4年ぶりに行った大阪・福島の「関西将棋会館」
私が順位戦に在籍していた以前は、関西の棋士との対局で年に2〜3回は大阪に出向いたものでした。しかし2009年(平成21年)にフリークラスに転出してからは、関西の棋士と対局することがなく、大阪に行く機会もありませんでした。
『週刊将棋』で連載している「丸の眼」の記事の取材で関西方面に行く用事が4月上旬にあり、ついでに「関西将棋会館」にも寄ってきました。08年7月にC級2組順位戦で有吉道夫九段と対局して以来、じつに4年ぶりのことでした。
写真・上は、関西将棋会館。大阪駅(梅田)から環状線に乗って1つ目の福島駅の近くにあります。東京の将棋会館と同じように、外壁が茶色の5階建てのビルです。
写真・中は、5階の対局室。当日は対局が1局だけでした。いつもは上位棋士が対局する「御上段の間」で、竜王戦の大石直嗣四段(左)ー阿部光瑠四段戦が行われていました。
写真・下は、3階の棋士室。棋戦の勝敗表などの情報が壁に張り出され、過去の棋譜や新聞の観戦記がロッカーに保管されています。テレビ画面には5階のメインの対局の盤面が映し出され、戦いが佳境に入ると棋士たちが熱心に検討する光景が見られます。また、棋士や奨励会員がよく将棋を指しています。当日は、手前で山崎隆之七段(右)と豊島将之六段、奥で船江恒平五段(左)と斎藤慎太郎新四段が、公式戦のように真剣な態度で指していました。そうした不断の努力が「関西棋士パワー」の源になっているようです。
関西将棋会館は1981年(昭和56年)に建設されました。当時の将棋連盟会長だった大山康晴十五世名人が募金活動を精力的に展開して成し遂げたものでした。それから数年後に「バブル」によって地価が高騰しましたが、その時代だったら会館建設は難しかったでしょう。関西棋界の大御所の内藤国雄九段は会館に行くたびに、「大山先生が建ててくれた会館」としみじみ思うそうです。
関西将棋会館がある大阪・福島は、東京でいえば浜松町や神田のビジネス街という町並みです。30年前のころは駅前のパチンコ屋や大衆酒場が目立って、やや殺風景な感じがしました。しかし今では駅前にホテル阪神(東京の棋士たちの定宿)が建ち、周囲はおしゃれな雰囲気の飲食店が並んでいます。その分、店の代替わりも進んでいます。私が20年前から通っていた居酒屋は、2年前に閉店したという話でした。
私が以前に対局や所用で関西に行ったときは、仕事が終わるとすぐ帰京しました。今回は私用だったので、久しぶりに大阪市内を散策することにしました。じつは、30年ぶりに行ってみたい場所があったのです。大阪市の南部・北畠にあった旧関西本部の跡地です。その写真と当時の思い出については、次回ブログで紹介します。
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コメント
関西将棋会館がある「福島駅」というのは、東京で言うと神田や浜松町のような雰囲気なのですか。私は大阪の土地勘は全くないので、東京の事例でたとえて頂くとよく分ります。
福島駅前に移る前、関西本部はかなり質素なものだったというのは、谷川先生の著書で何となく知っていますが、次回のブログでは、移転前の関西本部の思い出、跡地の近況などを書いて頂けるのを楽しみにしています。たぶん、30年経ったら跡地も驚くほど変っていた、といった感じではないでしょうか?
投稿: オヤジ | 2012年4月24日 (火) 22時08分
こんにちわ。
。
。
私は『オヤジ』氏とは逆に、大阪府民です。
ですが、東京の将棋会館は、『将棋ペンクラブ』(田丸先生も会員)の集まりでよく行きます。
ただ、東京の事例と言っても、私も分かりにくいのでして、参考になりませんが、福島駅も千駄ヶ谷駅も、上部にホームがあり、くだって改札口を出ます。あと、福島駅の前は道路で、交差点ではないので、千駄ヶ谷交差点と比べると、ちょっと車の行き来は少ないかな・・・?
ただ、隣に阪神高速入り口がありますので、少ない割りにスピードを上げながら走る車は多いですね。
写真の通り、関西将棋会館の正面は道路に面していますので、車の往来が激しく、東京・将棋会館のように『隣が神社でまわりはとても静か』な~んてことはありません
しかし会館内は静かです(当たり前だ)。
私は1983年『史上最年少名人誕生の年』に関西将棋会館に行くようになり、来年で30年。ほんと早いと思います。
21年前、会館道場でアルバイトをしていたとき、故・星田啓三八段(阪田三吉贈名人門下・内藤九段のオジ師匠・田丸先生の名人戦秘話にも登場)から、北畠時代の事は聞きました。
田丸先生は北畠時代をどのようにつづられるのか、楽しみにしています
投稿: S.H | 2012年4月26日 (木) 14時40分