将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年12月10日 (土)

100回記念の「職団戦」では女流棋士チームが参加したり30人の棋士が指導対局

100回記念の「職団戦」では女流棋士が参加したり30<br />
 人の棋士が指導対局

100回記念の「職団戦」では女流棋士が参加したり30<br />
 人の棋士が指導対局

11月20日に東京・千駄ヶ谷の東京体育館で、職域団体対抗将棋大会(略して「職団戦」)が開催され、423チームが参加しました。職場や団体の将棋同好会などが5人1組のチームとして競う団体戦です。最強クラスのS(8チームのみで、選手全員が全国的な強豪)から、A〜Fまでの7クラスに分かれて行われました。

この職団戦は1959年(昭和34年)から始まりました。第1回は69チームが参加し、会場は浅草のお寺の伝法院でした。その後、参加チームは次第に増えていき、第38回の80年には最多記録の628チームを数えました。それとともに、会場も伝法院〜将棋会館〜東京体育館〜日本武道館と広くなりました。とくに、スポーツの国際大会や人気歌手のコンサートが開かれる日本武道館で将棋を指せることが人気を呼びました。関東周辺だけでなく、東北や西日本などの遠隔地からの参加チームもありました。

しかし2000年(平成12年)ごろから参加チームが減っていき、近年は300チーム台になっています。最大の理由は経済的問題だと思います。以前は会社が福利厚生費として参加費を負担していたのが、経済不況を反映して個人負担に切り替わったケースが多いようです。そこで主催者の将棋連盟は、参加費を減額したり、指導対局コーナーを設けたりして、参加チームの減少の防止に努めています。

職団戦は今回で100回記念を迎えました(当初は春に開催予定でしたが、大震災の影響で秋に延期されました)。その目玉企画として、大会に2組の女流棋士チームが参加したのです。女流棋士チームは以前にも参加しましたが、大会ではなく交流対局でした。

A級には甲斐智実女流王位、矢内理絵子女流四段、斎田晴子女流四段などのチーム、B級には山田久美女流三段、竹部さゆり女流三段、早水千紗女流二段などのチームが参加しました。2組の女流棋士チームは奮戦し、A級・B級(各64チーム)ともに準決勝まで勝ち進みました。女流棋士チームの周囲は黒山の人だかりで、人気の高さを示していました。

写真(上)は、B級参加の女流棋士チーム。左から、山口恵梨子女流初段、山田三段、竹部三段、早水二段、井道千尋女流初段。写真(下)は、職団戦の大会光景。

そのほかに、大会で敗れたチームの選手たちを対象にした指導対局コーナーが会場に設けられました。今回は、森内俊之名人、佐藤康光九段、加藤一二三九段、高橋道雄九段、屋敷伸之九段、藤井猛九段、木村一基八段、広瀬章人七段など、タイトル保持者・A級棋士・ベテラン棋士・若手棋士ら30人の棋士が指導対局を務めました。

私もその1人で、3面指しの指導対局を3回(計9局)しました。指導対局を受けた人はアマ四段クラスが多く、角落ちの手合いが半数でした。中には平手の手合いを希望した人もいました。私は基本的に、強い人には厳しく指して勝ち、弱い人には教えながら指して負けるようにしました。

なお、来春の職団戦では「名人位創設400年」を記念し、指導棋士を増やして指導対局を計400局にする企画が持ち上がっているようです(今回は計270局)。

職団戦の会場では、プロ棋士、女流棋士、奨励会員、強豪アマ、一般のアマ、見物に来た人、取材者など、将棋界のあらゆる人たちが一堂に会した感じでした。私も久しぶりに再会した人がいて楽しかったです。

次回は、田丸の新刊書「実録 名人戦秘話」の紹介。

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