田丸の現役棋士40年目への祝福コメント、ありがとうございました
5月5日のブログ「現役棋士40年目を迎えた田丸の過去の実績と今の心境」について、多くの方から祝福と励ましのコメントをいただき、本当にありがとうございました。
「たった一つの生業を40年間かけてまっとうするのは至難の技です」というコメント(5月6日)は《柳》さん。確かに、厳しい勝負の世界で40年もよく持ったものだと、私は実感しています。ただ実社会においても、同様に大変だと思います。40年の歳月を勤め人の方に当てはめると、会社に入って定年まで勤め上げ、その後は嘱託で残る、というのが一般的でしょうか。しかし出向、退職、転職、解雇、倒産などによって、同じ会社で仕事をずっと続けることは、なかなか難しいのが現実のようです。
「自ら余生とおっしゃられる残りの棋士人生も、いぶし銀の輝きを放たれることでしょう」というコメント(5月5日)は《中華そば つむじ風》さん。くすんで渋みを帯びた銀色という意味の「いぶし銀」は、ベテランの味わい深い芸や技にも表現します。そんな将棋を指したいですが、近年は相手に「燻されて」つい暴発してしまう将棋が多いです。
「田丸八段は名前を隠して棋譜を並べても、恐らく多くの人が当てることができる稀有な棋士と思います」というコメント(同日)は《関東のホークスファン》さん。私が現代の主流戦法を指さないのは、複雑で難解なうえに「日進月歩」なので、とてもついていけないからです。まあ「古いポンコツ車」に乗っている棋士が1人ぐらいいてもいいでしょう。
「田丸八段は謙遜していますが、『A級八段』は大変なことですよ。将棋連盟のホームページによると、1991年(平成3年)4月16日に『七段昇段後に190勝』の規定で八段に昇段し、同じ年度にA級に昇格して八段昇段のもうひとつの条件を満たしたわけですね」という内容のコメント(5月6日)は《オヤジ》さん。私は90年12月に八段昇段まであと1勝となりましたが、91年1月~3月に5連敗して昇段は91年度に延びました。ただ結果的には92年4月の免状授与式で、A級棋士として八段免状を受け取ることができたのです。実際は通算勝利による昇段とはいえ、晴れがましい気持ちでした。
「私は長野県民なので、長野県出身の田丸八段が以前に順位戦の上位クラスで活躍していたことを、とてもうれしく思っていました」という内容のコメント(同日)は《bon》さん。私は母の実家の長野県で生まれ、1年後に父の実家の神奈川県に移り、9歳からは東京都にずっと住んでいます。だから正しくは「長野出生」ですが、長野県人の心を持っていると強く思っているので、公式には「長野出身」にしています。
「このブログによる優しいファンへの語りかけは、対局成績とはまた一味違う価値を生み出していると感じます」というコメント(5月7日)は《イトウ》さん。私がこのブログを始めてわかったのは、「▲7六歩△3四歩」以外の将棋の話を熱望している人が多いことでした。これからも様々なエピソードをお伝えしていきます。30歳という《イトウ》さんのような若い世代の方には、ぜひ知ってほしいと思っています。
「新宿の歌舞伎町の酒場で田丸八段と偶然に会い、いまだにお付き合いを続けています。田丸八段と会わなかったら、こんなに将棋ファンにはなっていなかったでしょう」という内容のコメント(同日)は《K島》さん。新宿で遭遇した懐かしい話のほかに、私と共通の趣味のテニス(昨年12月7日のブログを参照)、「戒名」などの内容でした。それらの話は長くなるので、次回のブログに持ち越します。
次回も、コメントへの返事。
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