将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年3月 8日 (火)

女流棋士教養講座で田丸が女流棋界の歴史を解説

田丸が女流棋界の歴史を解説

将棋連盟は昨年9月から、文化庁の事業の一環として「女性将棋指導者育成事業」を定期的に行っています。対象者は女流棋士、女流棋士をめざす研修会員、普及指導員、有段者のアマチュアなどです。その講習会は「指導対局」と「教養講座」があります。

指導対局では、A級の高橋道雄九段をはじめに中堅棋士、若手棋士が厳しく指導します。参加者はプロ棋士と1日に平手で3局指します(持ち時間は30分、30秒の秒読み)。教養講座では、将棋界の歴史・社会常識・和服の着付け・写真撮影の際の心構え・対局での所作などがテーマで、各分野の専門家や研究家が講師を担当します。

私は1月中旬の講習会で、「女流棋界の歴史」について解説しました。私は奨励会時代から将棋界の歴史に興味を持ち、古典棋書や専門書で勉強しました。また、女流棋士制度が発足した1974年(昭和49年)には、連盟の事務職員(手合係)として詳しい経緯を知っていました。そうした経験から、前記のテーマを担当することになったのです。

上の写真は、講習会の光景。参加した女流棋士は、甲斐智美(二冠)、関根紀代子(五段)、斎田晴子(四段)、谷川治恵(四段)、山田久美(三段)、高群佐知子(三段)、高橋和(三段)、本田小百合(二段)、中村真梨花(二段)、藤田綾(初段)、井道千尋(初段)、貞升南(1級)、中村桃子(1級)、渡辺弥生(1級)など約20人。

私の解説時間は約1時間。この長さでは女流棋界の歴史を語り尽くせません。そこで江戸時代から女流棋士制度発足までの時期にしぼりました。女流棋士が存在する以前の状況、女流棋界の成り立ちなどについて、時系列に話しました。その概要を、次に列記します。

将棋の文献に初めて登場した女性は江戸時代後期の大橋浪女。囲碁界では江戸時代から多くの女流棋士が出現。明治〜大正〜昭和初期の時代は将棋を指す女性がほぼ皆無。連盟は昭和中期から女性への普及活動に努める。女性初の奨励会員は蛸島彰子(女流五段)。68年から女流アマ名人戦が始まる。74年に女流アマだった関根とある将棋ファンの人の会話がきっかけで、連盟と報知新聞社の間で女流棋戦創設の交渉が始まり、両者の合意によって女流プロ名人位戦が創設されて蛸島、関根など6人が女流棋士に認定される。

私はこうした女流棋界の歴史について、様々なエピソードと自分の感想を交えながら解説しました。そして最後に、女流棋界の基礎を築いた陰の功労者は大山康晴(十五世名人)だったと強調しました。74年のころ、大山は棋士(元名人)として、連盟の運営者(副会長)として大きな影響力を持っていました。その大山は「将棋もスポーツと同じように、男と女にジャンルを分けるべきだ」と以前から提唱し、女流棋士制度発足を推進していきました。もし大山が「将棋が強くなければ、女性というだけで棋士とは認めない」という保守的な考えでしたら、女流棋界の歴史と発展はもっと遅れたことでしょう。

女流棋士たちは、私の解説をメモを取りながら熱心に聞き入りました。女流棋士制度発足に関わって参加者中で唯一の一期生の関根五段は、「37年前のあのころは将棋が弱く、今の人たちの強さは夢のようです」と往時を振り返りました。甲斐二冠は「女流棋界が始まったとき、いろいろな人たちの理解と協力があったことを初めて知り、とても勉強になりました」と感想を語りました。

次回は、コメントへの返事。

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