将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年8月27日 (土)

ご当地棋士の広瀬王位、屋敷九段らが参加した札幌の将棋まつり

ご当地棋士の広瀬王位、屋敷九段らが参加した札幌の将棋まつり

私は8月中旬、北海道・札幌の東急百貨店で開催された「夏休み将棋まつり」に行ってきました。上の写真は、席上対局の光景。大盤で解説する棋士は広瀬章人王位(左から2人目)。聞き手は本田小百合女流二段。対局者は屋敷伸之九段(右側)と中村太地五段。そのほかに伊藤真吾四段、久津知子女流初段が参加しました。この中で、札幌で育ったご当地棋士は広瀬、屋敷、久津の3人です。

広瀬は5歳で将棋を覚え、札幌に住んでいた8歳から数年間は、地元の将棋クラブに通っていました。当時の指導者の話によると、広瀬少年は負けるとよく泣いたそうです。

その広瀬がアマとの記念対局で、湯上真司さんと角落ちの手合いで指しました。湯上さんは今年の朝日アマ名人戦でベスト8に進出しました。そして初めて臨んだプロ公式戦の朝日杯オープンでは菅井竜也五段と対戦し、敗れましたが161手もの大熱戦を繰り広げました。今秋のアマ名人戦でも、北海道代表になっています。

広瀬の話によると、少年時代に7歳年上の湯上さんと何局も指し、いつも負かされたそうです。広瀬にとって、いわばリベンジの一戦でした。ただ強豪アマとの角落ちの手合いはかなりきつく、実際に上手不利の形勢が続きました。しかし下手が慎重に指しすぎたので形勢が次第にもつれ、185手もの長手数の末に広瀬が勝ちました。

特選対局のカードは広瀬―屋敷戦でした。広瀬は昨年に王位のタイトルを初めて獲得し、屋敷は今春に順位戦でA級に昇級しました。両者は少年時代を過ごした札幌の将棋まつりでともに凱旋したことになり、来場者から大きな拍手を受けました。

札幌の将棋まつりは、今期王位戦(広瀬王位―羽生善治二冠)の第4局と第5局の間の週に開催されました。じつは広瀬は王位戦が始まる前、羽生に4連敗したら、札幌の将棋まつりでは肩書きが違ってしまうと、本気で心配したそうです。しかし羽生とは2勝2敗と互角に渡り合い、王位としての参加となりました。

広瀬―屋敷戦は、広瀬の四間飛車穴熊に屋敷の居飛車穴熊という戦型になりました。広瀬は中盤で屋敷に先攻されて飛車を成られましたが、さらに踏み込ませない懐の深さが持ち味です。そして持ち駒の角と自陣の飛車を巧みに駆使して反撃に転じ、終盤の寄せ合いで一手勝ちを収めました。さりげなく勝つのが広瀬将棋の真骨頂です。

大盤解説を務めた私は「来週の王位戦第5局に向けて、広瀬にとってこの勝利はいい弾みになりそうです」と語りました。すると第5局でも、広瀬の四間飛車穴熊に羽生の居飛車穴熊という戦型でした。屋敷戦とはまったく違う展開となりましたが、羽生の攻めを十分に引きつけてから反撃に転じる指し方は、札幌での将棋を見るようでした。そして終盤で一手勝ちを収め、広瀬が3勝2敗とリードして王位防衛まであと1勝と迫りました。

44年前に東急百貨店・日本橋店が将棋イベントを初めて開催しました。それがデパートの将棋まつりの先駆けでした。デパートは多くの集客を期待し、棋士はファンと交流して将棋の普及を図る。そうした両者の思惑が一致したヒット企画でした。その後、西武、近鉄、小田急、そごうなどの大手デパートも開催するようになりました。東急は東京のほかに札幌・長野などでも開催し、札幌では正月と夏休みの年2回の開催が恒例でした。

デパートの将棋イベントでは来場者の大半が男性で、集客が多くても必ずしも売り上げに直結しません。メセナ(企業が文化活動を支援すること)という意義がありました。しかし長引く経済の低迷によってデパートの売り上げが落ち込むと、その余裕がなくなってきました。近年は将棋まつりの終了や縮小が相次いでいるのが現状です。私は合間に札幌東急の店内を見て回りましたが、平日のせいか客よりも店員のほうが目立っていました。

次回は、ある歌手が特別参加した札幌の将棋まつり。

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