将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年9月 1日 (木)

歌手の五十嵐浩晃さんが札幌の将棋まつりに聞き手として特別出演

歌手の五十嵐浩晃さんが札幌の将棋まつりに聞き手として特別出演

私は8月中旬に札幌の東急百貨店で開催された「夏休み将棋まつり」に参加するにあたり、札幌在住で将棋を愛好するある歌手の方に連絡してみました。プロ棋士とのお好み対局、または席上対局の聞き手に出てほしいと思ったのです。

その歌手とは五十嵐浩晃さん(54歳)。31年前に『ペガサスの朝』『愛は風まかせ』などのヒット曲を歌い、美しいメロディーとさわやかな歌声で魅了しました。当時の人気歌謡番組『ザ・ベストテン』にも出演しました。ご存じの方も多いでしょう。

五十嵐さんはその後、東京での多忙で不規則な生活が響いて体調を崩し、音楽活動をやめて故郷の北海道に戻りました。そんな落ち込んでいた時期に、癒してくれたのが少年時代から好きだった将棋でした。地元新聞が主催した中学生大会で3位に入ったこともあります。札幌の将棋クラブに通い出すと、3級で始めて10年で三段に昇段したそうです。

私が将棋連盟の出版担当理事だった17年前、五十嵐さんが将棋好きという話を聞いて、将棋雑誌の企画である女流棋士と対談してもらいました。将棋も平手の手合いで指し、矢倉戦の激闘の末に敗れましたが、なかなか本格的な将棋だと感心しました。

その後は会う機会がありませんでした。じつは何年か前に朝の情報番組『とくだね!』(フジテレビ系列)の「夜のヒットスタジオ」というコーナーに五十嵐さんが出演したとき、ある企画でプロ棋士と電話対局した将棋のエピソードを語ったので、今でも将棋を愛好しているんだとうれしく思ったものです。そして札幌の将棋まつりの件で連絡すると、出演を快諾してもらいました。

広瀬章人王位と屋敷伸之九段の特選対局で、私が大盤解説、五十嵐さんが聞き手を務めました。最初に両対局者、田丸、五十嵐さんが壇上に並びました。少年時代を札幌で過ごした屋敷は、将棋クラブで五十嵐さんに会ってよく知っていました。若い広瀬は知らなかったので、私が「広瀬さんに歌を聴かせてくれませんか」と五十嵐さんに頼んでみました。

すると五十嵐さんは自己紹介がてら、前記のヒット曲などをアカペラで1分ほどメドレー形式で歌ってくれました。「熱くもえる  まるでカゲロウさ…」の歌詞で始まる『ペガサスの朝』を美しい高音で熱唱すると、将棋の会場だけでなくほかの売り場の人たちも視線を向けました。普段は低い声なのに、マイクに向かうとキーが高くなるそうです。歌い終わった五十嵐さんが「この将棋に負けた方には、罰ゲームとして後で歌ってもらいましょう」と提案すると、会場から拍手が巻き起こりました。両対局者は苦笑いするばかりでした…。

広瀬ー屋敷戦は前回ブログで伝えたように、互いに穴熊に囲う戦型から大熱戦が繰り広げられました。五十嵐さんは将棋界の情報や両者のエピソードに詳しく、私と掛け合い漫才をするように楽しく会話を進めました。勝負の結果は、広瀬が一手勝ちを収めました。

そして負けた屋敷が罰ゲームで歌った曲目は、普段は自分の子どもと一緒に見るというテレビ番組の「ヒーローアニメ」ものの主題歌でした。もし広瀬だったら、大島優子のファンというので、「AKB48」のヒット曲を歌ったかもしれません。

上の写真は、左から屋敷、五十嵐、広瀬。五十嵐さんは広瀬と屋敷から直筆の記念扇子を贈られ、ご満悦の様子でした。

なお五十嵐さんは20年以上前から音楽活動を再開していて、アルバムの発表、ほかの歌手への楽曲の提供、CM音楽の制作など、幅広く活動しています。

次回は、コメントへの返事。

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コメント

二回に渡るエントリーで、私が見られなかった時の様子がよくわかり、ありがたいです。

私が会場に着いた時は、丁度五十嵐さんがペガサスの朝を歌われているところでした。
私が生まれる大分前の曲ですが、聴いたことはありましたし曲名も知っていました。
しかし将棋ファンだとは知りませんでしたので、少し驚きました。

今日は田丸先生の対局日なので、いつも通り勝利を祈っております。頑張ってください。

投稿: 修造 | 2011年9月 2日 (金) 12時49分

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