田丸が『週刊!将棋ステーション』の番組で40 年間の棋士生活を振り返る
「囲碁・将棋チャンネル」(スカイパーフェクTVなどで放送)の『週刊!将棋ステーション』とそれに続く『最新対局解説』の番組 (放送時間は合わせて約90分)に、私がゲスト出演しました。
写真は、収録時の光景。左から、将棋ジャーナリストの山田史生さん、司会者の恩田菜穂さん、田丸。冒頭で山田さんは、「田丸さんは自身のブログで将棋界の出来事を詳しく解説していまして、その内容がとても参考になります」と私を紹介してくれました。
前者の番組では、棋界情報のほかに、棋士の素顔を紹介する「トーク・トレイン」のコーナーがあり、田丸が奨励金入会から40年間の棋士生活の思い出などを振り返りました。
後者の番組では、田丸が王座戦(羽生善治王座―渡辺明竜王)第1局と、思い出の対局として31年前の大山康晴十五世名人との対局を解説しました。聞き手は井道千尋女流初段。
「トーク・トレイン」では司会者の《質問》に対して、私は次のように語りました。
「佐瀬(勇次名誉九段)門下に入ったのは、若手棋士の米長(邦雄永世棋聖)と西村(一義九段)が活躍していて、有望な兄弟子がいれば強くなれると思った」《佐瀬門下に入ったきっかけ》。「奨励会試験で2連敗したが、師匠が奨励会幹事(芹沢博文九段)に話をつけてくれて裏口入会できた」《奨励会入会試験》。「1級で低迷していたころ、幕末の棋聖と呼ばれた天野宗歩の将棋を勉強すると、ひ弱な将棋がたくましくなって成績が良くなった」《奨励会時代の転機》。「7期目の三段リーグで四段に昇段し、それまで心配をかけ通しだった母親を安心させたことが最もうれしかった」《21歳で四段昇段》。
「19年前にB級1組順位戦の最終戦で、A級昇級をかけて戦った島朗(九段)との直接対決。最後のチャンスと思って和服姿で臨んで幸運にも勝てた」《棋士生活で最も印象に残っている対局》。「若手棋士時代は研究家の田丸と呼ばれた。棋譜用紙を集めて戦法別ファイルに整理し、研究会を盛んに行った。強豪アマとの研究会も行い、参加者の1人の櫛田(陽一六段)とはそれが縁で師弟関係を結んだ」《将棋の勉強法》。「若いころから文章を書くのが好きで、その関連で写真に興味を持った。大山・升田の珍しいツーショット、蔵前国技館での将棋の日イベントなど、いろいろな写真を撮った」《文筆と写真》。
「『聖の青春』(村山聖九段の評伝)の出版を機に作家に転身した『将棋世界』編集長の大崎善生さんに請われて後任を引き継いだ。スタッフとの共同作業で雑誌を作り上げる仕事は、苦労もあったがとても得がたい経験となった」《10年前の『将棋世界』編集長時代》。「奨励会時代を含めて、運が良かった棋士人生だったと満足している。自分としては順位戦でA級に昇級したことよりも、B級1組に通算16期も在籍できたことが誇り」《40年間の棋士生活を振り返って》。「今後は執筆活動やブログで、将棋界の古今の情報を伝える語り部として生きていきたい」《今後の生き方》。
『最新対局解説』の番組では、田丸が王座戦第1局を解説しました。そのー戦は激闘の末に渡辺が寄せ合いを制して先勝し、羽生の王座戦20連勝を阻止しました。
次いで1980年(昭和55年)の田丸(当時六段)―大山戦の対局(オールスター勝抜戦)を解説しました。私と大山の対戦数は通算12局で、本局は3局目でした。前2局は手も足も出ない形で完敗したので、せめて一矢ー刀を浴びせたいとの思いで臨みました。大山の四間飛車に対して、私は左美濃から右銀を前線に進める急戦策を用いました。私が当時、熱心に研究していた振り飛車対策でした。その戦法で攻め合いに持ち込み、終盤で「肉を切らせて骨を断つ」寄せで迫ると、最後はうまい詰み手順が生じて私が勝ちました。大山戦での初勝利は大きな自信となり、翌年の春には順位戦でB級1組に昇級できました。
この将棋番組は9月13日に放送されました。14日・15日・18日にも再放送されるので、ごらんになれなかった方は左記の出演情報で確認してください。
次回は、王位戦(広瀬章人王位―羽生二冠)第7局で羽生が王位を奪還。
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