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2011年5月 8日 (日)

将棋をこよなく愛した作家・団鬼六さんが79 歳で死去

作家・団鬼六さんが79<br />
 歳で死去

作家・団鬼六さんが5月6日、胸部食道ガンによって79歳で死去しました。

団さんは将棋をこよなく愛した方で、棋士・女流棋士・奨励会員・強豪アマ・将棋好きの芸能人など、将棋を通して多くの人たちと交流しました。私も個人的な思い出が少しあります。自宅の将棋盤の前で微笑している写真は、約20年前に将棋雑誌に載りました。

団さんは1931年(昭和6年)、滋賀県彦根市の生まれ。関西学院大学法学部を卒業後、57年に文藝春秋オール読物新人杯で『親子丼』が入選し、執筆活動に入りました。井原西鶴に傾倒した影響で、当初は文芸作品を手がけました。60年代以降は倒錯した性を描いた特異な官能小説を精力的に書き、『花と蛇』『夕顔夫人』などが人気作となって、それまで未開拓だった「SM小説」の世界の第一人者となりました。執筆活動のかたわら、酒場マスター、英語教員、テレビドラマ脚本家、成人映画の制作プロダクション経営など、様々な職業を経験したり副業に関わったこともありました。

なお団鬼六(だん・おにろく)の筆名は、「団」は東宝女優・団令子のファン、「鬼」は鬼の気分で書く、「六」は昭和6年生まれ、という由来だそうです。

団さんは中学生のころに将棋を覚え、社会人時代は都内の将棋クラブに通って腕を磨きました。やがて若手棋士の指導を受けて三、四段の棋力となり、週刊誌が企画した「著名人将棋大会」ではいつも優勝候補でした。

私が団さんと知り合ったのは、五段時代の1976年(昭和51年)でした。東京・目黒の将棋クラブで定期的に指導していた当時、近所に住んでいた団さんはたまに顔を見せました。ある日、帰りがけにお酒を飲みに誘われ、初めて親しく言葉を交わしました。関西弁で気さくに談笑する団さんは、SM小説という特異な分野の作家には見えませんでした。20代の若い私を棋士ということで立ててくれる、良き将棋ファンでした。ただ作家との交遊談で「川上宗薫からある女の調教を頼まれてしまってね…」と語ったときは、私生活も小説どおりなのかと、私はびっくりしたものです。

団さんは1990年(平成2年)、『将棋ジャーナル』誌の経営を事情があって引き継ぐことになりました。この雑誌は日本アマチュア将棋連盟の機関誌で、アマ棋界のカリスマ的存在だった関則可さん(元アマ名人)が70年代後半に創刊しました。アマ棋界の情報を満載し、プロ棋界に対抗する編集方針と記事に特徴がありました。

団さんはユニークな企画を立てたり、自身の人脈で芸能人・作家・力士なども登場させ、将棋ジャーナル誌を華やかで活気に満ちた誌面に変えました。80年代前半に寸借詐欺によって将棋界から離れていた伝説的な真剣師として知られた故・小池重明さん(元アマ名人)は、団さんに誘われて対局企画で復帰し、往年の強さを発揮する将棋を指しました。

編集部があった横浜の団さんの自宅には、プロ・アマの区別なく様々な人たちが訪れ、夜には自宅か横浜の行きつけの酒場でいつも一緒に飲みました。そんな光景が毎号のように載ったので、「あの雑誌は『宴会ジャーナル』かい」と皮肉を言う人もいました。

団さんはとくに奨励会員たちに目をかけました。彼らが自宅に来ると、上手が勝った場合のみ指導料を払う「片懸賞」の将棋を指しました。彼らにハングリー精神を持たせる親心でした。手合いは松(飛車落ち)・竹(角落ち)・梅(香落ち)の3コースで、いつも金欠だった彼らは懸賞金が高い「松」を希望したそうです。

90年代前半に連盟の出版担当理事を務めていた私は、湯水のように経費を使う団さんのやり方について、経営がさぞ大変だろうと心配していました。それは現実のものとなり、将棋ジャーナル誌は92年12月号を最後に休刊に追い込まれました。団さんは大きな借財を背負ってしまい、横浜の豪邸も手放すことになったのです。

次回も、団鬼六さんの思い出について。

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コメント

田丸先生、興味深いお話を有難うございます。

正直「官能小説家・団鬼六」という名前を聞いて良いイメージは持てません。ですが、団氏と長年お付き合いのあった田丸先生からいくつものエピソードを伺い、義侠心に溢れた温かい人柄の持ち主であったことがよく分りました。田丸先生と気が合ったというのも納得です。

『20代の若い私を棋士ということで立ててくれる、良き将棋ファンでした』

団氏は昭和6年生まれと言うことで、田丸先生より、約20歳も年上ですね。自分が著名な作家でありながら、20も年下の棋士を「先生」と立てるというのはなかなか出来ることではありません。団氏の飾り気のない人柄が伺えます。奨励会員と「片懸賞」で将棋を指して、心理負担のない形で経済支援をしていたというエピソードも心温まります。

ですが
「ただ作家との交遊談で『川上宗薫からある女の調教を頼まれてしまってね…』と語ったときは、私生活も小説どおりなのかと、私はびっくりしたものです」
これには私もビックリしました。

次回も団氏とのエピソードを書いて下さるとのことで、楽しみにしております。

投稿: オヤジ | 2011年5月 8日 (日) 20時39分

松竹梅ですか!知らなかったです。小池重明さんの将棋を見たくて
将棋ジャーナル愛読していました。加賀ー小池十番勝負は今でも覚えて
います。最近では、私の出版した、英語長文読解力の著者の三宅が
関西大学の先輩で唯一尊敬できるのが団鬼六さんと、Twitterで団鬼六
さんの方から、フォローしてくださって、親しくさせて頂いていました。
「花と蛇」の小向美奈子さんともお会いして本を読まして頂きました。
心よりご冥福をお祈りします。

投稿: オンラインブログ検定 | 2011年5月10日 (火) 00時42分

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