将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年6月21日 (火)

最終の第7局にもつれ込んだ今期名人戦(羽生名人―森内九段)と過去のデータ

第69期名人戦(羽生善治名人―森内俊之九段)7番勝負はドラマチックな展開になりました。森内が第1局から3連勝して名人奪取まであと1勝に迫ると、羽生が第4局から3連勝して巻き返したのです。最終の第7局は6月21日・22日に山梨県甲府市の「常盤ホテル」で行われています。

名人戦で羽生が森内に3連敗したとき、「予想外の結果」という声が上がりました。また「羽生不調」説も流れました。実際に名人戦第1局から第3局の前後の時期の3月下旬から5月中旬にかけて、羽生は2勝6敗と負け越しました。しかし1月から3月の時期は8割台の勝率でした。名人戦第4局に勝って以降は、棋聖戦第1局(深浦康市九段戦)、王位戦挑戦者決定戦(藤井猛九段戦)、竜王戦本戦出場決定戦(郷田真隆九段戦)などの大きな対局も含めて8連勝しています。羽生は負け越して谷間ともいえる時期に、名人戦で3連敗したわけです。

羽生と森内が対戦したタイトル戦は過去に11シリーズあり、羽生の6勝5敗(7番勝負は4勝4敗)と拮抗しています。なお、4連勝で決着したシリーズが3回ありました。

2003年(平成15年)の第61期名人戦は、羽生竜王が森内名人に4連勝。同年秋の第15期竜王戦は、森内九段が羽生竜王に4連勝。2005年の第54期王将戦は、羽生二冠が森内王将に4連勝。いずれも挑戦者がタイトルを奪取しました。

プロ野球の日本シリーズや囲碁のタイトル戦では、3連敗から4連勝して劇的な逆転勝ちを収めたことが過去に何度もありました。将棋のタイトル戦では、3連勝~3連敗という事例がそもそも稀でした。

最初の事例は1978年(昭和53年)の第17期十段戦(中原誠十段―米長邦雄八段)で、中原が3連勝~3連敗の後に第7局を勝って防衛しました。

じつはこの数年間のタイトル戦で、3連勝~3連敗となった事例が今期名人戦を含めて4回ありました。

2006年(平成18年)の第55期王将戦(羽生善治王将―佐藤康光棋聖)は、羽生が3連勝~3連敗の後に第7局を勝って防衛しました。

2008年(平成20年)の第21期竜王戦(渡辺明竜王―羽生善治名人)は将棋史に残る名勝負でした。渡辺が3連敗~3連勝の後に第7局を勝って防衛しました。将棋のタイトル戦で3連敗から4連勝で逆転した初めての事例となりました。勝った渡辺は竜王戦5連覇によって初代の「永世竜王」に就きました。一方の羽生は竜王獲得通算7期による永世竜王と、それにともなう空前絶後の大記録となる「永世七冠」も逃したのです。

2009年の第50期王位戦(深浦康市王位―木村一基八段)は、深浦が3連敗~3連勝の後に第7局を勝って防衛しました。

タイトル戦で一方が3連勝~3連敗した過去の事例では、いずれも保持者が第7局を勝って防衛しました。

以上の過去のデータも参考にしながら、名人戦第7局を見ることにしましょう。まず改めて行う「振り駒」の結果が注目されました。第6局までの戦型で予想すれば、羽生が先手番なら相矢倉、森内が先手番なら横歩取りの戦型になりそうです。

ただ今の日時は、6月21日午前9時半すぎ。振り駒で森内が先手番となり、戦型は羽生の誘導によって、やはり横歩取りになりました。

次回は、名人戦(羽生名人―森内九段)第7局の模様と結果。

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コメント

羽生名人―森内九段対決
注目される一戦、最終局です。田丸先生の予想通りの展開で始まりましたが、私は羽生名人を応援しています。3連敗からの3連勝は勇気をもらいました。
気になる時間の使い方です。公式戦での時間の配分ですが、なにかルールにはない、棋士たちの一つの約束事みたいなものがあったら、教えてもらいたいと思います。たとえば中座しているときには指してはいけない(実際そうしているか知りませんけど)、秒読みに入った時のトイレなどなど、触れてもらうとありがたいです。

投稿: 将棋太郎 | 2011年6月22日 (水) 11時54分

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