将棋を愛好した政治家たちのエピソードと写真
前回のブログで、将棋を愛好した元首相の「田中角栄」のエピソードを紹介しました。同じく元首相の「菅直人」も将棋愛好家です。詳しい話は2009年11月23日、2010年6月28日のブログを見てください。今回は、将棋を愛好したほかの政治家たちのエピソードと写真を紹介します。
下の写真は、1994年(平成6年)12月に将棋連盟の関係者が首相官邸を訪れ、将棋愛好家の「村山富市」首相に六段免状を贈呈したときの光景です。当時は自民党・社民党・新党さきがけの三党連立政権時代で、社民党代表の村山が首相に就いていました。右から連盟理事の私こと田丸八段、連盟会長の二上達也九段、村山首相、蛸島彰子女流五段。
じつは同年11月に社民党主催の女性アマ大会が将棋会館(東京・千駄ヶ谷)で行われたとき、村山が大会実行委員長として出席しました。時の首相が将棋会館を訪れたのは初めてのことで、当日は厳重に警備されました。村山は大会審判長の蛸島と平手の手合いで記念対局を指し、矢倉囲いに組んで力強く攻めました(結果は途中で指し掛け)。
中の写真は、橋本内閣で経済企画庁長官に就いた「田中秀征」(09年11月23日のブログを参照)の大臣室。前例が田中、後列右から田丸、蛸島、タレントの萩本欽一。同じ長野県生まれというよしみで田中と親しかった私は、「欽ちゃんと将棋を指したいので、そのように設定してくれませんか」と頼まれました。そして96年3月に田中と欽ちゃんの記念対局が実現し、私と蛸島が同席しました。欽ちゃんは熱心な将棋愛好家で三段の棋力があります。
田中は型破りな攻めの棋風です。その将棋も猛烈に攻め込むと、欽ちゃんは「田中さんの将棋は、武器を持った防衛庁みたいですよ」と冗談を飛ばしました。そして熱戦の末に田中が勝ちました。欽ちゃんは「大臣というから、もっと落ち着いた将棋を指すと思ったのに…」とぼやいていました。
上の写真は、日本共産党初代委員長の「宮本顕治」。数ある政党機関紙の中で、プロ公式戦を唯一主催しているのが同党の赤旗です。1969年(昭和44年)に若手棋士が参加する新人王戦が誕生しました。宮本は将棋愛好家で、将棋への理解が深かったから実現したのです。たまに将棋会館に寄って対局を観戦したり、将棋雑誌や夕刊紙の企画でプロ棋士と記念対局をしました。
写真は、私が同党主催の将棋コーナーも設けられた野外イベントに出席したとき、本部に寄ると宮本がいたので撮影したものです。宮本は気さくな人で、将棋コーナーに顔を出して棋士と談笑したりファンの将棋を熱心に見ていました。
次回は、田丸が「週刊将棋」で連載している元奨励会員の記事。
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