将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年10月26日 (水)

女優の吉永小百合さん、日色ともゑさんが大山十五世名人と36年前に記念対局

女優の吉永小百合さん、日色ともゑさんが大山十五世名人と記念対局

今から36年前の1975年(昭和50年)。女優の吉永小百合さんが大山康晴(十五世名人)と6枚落ちの記念対局を指しました。私がその対局光景を撮影した機会があったと10月13日のブログで書いたところ、《オジサン》から「吉永小百合さんと一緒に日色ともゑさんも写ってましたよね」というコメント(10月13日)がありました。

写真は、左端が大山、中央が吉永さん、右が日色さん。記念対局が行われた東京・四谷「ホテルニューオータニ」の和室に、関係者が集まったところでした。

吉永さんは73年に結婚した岡田太郎さん(当時・テレビディレクター)から将棋を習うと、持ち前の凝り性を発揮してたちまち熱中しました。定跡書を買い込んで勉強し、映画のロケ先に盤駒を持参したこともありました。とくに楽しみにしていたのがNHKのテレビ将棋でした。「見る者をあれだけ夢中にさせる面白さは、スポーツにも負けません」と語り、放送中はテレビの前に釘づけになって観戦しました。

ちなみに吉永さんの好きな将棋の駒は「香車」でした。いちど前進したら後に戻れない一本気で不器用なところが、自分の性格や生き方に似ているからだそうです。

やがて吉永さんの将棋への愛好ぶりがメディアに伝わり、毎日新聞の企画で大山との記念対局が行われることになりました。対局前に「将棋を始めたのはいつごろですか」(大山)「半年ぐらい前です。近所の小学生と指しています。主人は、私が弱すぎるので相手にしてくれません」(吉永)という会話があり、和やかな雰囲気でした。

私は少年時代、吉永さんが主演した日活の青春映画(『キューポラのある街』『いつでも夢を』『光る海』『青春のお通り』など)を多く見て、美しさと清純さに魅了されたものです。その本人を目の前にして、大いに感激しました。吉永さんは当時30歳。しっとりとした色香が漂い、麗しい表情を見せました。所作も大女優らしく堂々としていました。

吉永さんは定跡どおりに指し、飛車で9筋から攻め破りました。その後、攻めあぐんでしまって「王将って、すばしっこいですね。すぐ逃げられちゃう…」とぼやくと、大山は「盤の外には逃げませんから」と冗談で応じました。

そして100手を超える熱戦の末に、吉永さんが見事に勝ちました。「あら、勝っちゃた。本当かしら…」と信じられない様子でした。大山は「将棋を覚えて半年にしてはお強い。筋もいいです。初段の免状をさしあげます」と激賞しました。

当日は、女優の日色さんも大山と記念対局を指しました。じつは、観戦記を担当した日色恵さんというベテランの将棋記者は父親でした。そんな関係から自然に将棋を覚えたようです。

日色さんは劇団の研究生だった20歳のとき、「成人式を迎える各界のホープ」というテレビ番組に出演すると、奨励会員の大内延介三段(現・九段)と対面しました。ともに女優と棋士の卵という同じ立場から意気投合し、「これを機会に励まし合っていきましょう」と誓い合ったそうです。

それから数年後の1967年(昭和42年)。日色さんはNHKの朝ドラマ『旅路』のヒロインに抜擢されました。その番組は平均視聴率が45%と大変な人気を博し、日色さんは国民的な女優になりました。その年の夏、ある週刊誌が「清純派女優の秘めたる愛」という見出しで、日色さんと当時六段の大内との熱愛を報じました。しかし、著名人の何でもない話に尾ひれを付けた、よくある作り話でした。

次回も、田丸が撮影した秘蔵写真(内容は未定)。

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