将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2013年3月 2日 (土)

32年前の『将棋マガジン』での順位戦昇級者座談会のコメントについて

32年前の『将棋マガジン』での順位戦昇級者座談会のコメントについて
32年前の『将棋マガジン』での順位戦昇級者座談会のコメントについて

「『将棋マガジン』昭和56年6月号では〈次代を担う若手棋士集合〉と題して、田中寅彦九段、小林健二九段、田丸昇八段らの座談会が載っていて、すでに著作の多い田丸八段は、ほかの棋士から〈収入がかなりあるのでは〉と突っ込まれていましたね」という内容のコメント(11月2日)は《k.k》さん。

これは32年も前の話です。私は1981年(昭和56年)の春に、順位戦でB級1組に昇級しました。そして同年の順位戦で昇級した棋士(A級昇級者は除く)を集めた座談会が『将棋マガジン』(将棋連盟が78年に創刊した『将棋世界』の兄弟誌。96年に休刊)で行われました。

写真・上は、東京の将棋会館での座談会の光景。左から、鈴木輝彦五段(26歳)、田中五段(23歳)、田丸七段(30歳)、伊藤果五段(30歳)、小林六段(24歳)。そのほかに谷川浩司七段(19歳)と福崎文吾六段(21歳)が順位戦で昇級しました。※段位と年齢はいずれも当時。

写真・下は、32年前の私です。頭の毛は白髪が少し混じっていましたが、ご覧のようにまだ真っ黒でした。

昇級者座談会では、昇級の前後、自分の家族、棋士をめざした頃、収入、趣味、棋士の良さと辛さ、棋士以外の職業、などをテーマに話が進みました。

田中は関西で行われた昇級候補者の対局結果がわからず、翌日に連盟に行ったら「おめでとう」と言われて昇級を知らされたそうです。現代のように順位戦のネット中継がなかった時代は、そういうことはよくありました。私は深夜の12時すぎに対局が終わると、新宿の居酒屋で飲みながら昇級の喜びに浸り、明け方に帰宅しました。

伊藤は少年時代から独りで詰将棋を楽しんでいて、2人で対面する指し将棋は好きではなかったそうです。ある日、父親に連れられて京都から大阪に初めて行った場所が連盟の旧関西本部で、同年代の少年と将棋を指したら奨励会の6級と認定され、そのまま将棋界に居着いたのです。貧しい母子家庭に育った私は、子ども心に早く社会に出たいと思っていました。その延長線上として、14歳のときに奨励会に入って棋士をめざしました。

私は六段時代の1979年に『縁台将棋必勝法』という著作を初めて刊行しました。ただ81年当時はその1冊だけでした。将棋雑誌やスポーツ新聞などで執筆の仕事をこまめにしていたので、ほかの棋士に収入が多いと思われたようです。座談会で語った「連盟からの収入を多くしたいのですが、なかなかそうもいかなくて…」というのが本音でした。

将棋棋士以外の職業に就いているとしたら、というテーマについては、各棋士の答えは様々でした。

「水泳に打ち込んでいた頃は水泳選手になりたいと思いましたが、今の将棋棋士がやはり最適ですね。それ以外は考えられません」(田中)。「高松の実家の商売を継いでお好み焼き屋をやっていて、〈いらっしゃいませ〉なんて言っていたでしょう」(小林)。「子どもの頃に憲法の条文を覚えるのが好きだったので、弁護士をめざしたと思います」(鈴木)。「売れない小説家かな」(伊藤)。「雑誌の編集者です。出版の世界が好きなので」(田丸)。

関西の谷川は座談会のテーマについて、棋士以外の職業は「大学の1年生でしょう。ひょっとすると浪人中かも」、棋士の良さと辛さは「実力100%の世界なので結果に納得できること。明暗がはっきり分かれてしまうこと」とアンケートで答えました。

その谷川は今年3月1日のA級順位戦の最終局で、2勝7敗の不成績ながら順位差でぎりぎり残留しました。あの座談会の翌年の1982年以来、名人・A級の地位を31年間にわたって保持していることに感服するばかりです。

|

裏話」カテゴリの記事

コメント

石橋女流の対局放棄から将棋連盟とLPSAの関係が再び注目を集めていますが、LPSA設立までのいきさつはお互いの説明に食い違いがあったり、将棋ファンとしてはわかりにくい所です。ただLPSA勢が必死に棋力を上げ女流タイトル総ナメにするくらいの勢いで連盟所属女流と対戦する事になれば女流棋戦も盛り上がるなどと思っていました。しかし女流棋戦でも中井、石橋を除けばLPSA勢は全く成績も振るわないのに、LPSA独自のプロ規定を作り、女流棋戦においてLPSA規定が認めた女流棋士を、連盟規定が認めた女流棋士と同等に扱わないなら対局放棄というのは正気の沙汰とは思えません。ただでさえ奨励会員上位よりも棋力が低いのに女だから特別に女流棋士と認めるというのは男性差別といえるのに、より棋力の低いLPSAが独自の規定で認めた女流棋士まで量産されれば、女流棋士そのものの価値を貶める事になる。将棋連盟はLPSAとその所属女流棋士達とは永久断絶するべきだと思うし、今後の女流棋戦にLPSA所属女流棋士は必要ないと思います。

投稿: 香落ち | 2013年3月 2日 (土) 16時44分

田丸先生こんにちは。興味深い記事と写真をお見せ頂きありがとうございます。どの先生方もお若いですね。田丸先生と伊藤果先生は、他の方とは違う「苦労人」らしい雰囲気を既に漂わせているように思います。

将棋世界先月号の「米長永世棋聖追悼号」で、田中寅彦先生が「奨励会員の青春は暗かった」と往事を回顧しておられました。この写真での田中先生は、奨励会を突破し、順調に昇級して前途に希望いっぱい、という満面の笑顔が「青年の意気盛ん」という感じで微笑ましいです。

田中寅彦先生は、連盟専務理事として、「対局拒否問題」への対処でさぞ苦心なさっておられると思います。
「一将棋ファンとして感謝しております」と、機会があれば是非お伝え下さい。

投稿: オヤジ | 2013年3月 5日 (火) 16時06分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 32年前の『将棋マガジン』での順位戦昇級者座談会のコメントについて: