3年連続の対戦となった第71期名人戦(森内名人―羽生三冠) の第1局の前夜祭
第71期名人戦(森内俊之名人―羽生善治三冠)7番勝負第1局が4月9日・10日に、東京・目白の「椿山荘」で行われました。
写真・上は、第1局の前夜祭での壇上の光景。左から、羽生、森内、2人おいて将棋連盟会長の谷川浩司九段。
名人戦主催者の毎日新聞社、朝日新聞社の各社長が挨拶した後、連盟の谷川会長は「名人戦の舞台に登場する棋士は、将棋の神様に愛されたようなものです。私も20代の頃は愛されたものですが…」と苦笑しながら挨拶し、両対局者の健闘を期待しました。
写真・下は、乾杯の発声の前に祝辞を述べた、将棋愛好家で両対局者とも個人的に親しい俳優の渡辺徹さん。その話が面白いので、内容を要約してお伝えします。
「私は20年ほど前から将棋を愛好しています。ヘボはヘボなりに真剣に考えて指しますが、相手のことをそれほど考えるのは、日常生活でめったにありません。森内さんと羽生さんは名人戦で3年連続で対戦し、1局ごとに2日間も相手のことを考えていますが、それって恋愛しているようなものですよ。もしかすると、オフには2人でディズニーランドに行っているんじゃないですか(場内が大爆笑)。先ほど一緒に歩いて登場したときは、まるで新郎新婦のようでした」
「森内さんと羽生さんとは、個人的に親しくさせてもらっています。森内さんとお酒を飲んだとき、私が口にした行き先の店の電話番号をつい忘れてしまうと、森内さんがすらすらと番号を言ったので、棋士の方の記憶力の良さに改めて感心しました。17年前にテレビ番組のペア将棋の企画で、当時《七冠》の羽生さんと《百貫》デブの私が組んだのですが、私がへまをして負けてしまいました。ところで最近、羽生さんと連絡がつきにくいんです。もしかすると、私の名前が渡辺明竜王と同じなので、好きになれないんですかね…(場内が大爆笑)」
森内と羽生の名人戦での対戦は、3年連続・通算8回となりました。これは大山康晴(十五世名人)と升田幸三(実力制第四代名人)の対戦数(9回)に次ぐ記録です。森内と羽生はどちらが勝っても、ともに通算8回目の名人獲得となります。
両対局者は主催紙の事前のインタビューに対して、次のように語りました。
森内「たくさんの手を読むことができた20代の頃と違い、今は感覚を重視しています。9時間という持ち時間を生かし、目先の手に飛びつかず、しっかりと考えて戦いたいです」
羽生「40代になり、今まで積み重ねてきたことをどう生かすかと考えるようになりました。勝負すべき局面、我慢すべき局面で、正しい判断ができるかどうかが課題です」
第1局は振り駒で羽生が先手番となり、羽生は相がかりの戦型を採りました。1日目ではじっくりとした駒組手順が続きました。2日目の中盤では意表をつく手がともに応酬され、対局者の構想や狙いが指し手に反映されました。
最近は、5人の棋士と5つのコンピューターが勝負を争う「電王戦」の話題が社会的にも注目されています。しかし名人戦で最高峰の棋士たちが人知を尽くして戦う様は、やはりそれ以上に見ごたえがあります。
第1局は力のこもった攻防が展開されて大熱戦となりましたが、森内が羽生の攻めを冷静に受け止めながら機を見て反撃して有利となり、終盤では一手勝ちをきっちり読み切って勝ちました。
名人戦7番勝負は開幕したばかりですが、後手番の森内が初戦で勝ったのは大きいと思います。ちなみに過去2年の名人戦での先手番の成績は、2011年は〇●〇〇●〇〇(5勝2敗)、2012年は〇〇〇〇〇●(5勝1敗)と、先手番のほうが高い勝率を収めています。
| 固定リンク
「対局」カテゴリの記事
- 5月27日に開催された女流棋士の「レジェンド」蛸島彰子女流六段の引退祝賀会(2018.05.30)
- 5月10日に開催された羽生善治竜王の「永世七冠」「国民栄誉賞」の祝賀会(2018.05.25)
- 田丸門下に入った小高女流3級と、8月に奨励会入会試験を受ける鈴木少年(2017.07.17)
- 田丸一門会で元奨励会員の近藤祐大くんの新たな人生の門出を激励(2017.06.28)
- 田丸が夕刊紙「日刊ゲンダイ」で6月22日から毎週木曜日に将棋コラムを連載(2017.06.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
田丸先生、こんにちは。椿山荘での名人戦第一局の前夜祭、名人就位式は、毎年、朝日新聞・毎日新聞の両社の社長が出席して挨拶をなさいますが、「将棋を大事にして下さっている」姿勢が伝わり、一介の将棋ファンでも嬉しいです。
名人戦が朝日・毎日の共催になる時のことは田丸先生が本で詳しく書いて下さりました。当時の騒動は凄かったですよね。実際に共催になって年月が経ち、故・米長永世棋聖がボンクラーズと対戦した頃に、開催契約が更新されたようですが、今では「ライバル新聞社同士の共催」の違和感を感じません。
「朝日・毎日の共催」というのは、当時は「そんなことが有り得るのか?」と驚いたのですが、有り得たようです。この落し所を考え出したのが米長永世棋聖だとすれば、その慧眼には敬服するしかありません。
投稿: オヤジ | 2013年4月15日 (月) 12時49分