今年の「将棋の日」の式典で田丸・櫛田の師弟がともに勤続表彰
11月17日の「将棋の日」の式典では、将棋界の発展に寄与した方たちへの感謝状や免状の贈呈、将棋栄誉賞(600勝)、勤続表彰(25年・40年)、盤寿(81歳)、昇段者の棋士たちへの表彰などが行われます。
私は今年の将棋の日に「勤続40年」で表彰され、銀杯と金一封を贈られました。
写真(下)は、将棋連盟会長・米長邦雄永世棋聖(左)が表彰状を読み上げている光景。私はこうした晴れがましい儀式はあまり経験しなかったので、ちょっとジーンときました。表彰状を受け取ったとき、厳かな佇まいの米長会長の表情が少し緩んだのは、同じ佐瀬(勇次名誉九段)一門の兄弟子として弟弟子に見せた祝福の気持ちだったのでしょう。
それにしても1972年(昭和47年)に四段に昇段して以来、現役棋士をよくも40年間も続けてこれたと、私は思っています。厳しい勝負の世界ですから、成績が低迷してもっと前に引退に追い込まれた棋士もいました。また、若くして病気で亡くなった棋士もいました。そうした棋士たちのことを思うと、40年間の棋士生活をつつがなく送ってこれたことに、とても満足しています。
じつは当日、私の弟子の櫛田(陽一六段)も「勤続25年」で表彰されたのです。
写真(上)は、勤続表彰の棋士たち。左から、石川陽生七段(25年)、田丸八段、米長会長、中田功七段(同)、櫛田六段。 ※ほかに佐藤康光九段、有森浩三七段、長沼洋七段、神崎健二七段、石高澄恵女流二段が勤続25年で表彰。
私は櫛田の表彰を事前に知っていました。しかし櫛田は将棋会館で背広姿の私と顔を合わせたとき、「あれっ、田丸先生。今日はどうしたのですか」と言ったのです。師匠の慶事を知らないとは、まったく暢気な弟子です。
今から28年前の1983年(昭和58年)。私はふとした縁で当時18歳の櫛田と交流がありました。櫛田はアマ棋界の風雲児のような存在で、ある将棋雑誌の企画で全国各地の強豪アマと連戦して名を馳せていました。伝説的な真剣師として知られた故・小池重明(元アマ名人)さんを敬愛し、プロ棋士に対して強い対抗心を燃やしていました。
私は櫛田の考えと生き方を理解していましたが、進学や就職をしないで将棋三昧の生活を送っていたので将来が気になりました。あの小池さんが経済苦の末に寸借詐欺を起こした事態も発覚し、二の舞を心配したのです。そこで私は、櫛田に奨励会受験を強く勧めました。櫛田は当初は頑なに拒みましたが、やがて私の説得に応じました。83年の奨励会入会試験で1級で合格し、87年に四段に昇段しました。
櫛田のその後の棋士人生は様々なことがありました。光と影が交錯して一言では語り尽くせません。本人も師匠も複雑な思いがあります。それでも今年の将棋の日の式典で、師匠は勤続40年、弟子は勤続25年と、師弟がともに表彰を受けたことは感慨深いものがありました。
次回は、100回記念の「職団戦」。
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