羽生善治名人がある団体への講演で語った「米長哲学」の勝負観
相撲界の「八百長」問題が発覚した2月上旬。羽生善治(名人)がある団体への講演で、自身の人生観や勝負観について語りました。その講演を聴いたAさんのブログによれば、羽生は旬の話題である相撲界の八百長問題から話を始めました。そして「自分にとって重要ではないけれど、相手にとって重要な対局こそ全力で戦え」という言葉で知られる、米長邦雄(永世棋聖)が現役時代に提唱していた「米長哲学」を引用したのです。
そのAさんは以前は相撲ファンでした。お金がからむ八百長はだめだけれど、角番の大関や幕下に落ちそうな十両が結果的に助かるいわゆる「人情相撲」には、ドラマの『遠山の金さん』『水戸黄門』の結末みたいな予定調和の世界として肯定的だったそうです。しかし羽生が語ったことは、人情相撲も否定するものでした。
羽生は、「米長さんは20代のとき、B級1組順位戦の最終戦で、自分に勝てばA級に昇級するベテラン棋士と対戦しました。自分は消化試合の対局でしたが、粘りに粘って勝ちました。米長さんのその後の棋士人生にとって、それが非常に重要な対局になったそうです。どんな対局であれ、いちど手を抜くと癖になってしまいます。情にほだされず、勝負師としての有り様を示すことが、相手への尊敬であり、将棋を見てくれる人への尊敬だと思います」という内容のことを語ったそうです。
なお、Aさんのブログのコメント欄には、ある外国人教授が書いた「自分の人生のルールを100%守ることよりも、98%守ることのほうがはるかに難しい。一部の例外を許すことで、次の例外が生まれてしまう」という記事が紹介されています。羽生の言葉も、外国人教授の言葉も、根本の精神はまったく同じだと思います。
41年前の1970年(昭和45年)3月。B級1組順位戦の最終戦で、大野源一(九段。当時八段・58歳)と米長(当時七段・26歳)が対戦しました。大野は「振り飛車名人」と謳われた名棋士で、A級に通算16期も在籍しました。9勝3敗の大野は米長に勝てば、5年ぶりにA級に昇級できます。7勝5敗の米長は、昇級の目はすでにありません。
米長は大野との対局において、全力で戦いました。将棋は大野優勢の局面がずっと続きましたが、米長は懸命に粘り、最後に大野が勝ち筋を逃して、米長が逆転勝ちしました。
米長にとって、この大野との対局の経験が「米長哲学」の原点になったのです。その後、米長はリーグ戦やA級順位戦の最終戦で、対戦相手の挑戦権を阻止したり、陥落させたことが何度もありました。米長が実践してきた自身の勝負哲学は、やがて後輩棋士たちにも良い影響を与えるようになりました。順位戦の最終戦で、昇降級に関わる棋士とそうでない棋士が対戦した場合、勝負に情実が生じるようなことはほとんどありません。
ただ米長は大野との対局に際して、必ずしも勝負に徹する心境だったわけではありません。米長の著書によれば、「できれば人柄のよい大野大先輩にうまく指されて、負かされればいいなぁ」ということを、ちらっと思ったそうです…。
次回は、「米長哲学」の原点となった41年前のB級1組順位戦の最終戦と、それにまつわる盤上ドラマの模様。
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コメント
かなり昔ですが、米長先生の「人間における勝負の研究」を読み、「米長哲学」には感銘を受けると同時に、勝負の世界の厳しさを痛感いたしました。「哲学」のような考え方が、今後の相撲界にも浸透していくことを願うばかりです。
投稿: てんなん | 2011年4月 9日 (土) 17時49分