米長邦雄永世棋聖の葬儀に将棋関係者や各界の人たちなど約2000人が参列
米長邦雄永世棋聖(前・将棋連盟会長)が12月18日に69歳で死去し、23日・24日に東京都目黒区碑文谷の円融寺で葬儀が営まれました。
写真・上は、白菊であしらわれた祭壇。米長が青色を好きだったので、遺影の周囲には青のデルフィニウムの花が囲みました。
祭壇の遺影は、米長が7回目の挑戦をした1993年(平成5年)の名人戦第4局での終局後の光景のようです。米長はその対局で中原誠名人に4連勝し、49歳11ヶ月という最年長記録で念願の名人位を獲得しました。写真はまさに日本一の笑顔となりました。
写真・下は、告別式での光景。右端は、参列者を迎える連盟の専務理事(現・会長)で葬儀委員長を務めた谷川浩司九段。その隣は、米長の弟弟子の丸山忠久九段。
葬儀には、羽生善治三冠、森内俊之名人、渡辺明竜王、佐藤康光王将をはじめ棋士や将棋関係者、生前の幅広い交際を象徴するように政治・経済・メディア・芸能など各界の人たち、将棋ファンが訪れ、参列者は両日で約2000人を数えました。
数年前に米長と食事をしたことがあるという自民党の小泉進次郎・衆院議員は報道陣の取材に対して、「気さくな方で、いつも頑張れと言ってくれました」と語って故人を偲びました。父親の小泉純一郎・元首相と米長は、ある週刊紙で対談した縁がありました。
告別式では佐藤王将が弔辞を読みました。参列者の焼香が終わると、葬儀委員長の谷川九段は「私が10代の頃、米長先生の著書『米長の将棋』(約30年前に平凡社から出版された全6巻の米長実戦集)はバイブルでした。先生は将棋を国技にすることを念頭に、大胆かつ斬新な発想で将棋界を牽引されました。理事として、先生の遺志を引き継いでいきたいと思います」と挨拶しました。
最後に遺族代表として、米長の長男・知得(ちとく)さんが「父は生前に皆さまに愛され、幸せな人生だったと思います。ひたすら感謝を申し上げます」と挨拶しました。なお知得さんは先日の総選挙で、日本維新の会から立候補(北海道ブロック・単独比例)しましたが、名簿順位が下位のために落選しました。
米長は夏の頃に体調を崩し、自宅でずっと療養していました。しかし11月下旬には久しぶりに将棋会館に来て、理事や職員に今後の将棋界のあり方について熱く語ったそうです。一時は激減した体重も元に戻り、小康状態になったように思われました。
ただ米長は連盟関係者に「連盟の総会が開かれる来年の6月までは生きていたい」と語るなど、自身の死期が迫っているのを覚悟していたようです。家族には相続や葬儀の手配も伝えたそうです。ちなみに、葬儀が営まれた円融寺の住職とは飲み友達という間柄でした。
米長は12月11日に容体が悪化して緊急入院し、18日に帰らぬ人となりました。大晦日のNHK紅白歌合戦に初出場する美輪明宏が歌う『ヨイトマケの唄』を聴くのを楽しみにしていたそうですが、それも叶いませんでした。
今年は「名人400年」の記念として様々な催しが行われましたが、年の瀬になって大棋士の訃報が届きました。来年は穏やかに過ごしたいものです。
では皆さん、良いお年をお迎えください。
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