将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年4月11日 (月)

「米長哲学」の原点となった41年前のB級1組順位戦の最終戦での盤上ドラマ

1970年(昭和45年)3月13日。B級1組順位戦の最終戦が行われました。その時点では、11勝1敗の内藤国雄(九段。当時棋聖・30歳)のA級昇級が決定していました。ほかの昇級候補は、9勝3敗の大野源一(九段。同八段・58歳)、中原誠(十六世名人。同七段・22歳)、8勝4敗の芹沢博文(九段。同八段・33歳)の3人でした。大野が米長邦雄(永世棋聖。同七段・26歳)に勝てばA級昇級が決定します。大野が負けた場合、高柳一門の兄弟弟子が対戦する芹沢―中原戦の勝者がA級に昇級します。

この41年前のB級1組順位戦の最終戦では、勝負にまつわる盤上ドラマのほかに、様々なエピソードがありました。将棋雑誌の記事、米長の随筆などを元にしてお伝えします。

最終戦の何日か前、芹沢と米長が酒場で会いました。芹沢は晩年、タレント活動のほうが目立っていました。しかし青年時代は名人候補として大いに嘱望され、卓抜した将棋観は中原や米長に影響を及ぼしました。その米長は芹沢を兄のように敬い、芹沢から「振り飛車はやめたまえ」と忠告されて居飛車一筋になったほどでした。酒場で米長が「芹沢さんのためにも、僕は絶対に勝ちます」と激励すれば、芹沢は「ようし、中原をぶちのめしてやる」と断言しました。芹沢がA級に昇級すれば、7年ぶりの返り咲きとなります。

前回のブログに書いたように、米長は大野との対局に際して、「できれば人柄のよい大野大先輩にうまく指されて、負かされればいいなぁ」ということを、ちらっと思ったそうです。しかし「自分にとって重要ではないけれど、相手にとって重要な対局こそ全力で戦え」という思いになり、それが「米長哲学」の原点となりました。大野との対局で大阪に出向いた前日には、「死にもの狂いで戦おう」と決心しました。対局当日の朝、対局場の関西本部(当時は大阪市南部の阿倍野区)は多くの棋士や新聞記者らが詰めかけてにぎやかでした。還暦に近い大野がA級に昇級すれば快挙で、5年ぶりの返り咲きとなります。

大野―米長戦は、大野がずっと優勢でしたが、最後に勝ち筋を逃して、米長が逆転勝ちしました。終局は深夜の12時すぎでした。

東京で行われた芹沢―中原戦は大熱戦が展開され、芹沢が優勢になりましたが勝ち筋を逃して、中原が逆転勝ちしました。終局は深夜の1時すぎでした。終局直後、兄弟子の芹沢は中原に「これでお前は八段だな。おめでとう」と、A級昇級を意味する言葉で祝福しました。中原は怪訝な表情でした。芹沢が大阪の結果を知るわけがありませんが、主催紙の観戦記者が深夜の12時すぎから盤側にずっといたので、直感で米長が勝ったと覚ったようです。やがて関係者から大阪の大野―米長戦の結果が知らされると、芹沢は「もういちど、念のために大阪に電話して確認しなさい」と言いました。当時は現代のようにネット中継がなく、ファクス通信もなかったので棋譜用紙を見て確認できませんでした。

中原は深夜に帰宅し、待っていた両親に「上がったらしい…」と伝えました。夢うつつの気分で、内心まだ信じられませんでした。そして午前中になって将棋雑誌編集部から芹沢戦の自戦記を依頼されると、A級昇級をやっと実感したのです。

芹沢は終局後、観戦していた若手棋士を誘って新宿へ飲みに行きました。朝に帰宅して夫人から結果を聞かれると、「負けたよ。中原が昇段だ」と答えました。すると夫人が「あら、よかったわね。お祝いに何をあげようかしら」と明るく言ったので、芹沢は落ち込んでいた気分がなぜか和らいだそうです。

じつは、大野―米長戦でも終局後に意外なエピソードがありました。それは次回にて。

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コメント

田丸先生、いつも楽しく拝読しております。
「米長哲学」のことはよく知っておりますが、その発端となったのはこのエピソードだったのですね。詳しく書いて頂き勉強になります。

ところで、昭和45年の日本には、まだ「ファクシミリ」というサービスを電電公社が提供していなかったのか、業務用途でも普及率が低かった (東京と大阪の将棋会館のいずれかにファクシミリ装置がなかった) のか、どちらなのでしょう?

将棋界や囲碁界など「棋譜」が存在し、かつ東京と大阪に分れている世界では、瞬時に対局内容を確実にやり取りできるファクシミリというのは極めて便利なもので、新聞社などに次いで導入されても良さそうなものですが。

何かのついでに
「将棋連盟がファクシミリを利用するようになったのはいつ頃か」
をお教え頂ければ幸いです。

投稿: オヤジ | 2011年4月11日 (月) 22時03分

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