「田丸一門会」を開いて引退した弟子の櫛田陽一六段の再出発を激励
7月下旬に「田丸一門会」を久しぶりに開き、6月下旬に47歳で引退が確定した私の弟子の櫛田陽一六段の再出発をみんなで激励しました。
写真・上は、師匠の私こと田丸昇八段(左から2人目)、1番弟子の櫛田六段(同3人目)、2番弟子の井出隼平三段(右端)、3番弟子の近藤祐大4級(左端)。
そのほかに、弟子たちに勉強の場を与えてくれる「将棋サロン荻窪」席主の新井敏男さん、同サロン師範の谷川治恵女流五段、井出、近藤の親たちが出席しました。
私は「櫛田とふとした縁で知り合ったのは30年前。当時17歳の櫛田はアマ棋界で大活躍していて、風雲児のような存在でした。ただ進学も就職もしないので、私は将来を心配しました。そこで奨励会受験を強く勧めたのです。櫛田は当初、頑なに拒否しましたが、やがて私の説得に折れ、奨励会に1級で入会しました。そして3年4ヵ月で四段に昇段しました。櫛田は25年あまりの現役期間に、NHK杯戦優勝、朝日棋戦で準優勝と素晴らしい実績を挙げましたが、私は櫛田が棋士として好きな将棋の道を歩めたことだけで十分に満足しています。今後は、将棋の普及面で精力的に活動してほしいです。だから今回は慰労会ではなく、新たな人生への激励会です」と挨拶しました。
弟子の井出、近藤とその親たちは、櫛田の厳しい指導で実力がついたことを感謝しました。新井さんは「たまに将棋サロンに来て、奨励会員たちに教えてあげてください」と語りました。谷川女流五段は「櫛田さんは人柄がとてもいいです」と称賛しました。
最後に櫛田は「引退となったことに悔いはありません。ただ自分の四間飛車をだれかに伝えたい、という思いはあります」と挨拶しました。中飛車や角交換振り飛車が主流になっている現代で、櫛田の「世紀末四間飛車」は今や数少ない正統派の振り飛車といえます。
今週発売の『週刊現代』(8月11日号)では、米長邦雄永世棋聖が連載している「名勝負今昔物語」で櫛田の将棋人生を紹介しています。米長は「研究熱心な将棋の虫の反面、遊び人でもある」と櫛田を評し、「人生を振り返ってみて、将棋に打ち込んだ10代も楽しく、酒・ギャンブルなどをほどほどに楽しんだ30代前半までも後悔していないということだった」と結びました。
写真・下は、櫛田の現役最後の対局となった竜王戦・佐藤慎一四段戦の中盤の局面。佐藤(下側)の▲4五桂に対して、櫛田(上側)は△5一角と引きましたが、△4二角と引くべきでした。実戦は佐藤に▲6五歩と突かれ、櫛田が苦しくなりました。△同歩は▲6四歩△同金▲5三桂成で後手不利(4二角型なら△5三同角と取れる)。
じつは櫛田は佐藤戦で、自分が以前に研究した手をすっかり忘れていたのです。対局の翌日に自分の研究ノートを見ると、写真・下と同一局面があり、「△4二角は最善、△5一角は不可」 と書いてありました。櫛田はそれを確認すると、引退が確定した現実に対して気持ちの整理がついたとのことです。
『週刊現代』の米長永世棋聖の連載では毎回、いろいろな棋士を紹介しています。そして櫛田の次は、私が登場するそうです。その話は、次回のテーマとします。
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コメント
櫛田6段の振飛車、特に四間飛車は生きたお手本でした。現役棋士生活中はいろいろあったと察しますが、最後は将棋に心が戻ってくれたみたいで幸いです。
これからは後進の育成や出版部門(個人的に実戦集希望)に活躍されます事を祈っております。
来月の将棋世界は付録に櫛田6段の世紀末四間飛車が登場との事で今から楽しみにしてます。
余談ですが先月の社団戦もノーマル四間飛車を採用しました(笑)
投稿: 関東のホークスファン | 2012年8月 3日 (金) 11時48分