将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年7月15日 (金)

竜王戦で対局した相手は負ければ引退となる飯野健二七段

竜王戦の相手は飯野健二七段

私は7月6日、竜王戦で飯野健二七段と対局しました。一番下の6組の昇級決定戦(別名は裏街道)という地味な一戦でしたが、相手の飯野にとっては特別な意味がありました。飯野は今年4月にフリークラス規定によって「引退」が内定し、残っている対局がすべて終わった時点で引退となります。そんな状況で、最後の棋戦として私と対局しました。

私はこれまでの棋士人生で、自分が勝てば昇級したり負ければ降級、相手が負ければ昇級を逃したり降級など、ともに昇降級に関わる順位戦の対局を数多くしてきました。しかし飯野戦のように、自分が勝てば相手が引退となる対局は初めての経験でした。

私は青年時代、同世代の奨励会員らと一緒に「棋友」という同人雑誌を出しました。そのメンバーの1人が4歳年下の飯野でした。性格が良い飯野は先輩たちに可愛がられ、私も目をかけたものです。上の写真(撮影・田丸)は、36年前の1975年(昭和50年)に20歳で四段に昇段した飯野。ご覧のように、アイドル歌手だった「野口五郎」を思わせる端正な容姿で、当時の棋士としては珍しくマイカーを運転しました。

70年代後半のプロ棋界では「矢倉」の将棋が全盛でした。若手棋士の多くが矢倉に傾倒する中で、飯野は軽快な「ひねり飛車」や力戦型の将棋を好みました。私が最も印象深い飯野の対局は、78年に最難関だった十段戦(竜王戦の前身棋戦)リーグ戦入り(2人のみ)をかけた大山康晴十五世名人との一戦でした。

A級棋士や強豪棋士を5連破した飯野は、勢いを駆って大山戦でも優勢となりました。しかし終盤の土壇場の局面で、大山は攻防を兼ねる妙手を連発して、作ったような大逆転を果たしたのです。飯野はその局面で、17分考えた末に投了しました。飯野は敗れましたが、大山戦での健闘は大いに評価されたものです。

飯野は83年度のC級2組順位戦で8勝2敗の好成績を挙げましたが、惜しくも次点でした。次いで84年度も8勝2敗でしたが、全勝1人と1敗2人がいて昇級できませんでした。90年度も8勝2敗で及びませんでした。

私の37期にわたる順位戦の経験では、昇級するには「実力」のほかに「運」も大事だと思っています。飯野のように8勝2敗で昇級できない不運なケースもあれば、時には7勝3敗で昇級できる幸運なケースもあります。その運をつかめるかどうかで、以後の棋士人生も変わってくるものです。まあ、運をつかめるのも実力のうちといわれますが…。

結局、飯野は順位戦で昇級できませんでした。24期目には3回目の降級点に該当して降級、10年前からフリークラスの所属となりました。どこかで昇級していたら大きな自信となり、違った棋士人生になったと思います。

田丸―飯野戦の戦型は、飯野の角交換型の振り飛車で、中盤でお互いに角を中段に打つ力戦型となりました。飯野の対局中の様子は普段と変わりませんでした。私も自然体で指しました。相手の大事な一戦こそ全力で戦えという「米長哲学」は意識しませんでした。

終盤で飯野に誤算があり、対局は早々と夕方に終わって、私が勝ちました。感想戦ではお互いに淡々と進めました。順位戦での降級の一戦で何度も敗れた私は、「慰めの言葉」はかえって辛いということを経験したので、私に敗れて引退となった飯野には何も言葉をかけませんでした。飯野もその日を覚悟していたのか、さばさばとした表情でした。

じつは当日、飯野の娘で女流棋士をめざしている研修会員の飯野愛さんが、ほかの対局の記録係を務めていました。父親の対局を案じる気配があるその愛さんと、対局中にふと目が合ったとき、少しばかり複雑な気持ちになりました…。

次回は、棋士の引退と定年について。

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