13年前の将棋連盟総会の決議についてのコメントと昔の総会の模様
「総会では招集通知に記載された以外の議題を審議してはいけないと、普通はなっています。議題を見て総会に出席を決めたり、議題への準備をしたりします。議題になっていないことを審議すると、不意打ちになるからです。13年前の将棋連盟総会では、女流棋士にとっては重大な制度変更(奨励会と女流棋士の重籍の禁止)が正しいプロセスを経ずに決められたようで、法律家としては大変残念に思います」という内容のコメント(6月9日)は《tsctless》さん。
連盟の総会では、会長挨拶、各部報告と質疑応答、監事報告、決算書・予算書の承認、事前に通知された議案の審議、という順で議事が進行します。中でも重要議案は、委員会の答申、理事会で調整、棋士への説明などの長いプロセスを経て、総会に上程されます。なお最後の「その他」議案で、出席した棋士は自由に意見を述べられます。それが「動議」となって決議されるのはきわめて稀ですが、13年前の総会でありました。
1998年(平成10年)の連盟総会で、私は副議長を務めました(正議長は桐山清澄九段)。その年の総会は、新将棋会館建設、理事選挙制度、ネット関連事業などの重要議案の審議で活発な論戦が繰り広げられ、午後1時の開会から数時間以上たった夜になっても延々と続きました。そして最後の「その他」議案で、ある棋士が「奨励会と女流棋士の重籍を禁止すべきだ。不都合なことがいろいろとある」と意見を述べました。
議長は、その意見がさらに検討を要する問題と判断すれば、理事会に預けて後日の審議とするのが通常の措置です。しかし女流棋士の重籍問題については、ベテラン・中堅・若手など約15人の棋士から賛否両論の意見が出ました(6月9日のブログの後段を参照)。事前通知しなかった議案でしたが、棋士たちは以前から問題意識を抱いていたようです。予想外の反響に、私たち議長は扱いに困りました。継続審議にする雰囲気ではなく、時刻は夜の10時を過ぎていました。
その総会では、最後に重要な2議案の決議を取ることになっていました。そこで議長は、女流棋士の重籍問題も合わせて決議することにしたのです。投票の結果、76票対62票の少ない票差で、奨励会と女流棋士の重籍が禁止されました。総会の閉会は、この20年間で最も遅い夜の11時半でした。
《tactless》さんは13年前の総会の決議について、「正しいプロセスを経ずに決められたようで」と述べました。しかし「その他」議案の審議は、通常の手続きで行ったものでした。ただ私が今になって振り返ると、総会の決議で決める問題ではなかったと思っています。その意味で、今年5月に連盟が奨励会と女流棋士の重籍を認めた決定については、理事会の裁量の範囲だったと理解しています。
私が若手棋士だった約40年前の連盟総会は、現代の整然とした形式とは大違いでした。まず議長がいませんでした。会長や理事が進行役を兼ねたので、紛糾すると理事会対ほかの棋士たちの「団交」みたいな険しい雰囲気になりました。公式の議事録を取らなかったので、後日に「言った」「言わない」でもめることもありました。演説のように長く話したり、議論の最中に無関係の話をしたり、同じ意見を繰り返す棋士もいて、収拾がつかない「千日手」模様の事態にもなりました。また先輩棋士や上位棋士が威張っていたので、「下級者は黙れ! 文句があるなら将棋盤を持ってこい」という強硬な発言が時にあり、それに対して「将棋が強ければ、何をやってもいいのか」と反発したやりとりもありました。
このように昔の総会は、しばしば紛糾しました。理事会はいよいよ行き詰まると休憩を入れ、合間に当日に支払う予定の「○○協力金」を棋士たちに配りました。するとその後は、審議が円滑に進んだものでした。閉会後は、懐が豊かになった棋士の一部は夜の街に繰り出しました…。公益社団法人になった現代は、総会でそうした支払いはなく、あっても銀行振込です。
次回も、コメントへの返事。
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