


また、どうぶつしょうぎは後手必勝で完全解析されています。
チェッカーも後手が引分以上で解析されているとか。
もう、これらは存在価値はないのでしょうか?それもないとおもいます。


そもそも、コンピュータで勉強しているからって、プロ対局での相手は人間です。
(ID野球ってありましたけど、これも実際にプレイするの人間ですし)

そこにプロの存在意義があるのではないでしょうか。


ただ、これはプロだけじゃなくて、ファンとしてもファンはどうあるべきか問われているのかもしれません。


コンピュータは敵ではないし、すべきでもない、ということですかね。
それと、コンピュータ同士の対局の商業化って個人的には味気なくて嫌だな、というはありますが。


P.S.
少なくとも「俺は将棋界の王だ。ああ、プロどもは情けない」みたいなスタンスで語りたくありませんし、語るべきではありません。
コンピュータもプロに対してもリスペクトは必須です(批判すべきところはすべきですがね)。我々は間違いなく将棋は弱いし、取り組む姿勢等々もプロよりも劣っているのは誰が見ても明らかでしょ?

投稿: 通行人 | 2014年7月 3日 (木) 00時09分

連投失礼。話題が別ですので。

「タイトル保持者を出すのに主催者との協議が必要か」という話についてです。

個人的にはすべきだと思います。

主催者からすれば、タイトルホルダーとは「我が社が認める最強棋士」という位置づけだと思います。
その看板を全面に出して負けた場合、主催者のメンツ丸つぶれに等しくなる可能性がある以上、協議は必要でしょう。


プロレスのベルトみたいなイメージじゃないかと(知らない方ごめんなさい)
3冠やIWGP,GHC等のベルトを巻いて堂々と入場して、試合に負けたら、そのベルトの価値は下がります。
だから、ベルト保持者って他の団体の興業にあまり出ないのは団体がそういうリスクが分かっているからだと勝手に認識しています。


他の棋戦にでるのは、タイトルは脇に置いて一棋士として参加するから問題ないと思います。
例えば羽生名人が竜王戦の挑戦者になったからって、名人・竜王のダブルタイトルマッチにならない、と言えばわかるでしょうか。


まあ、実際は「タイトルを持つ強い棋士」というスタンスで出すことになるので、主催者が拒否する理由ってなに?というところでもあるんですがね。

投稿: 通行人 | 2014年7月 3日 (木) 00時21分

一言失礼します。初めて書き込みます。

 人間よりコンピューターが強いという状況が、チェスであれ将棋であれ、プロにとってプラスであるわけはないと思います。なぜならそのような状況のもとでは、人間の中で一番になった最強の人間はコンピューターに歯が立たない、ということになるわけですから。ファンが見たいのは、人間対人間の勝負などということではなく、最強の将棋だと言うべきでしょう。例えば、
http://goo.gl/NiAYg8
はコンピューター将棋の棋譜ですが、これほど強い攻め(先手の)を見たことはめったにありません。見ごたえのある棋譜を作れてこそのプロでしょう。

 電王戦の開催の是非について特に意見はありませんが、もしやるのなら、プロは徹底的にソフトを研究して、バグを突くのでも何でも構わないので、とにかく勝つ作戦を練って出場してほしいと思います(菅井五段が特にコンピューター対策をしなかったなどと言っていたのは、戦い方として全く間違っています)。勝負事の世界で、負けても良い、参加することに意義がある、などということはありえません。

 その関連で思うのは、今年のコンピューター将棋選手権の棋譜をいくつか眺めた時に、序盤が何とも異様だったことです。プロの棋譜ではまず見られないような、素人的と言ってよい序盤がいくつも見られたように思います。しかしそういう変な序盤を指すソフトが、電王戦ではプロに勝利したわけですから、将棋の場合には、人間対コンピューターという面においてはまだまだよくわからないこと(したがって、そこを掘り下げれば、人間がコンピューターに勝つ手がかりが見つかるかもしれない)があるように思えます。

 もう1点、指し将棋はコンピューターの登場によって危機にさらされていると言ってよいでしょうが、これに対して詰将棋の世界は、長手数の問題を解けるコンピューター(さらには詰将棋が作れるコンピューター)が登場したからと言って、人気が急落したなどということは全くないように思われます(むしろ、余詰対策にコンピューターを使うなど、創作の補助手段としての使用が定着しているのではないでしょうか)。そして人間は相変わらず、頭をかかえながら詰将棋の問題を解くことを楽しんでおり、詰将棋作者の創作意欲がコンピューターの登場によって減退したということもないように見えます。指し将棋と詰将棋は全く別物だと言ってしまえばそれまでですが、それでもしかし、ここにも何か、将棋における人間とコンピューターの関係について考えるためのヒントがあるように思えます(どういうヒントが、というところまでは私にはわかりませんが)。

投稿: vox_populi | 2014年7月 5日 (土) 00時07分

まずは別エントリの話ですが、あえて。田丸先生、今期初勝利おめでとうございます。

コメントを取り上げていただき、お礼申し上げます。第2回電王戦当時自分のブログにも書きましたが、当時わたくし自身はネットワーク運用担当者の方をまずもって応援しておりました。小学生からの将棋ファンなのにと我ながら不思議でしたが、亡夫がその関係の仕事をしておりましたので、どうしても心情的にシステムトラブルの際の諸事苦労に気が飛んでしまうのです。二者択一を迫られればおのずと己が出るのだなと当時他人事のように面白く覚えたのを思い出します。このエントリのみなさまの活発な議論を見るにつけ、そのことを思い出します。やや舌鋒鋭すぎる方もおられるようですが、機械と人間の関係とは何か、それを各々がどう捉えているか、電王戦という場が明るみに出して、そうしてこの課題が未解決であるゆえにどなたの答えも決定的なものたりえず、電王戦自体は他人事なので自由にものが言える半面、各々の生活の場からきたるがゆえに、そのことばには余裕がない。失礼ながらそういうことなのかなあとコメントを拝読しながら思いました。
プロ棋士としては発言しにくいことも多々おありかと存じますが、田丸先生が勇気をもってこの話題を継続的に取り上げておられることに感謝しております。今後もいろいろとお教えいただければ幸いです。

投稿: Britty | 2014年7月16日 (水) 01時51分

プロ棋士がソフトベースで何か問題あるでしょうか?
解析という行為はあらゆるゲーム、スポーツで行われ、競技者にフィードバックされています。
将棋だけが特別というのはおかしい話です。
サッカーに至っては、データ収集によって選手の走行距離や動き方、パス、シュート、ドリブル、ミスなどのプレーを得点化して選手の能力評価を行っており、スカウティングに大いに役に立っています。
野球に関してはバッティングや投球フォームを解析して効率の良いものを追及する流れです。アメリカの映画でデータ化して戦う球団の話もありました。
ソフトは所詮ツールです。何を恐れているのか分かりません。まるで自分の自尊心を傷つけられてるかのようなナーバスな方が多い。
ソフトによる解析を使いこなす棋士が今後台頭してくるはずなので、楽しみです。

投稿: マン | 2014年8月 2日 (土) 13時34分

ハードの能力を大きく制限し、ソフトを強制的に借り出して、その後の更新を許さない。これほどにプロ棋士側が有利なハンデ戦をやったのに、若くて伸び盛りの菅井さんが二度とも勝てませんでした。もう勝負はついたと思います。ソフトの貸し出しをなくし、わざと弱くするというような余計なことをせずに堂々と戦うならば、たとえ誰が出てもコンピュータ将棋にはもう勝てないでしょう。

将棋連盟はいまなお負けたとは言わず、羽生さんや森内さんを電王戦に出さないことで、「羽生さんなら、きっとなんとかしてくれる」という幻想を意図的にふりまいています。何かを守ろうとする人は、ウソをつかなければなりません。私は森さんとちがって人選に問題があるとは思わず、負けてもぎりぎりごまかしのきく見事な人選をしていると思います。

どこまでごまかしきれるのか、それが心配です。現実にごまかされているのは、連盟にごまかされてやろうと思っている、好意的な人たちだけになってきているからです。プロ棋士はコンピュータ将棋と互角のたたかいができるという幻想は、多くの将棋ファンの共有するものではすでになくなっています。どこかで落とし前をつけないといけないのですが、将棋連盟にはそこまでの覚悟がまだありません。

きびしい時代になっています。

投稿: 伍代喬介 | 2014年8月 4日 (月) 12時39分

プロって何か、といえば将棋を指すさまを見せてカネをとれる人でしょう?
その大きな、でも一つの要素として、強さがあるということですから、
電王戦の結果だけみてプロ棋戦に魅力を感じなくなった人は、黙ってファンを辞めればよろしい。
ただし、それだけだとファンは減る一方なので、プロはプロとして何とかせにゃならんでしょ。

あと、コンピュータに仕事を脅かされるということは社会に広くあることですよ。
騒ぎすぎです。

たと、ずいぶん前の話ですけど、鉄道のスジ(ダイヤグラム)作成にコンピュータが導入された時に、
「プロ」のスジ屋が猛反対したそうですが、
あれからウン十年、今でも「人の出番」はあるそうですよ。

投稿: なりきん | 2014年8月12日 (火) 15時53分

将棋はあまり知らない者です。
10年ほど前、田丸氏の著作「将棋界の事件簿」は大変面白いと感じ、読ませていただきました。

みなさん、このテーマで、大変興味深い議論をされていると感じました。

一人の部外者として考えて、電王戦でトップクラスのプロがコンピューターに負けたことで、将棋の未来は確実に暗くなったと思います。
数十万円あるいはそれ以下のPCをこっそり使う能力さえあれば、1000万円以上の賞金を入手できるのです。
それを防ぐためには、どこかからコンピューターが導き出した最善手のサインをもらうかもしれないので、「対局中には外出してはいけない」「トイレに行くときは監視者が同行する」などのルールが必要になるはずです。
しかし「そこまでして将棋の優劣を決める価値はあるのか」「そもそも将棋が強くても、なにも世の中の役に立たない」と考える人が出てくるのは必然でしょう。
もちろん、全ての人がそうはならないでしょう。しかし、「プロに高い金を払わなくても、市販の安価なソフトを買えば、プロよりも強い手を教えてもらえる」となると、プロの存在意義に疑問を感じる人が増えてくるのは避けられないと思います。

ところで、チェスで人間がコンピューターに負けた時、賞金が激減したらしいのに、将棋でそうならなかったのはドワンゴ(ニコニコ動画)の功績(あるいは罪過)だと考えます。
「ドキュメント電王戦」を読んでも、プロ棋士の存在意義が否定されないよう、将棋の価値が否定されないよう、細心の注意を払っていたように感じます。
あれほど人間がコンピューターに負けているのに、将棋タイトルの賞金が減っていないのは、本来ありえないことだと思います。

ただ、これもプロ将棋の最後の輝きだったように感じます。
いわゆる二人ゼロサム有限確定完全情報ゲームでは、発展の止まらないコンピューターが人間をいずれ追い越すことは自明の理でした。
将棋よりも遥かに複雑な囲碁で、最強の人間がコンピューターに負けたのですから、将棋でも既に負けていることは間違いないでしょう(もし負けていないのなら、日本のコンピューター技術の低さをむしろ残念に思います)。
これから将棋のスポンサー料は減っていき、対局料も賞金も減っていくでしょう。将棋のプロも存在しなくなるかもしれません。これは囲碁界も同様になるに違いありません。
とはいえ、チェスのようにアマチュアとプロの差がなくなっても、優勝賞金のつく大会は存在し続けるでしょう。
失礼を承知で私の個人的な意見を明確に書かせてもらえれば、将棋や囲碁は知的な遊びにすぎないので、本来、それがあるべき姿だったと思います。それを仕事にして、人生をかけるくらいなら、その知性をもっと世の中の役に立つことに活用してもらいたいです。

なお、将棋のスポンサー料が減って、対局料や賞金が減っていくのは必然のように書いてしまいましたが、もしかしたら、そうならない可能性もあるかもしれません。
「将棋は世の中の役に立たない」という意見には「そんなこと言ったら、野球だってサッカーだって役に立たないだろう」と必ず反論されているようです。
その通りですが、それらは経済面で決定的な違いがあるでしょう。
プロ野球は観戦料が主な収入源なので、(プレイで感動する)ファンが減ったら消滅してしまいます。一方、プロ将棋はスポンサーからの対局料や賞金が主な収入源なので、プレイで感動するファンの数が減ったとしても、スポンサー料が減らない限り、消滅しません。
プロ将棋の主なスポンサーは新聞社やテレビ局なので、それらの企業がスポンサー料を出すほどの価値があると考えるなら、あるいは他の企業がスポンサー料を出してくれるなら、プロは存続していくのでしょう。

最後にコンピューター囲碁について書かせてもらいます。
誰もが思っていることでしょうが、囲碁で世界最強の人間を始めて倒したコンピューターが日本で開発されなかったのはとても残念です。
将棋でコンピューターが人間に勝っていることを早くはっきりさせて、「次は囲碁だ!」と盛り上げていればよかったのに、ドワンゴがそうしませんでした。
それが上でも触れたドワンゴの罪過だと考えます。
囲碁だとあと10年か20年はコンピューターが人間に勝てないだろう、と呑気なことを言っている間に、日本最強の棋士よりも強い韓国人棋士すら負かすコンピューターが現れてしまいました。
囲碁で、日本人が韓国人や中国人に負けても、「日本人が作ったコンピューターが世界最強の韓国人に勝った!」というニュースが世界中に流れることを願っていたんですけどね。
これから日本製のソフトがアルファ碁を倒すことがあるかもしれませんが、国際的にそれほどの大きなニュースにはならないでしょう。
残念です。

投稿: アルファ碁が人間に勝った後の投稿 | 2016年3月22日 (火) 00時45分

投稿を承認していただき、誠にありがとうございます。

改めて私の投稿を見て、アラの多さに自分でも呆れてしまいました。
プロ将棋とプロ野球の経済面での比較は特にひどい気がします。
また、ドワンゴの罪過によって、将棋でコンピューターが人間に勝っていることが明確にならなかったと書いてしまいましたが、これは日本将棋連盟の巧みさ(狡猾さ)により大きな原因があるでしょう。
そんなアラについては、あまり触れないでもらえると幸いです。

アルファ碁が人間最強を倒したことで、次の三つの流れは止められないと考えます。
1、囲碁の存在価値が減少していく
2、囲碁のプロ棋士の存在価値がなくなっていく
3、コンピューター囲碁の存在価値がなくなっていく

なお、2と3は極限まで進むと思いますが、1についてはある程度で止まると思います。本来の姿である、知的遊戯としての囲碁は残っていくでしょう。
ただし、大会は1日で終えられるよう、待ち時間が短くなると思います。長考の相対的価値は下がるでしょうから。

将棋も、同様の道をたどると考えます。

上のコメントにも書いた通り、囲碁で世界最強の人間に始めて勝ったコンピューターが日本製でなかったのは本当に残念です。なぜなら、アルファ碁の勝利の瞬間、次の二つの事実が確定してしまったからです。
1、これ以降、囲碁で、人間がコンピューターに勝つことはない(コンピューターは人間の脳よりも遥かに速いスピードで進化を続けるので)
2、将棋で最強の人間でも最高のコンピューターには既に負けている(将棋は囲碁よりも遥かに単純なゲームなので)
もちろん囲碁ファンは「世界最強はイセドルではなくて、本当は○○だ」などと反論したいでしょうし、将棋ファンなら「将棋は囲碁より単純と思われているが、それは間違いだ」などと反論したくなるでしょうが、大局が見える人なら、上の二つが動かせない事実であることは分かるはずです。

なお、100年後の百科事典に「囲碁でコンピューターが人間に始めて勝ったのは2016年だが、将棋でコンピューターが人間に始めて勝ったのは201x年と遅くなった。これはコンピューターと名人の実力が拮抗した頃から、日本将棋連盟が両者の対決を避けてきたことなどが原因と考えられている」と書かれるよりも、「2013年、第2回電王戦で、コンピューターが人間に始めて勝った」と書かれてほしい、と私は考えています。
というのも、改めて映像を観て、また「ドキュメント電王戦」を読んで、第2回電王戦はプロ将棋の最後を飾るにふさわしい戦いだったと感じるからです。特に第4戦の塚田氏の涙には感動してしまいます。家庭を持つ40代男性の塚田氏が思わず泣いてしまったのです。また、あそこまでナリフリ構わぬ手を打ったのです。塚田氏が目の前の局面よりもさらに広く深い大局が見えていた、つまり「ここで負けるとプロ将棋の存在意義が消滅してしまうのではないか」「あるいは将棋を指す価値そのものが激減してしまうのではないか」と頭のどこかで気づいていたからだと思います。

あと何年後に、将棋でコンピューターが人間最強の棋士に公式に勝つのかは分かりません。ただし、それがいつであろうと、第2回電王戦に感動した方なら、「将棋で人間がコンピューターに負けたのは2013年だ」と言い続けてほしいと思います。
あるいは、極端な意見になり大変恐縮ではありますが、将棋でコンピューターが人間最強の棋士に公式に勝つかどうかを決める時に「ここで負けたら将棋のプロ制度は廃止する」などと設定すれば、第2回電王戦より感動する場を与えられるのかもしれません。今すぐにそれを実行するのは極めて難しいでしょう。とはいえ、20年後まで将棋のプロ制度が存在して、スポンサー料が暴落して、プロ棋士の収入も数も減って、それでもコンピューター対名人戦を避けているなら、否応なく、そんな設定が設けられるかもしれません。しかし、そこまでいくと注目度が下がり、感動も少なくなるので、そうなる前にしてほしいです。コンピューターとの戦いを避けている間に、囲碁でコンピューターが人間に先に勝って、必然的に将棋でもコンピューターが人間に勝っていることが明らかになり、将棋でのコンピューター対名人戦の価値が下がった、という失敗を繰り返してほしくはありません。
もっとも、そんな大げさな設定のコンピューター対人間戦が行われる確率は低いでしょう。これから数年後に、名人がコンピューターに負け、それ以前からスポンサー料は減り、少しずつプロ棋士がいなくなり、いずれプロ制度そのものがなくなる、という道を将棋も囲碁も歩むだろうと推測します。
そうであるなら、第2回電王戦こそ、将棋で人間がコンピューターに負けてしまった瞬間であると記憶、記録してほしいと私は考えます。

投稿: アルファ碁が人間に勝った後の投稿 | 2016年3月23日 (水) 19時41分

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