将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2012年2月18日 (土)

将棋を熱烈に愛好した元首相の田中角栄は中飛車が得意戦法

将棋を熱烈に愛好した元首相の田中角栄は中飛車が得意戦法

歴代首相の中で、将棋を熱烈に愛好したのは「田中角栄」でした。田中は同じ新潟県生まれというよしみで原田泰夫九段と親交があり、会うたびに将棋を指しました。原田九段の話によると、平手の手合いで10局ほど指したそうです。田中の将棋は早指しで攻めっ気が強く、中飛車が得意戦法でした。

1972年(昭和47年)7月。自民党総裁選挙の最終投票で、田中が福田赳夫を破りました。そして翌日に田中新首相が誕生しました。

その総裁選挙に先立ち、将棋に関連したエピソードがありました。72年6月に24歳の新名人となった中原誠(十六世名人)が、何かの縁があって田中サイドに署名入りの扇子を贈ったのです。その扇子の表には「5五角」のー手が書かれていました。つまり「ゴーゴー角」という意味を込めて、田中に応援メッセージを送ったわけです。

田中首相誕生から半月後。将棋連盟会長の丸田祐三九段、中原名人、原田九段らは首相官邸を訪れ、田中に六段免状を贈呈しました。

写真は、ある将棋雑誌に載ったその光景。田中(右から2人目)はとても上機嫌で、「将棋はいいもんですな。私もこれから修業しなくっちゃ…」と中原(左から2人目)らに語りかけました。田中は「中原名人にぜひ教えていただきたい」と事前に指導対局を希望し、特別に1時間も空けましたが、野党の代表との会談が急に入って流れたそうです。

田中は持ち前の実行力を発揮し、72年9月に日中国交正常化を実現しました。その象徴としてパンダが中国から上野動物園に来ると、日本中の人気者となりました。田中の支持率は70%と上昇し、国民に絶大な人気がありました。貧しい庶民の育ちから国家の代表に上り詰めたので、「今太閤」とも呼ばれました。

しかし、田中は74年には自身の金脈問題が発覚して首相退陣に追い込まれました。76年にはロッキード事件で逮捕される事態にもなりました。

田中はその後、自民党を離党して政界の表舞台からいったん退きましたが、多数の田中派議員を擁し、「闇将軍」として政界に隠然たる影響力を及ぼしていました。

そんな時期に、中原名人、芹沢博文九段、田中寅彦九段らの高柳一門の棋士たちが東京・目白の田中邸を訪れ、やや暇を持て余していた田中に将棋を指してあげました。才気煥発な芹沢は田中に大いに気に入られ、政界進出を持ちかけられたこともありました。

1993年(平成5年)12月。田中は75歳で死去しました。連盟は名誉八段の免状を追贈しました。

その翌年3月。田中の長女で衆議院議員の田中真紀子が、免状のお礼を述べに将棋会館を訪れました。連盟の理事たちと田中の将棋の思い出話に花を咲かせ、当時理事だった私も同席しました。新潟の銘酒を土産に持参した田中真紀子が、折りからの米不足の状況だったので、「コシヒカリのほうがよかったですね」と笑顔で語ったのが印象的でした。

田中首相以降、連盟は時の首相に六段免状を贈呈するのが恒例となりました。三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘と続きました。しかしその後は、首相の在任期間が短かったり、リクルート事件などで政界が揺れ動いたりして、首相への免状贈呈はしばらく途絶えました。

次回は、将棋好きのほかの政治家。

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