将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2013年3月23日 (土)

升田幸三が王将戦で対局放棄した61年前の「陣屋事件」の経緯と真相

1952年(昭和27年)2月17日。第1期王将戦(木村義雄王将・名人―升田幸三八段)第6局の前日の夜に、対局場の神奈川県秦野市鶴巻温泉「陣屋」旅館で前代未聞の事態が起きました。升田が旅館に独りで着いたとき、玄関のベルを何回も押しても旅館側が出迎えない非礼に腹を立て、隣の旅館に引きこもったのです。そして升田は王将戦の関係者に対して、対局を拒否することを伝えました。

将棋連盟と棋戦を主催する毎日新聞社の関係者は驚愕し、翌日の対局開始直前まで升田を懸命に説得し続けました。しかし升田の気持ちは変わらず、ついに対局放棄して不戦敗となったのです。この61年前の出来事が世にいう「陣屋事件」でした。

その後、連盟の理事会は升田の行為を不当とし、1年間の公式戦出場停止の処分を下しました。しかし、ほかの棋士たちから「処分が重すぎる。升田を救え」という声が巻き起こりました。また、将棋を愛好した著名人たちが新聞や雑誌でその問題について喧々諤々と意見を述べ合い、賛否両論に分かれる社会的な関心事になったのです。

結局、問題の解決は一方の当事者で連盟会長でもある木村に一任されました。木村は升田に対して遺憾の意を表し、処分を白紙に戻す穏便な裁定案を下しました。以上が陣屋事件の経緯で、結果的に一件落着となりましたが、真相は別のところにあったようです。

草創期の王将戦は「3番手直り指し込み」という厳しい制度が導入されました。一方が3連勝または4勝1敗で3番勝ち越すと勝負が決着し、手合いが「香平交じり」に変わるのです。第1期王将戦は升田が第5局に勝ち、4勝1敗で王将を奪取しました。その結果、第6局は八段の升田が名人でもある木村に対して、「香落ち」で指すという歴史的な対局となりました。昔の王将戦は7番勝負ではなく、結果にかかわらず7番将棋でした。

升田は少年時代に「名人に香を引いて勝つ」という意味の言葉を物差しに書き残し、棋士をめざして郷里の広島から大阪に向かいました。そんな少年時代の夢を宿敵だった木村名人との対局で果たせるというのに、升田はなぜか気持ちが晴れ晴れとしませんでした。

升田は朝日新聞社の嘱託という身分も兼ねました。升田の宿命のライバルだった大山康晴(十五世名人)は毎日新聞社の嘱託でした。そうした新聞社と棋士の関係は、有力棋士たちが新聞社ごとにボスとして将棋欄を仕切っていた大正時代の棋界の名残ともいえます。升田と大山のライバル関係は、新聞社との関係にも微妙な影響をもたらしました。

1949年に名人戦の契約金をめぐって、連盟と毎日(戦前の名人戦創設時の主催者)の交渉が折り合わなかったとき、好条件を連盟に提示した朝日が名人戦の主催者になりました。その際に暗躍したのが升田といわれています。

それから1年後、連盟との棋戦契約を中断していた毎日が「3番手直り指し込み」制度を付帯した王将戦の創設を連盟に申し入れました。名人が香落ちに指し込まれかねない厳しい制度だけに、棋士の間には反対意見が多く、とくに升田は名人の権威にもとるとして強硬に反対しました。しかし連盟会長で名人でもある木村は、連盟の逼迫した財政を立て直すには毎日との関係を修復するのが大事だと決断し、王将戦の創設を受諾したのです。

そして1952年の第1期王将戦で、指し込み制度に最も反対した升田がその当事者となりました。朝日の嘱託でもある升田は、毎日が主催する王将戦で歴史的な対局を行うことに複雑な思いがあり、病気を理由に棄権も考えたそうです。

じつは、升田は毎日に対して以前から何かと不満を持っていました。その一例が1948年の大山との名人戦挑戦者決定戦3番勝負の対局場で、寒さに弱い升田は温暖地を希望していたのに、寒冷地の和歌山県・高野山と決まりました。「高野山の決戦」といわれた3番勝負は1週間にわたって行われ、第3局で升田がトン死を喫して挑戦権を逃しました。

陣屋での対局では、升田の同行者がいませんでした。そうした処遇や積み重なった不満がベルの一件をきっかけにして一気に噴き出し、対局放棄する事態に至ったのでしょう。なお当時の玄関のベルは故障していたそうです。升田もよく知っている旅館なので、そのまま玄関から入ればよかったはずですが、潜在意識としてやはり対局したくなかったのだと思います。後日談によると、升田は関係者との話し合いで対局を1日延長することを申し入れましたが受け入れられず、結果的に対局放棄となったとのことです。

升田実力制第四代名人は1991年(平成3年)に亡くなりました。その少し前に「陣屋に行ってみたい」と夫人に言ったそうです。升田にとって、陣屋は特別に思い入れのある場所だったのです。

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コメント

田丸「九段」こんにちは。
先程将棋連盟のHPにて、田丸先生が九段に昇段された事を知りました。
いつもブログを拝見している物として、一言お祝いを申し上げたいと思い、
ブログのテーマとは全く関係ありませんがコメントさせて頂きます。

おめでとうございます!!

投稿: HAPPY | 2013年4月 2日 (火) 16時23分

ご昇段おめでとうございます。
忙しい毎日ですが、引き続きブログもよろしくお願いします。
将棋界のために、田丸昇九段は大きな存在です。
これからもご活躍を楽しみにしてます。

投稿: 将棋太郎 | 2013年4月 3日 (水) 12時14分

田丸昇九段、昇段おめでとうございます。
こちらのブログで皆さんのコメントを見るまで全く気づきませんでした。

昇段のお祝い等での機会が増えると思いますが、
くれぐれもお体をお大事にしてください。

投稿: 穂高 | 2013年4月 3日 (水) 20時45分

田丸先生の最高段位昇段を、心よりお祝い申し上げます。
今までの素晴らしい功績と戦績が評価され、上座に座った勇姿をお目にする機会が増えるのは、大変嬉しい限りです。

田丸昇・獅子丸・ロン毛丸・ライオン丸先生は、私達将棋愛好家にとって、神様のような存在です。

2016年3月に引退して以降も、ファンを続けさせていただく所存ですので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿: 柳 | 2013年4月 5日 (金) 00時40分

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