将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年3月 1日 (火)

作家・山口瞳邸での「優雅な将棋会」と芥川賞・直木賞受賞者の将棋愛好家

山口瞳邸での優雅な将棋会

歴代の芥川賞・直木賞の受賞者の中には、将棋を愛好したり、観戦記を書いたり、棋士と交友したり、将棋を題材にした作品があったりと、将棋や棋士と何らかの関わりがあった作家が意外と多くいました。その人たちを受賞順に列記します。

芥川賞では、尾崎一雄、火野葦平、井上靖、五味康祐、松本清張、遠藤周作、北杜夫、三浦哲郎、三木卓、青野聰、奥泉光、保坂和志、松浦寿輝、伊藤たかみ、朝吹真理子など。

直木賞では、井伏鱒二、柴田錬三郎、有馬頼義、池波正太郎、伊藤桂一、山口瞳、三好徹、渡辺淳一、豊田穣、井上ひさし、色川武大、志茂田景樹、林真理子、森田誠吾、逢坂剛、常盤新平、泡坂妻夫、伊集院静、大沢在昌、佐藤雅美、中村彰彦、宮部みゆき、なかにし礼、船戸与一、藤田宜永、佐々木譲など。

これらの作家の中で、私が実際に将棋を指したことがあるのは、奥泉光、山口瞳、渡辺淳一、逢坂剛、中村彰彦らで、いずれも有段の実力がありました。とくに思い出深いのが、将棋と棋士をこよなく愛した故・山口瞳さんでした。

山口瞳さんは1970年代前半、ある文芸誌が企画した『血涙十番勝負』で一流棋士、新鋭棋士ら20人と駒落ち将棋(手合いは飛車落ち・角落ち)を指し続け、プロ棋士相手に奮戦した様が読者の共感を呼びました。瞳さんはその自戦記で、将棋の素晴らしさと棋士の魅力を軽妙洒脱な名文で綴り、「将棋は男の芸事」だと提唱しました。そんな瞳さんの影響もあってか、当時は新しい将棋ファンが増えたものでした。

瞳さんは東京・国立の自宅で将棋会をよく開き、人気棋士を招いたり、ある棋士から定期的に指導を受けていました。たまに若手棋士や奨励会員にも声をかけました。将棋を指すのも話をするのも、若者たちとのほうが楽しかったようでした。

上の写真は、1974年(昭和49年)4月の将棋会の光景。右から山口瞳さん、私こと田丸昇八段(当時五段・23歳)、沼春雄六段(同三段・25歳)、青野照市九段(同四段・21歳)。相手は瞳さんの将棋仲間たちでした。その日は文芸誌の取材があるというので、私は和服に身を包み、撮影時にちょっとポーズをとりました。写真のように、瞳さんはカヤ盤・ツゲ駒、クワ駒台と最高級の材質の盤駒を揃え、脇息・チリ箱まで用意しました。プロ棋戦の対局とほとんど変わらない設定でした。

瞳さんの将棋仲間は、大橋巨泉(タレント)、安部徹郎(脚本家)、赤木駿介(競馬評論家)、近在の将棋ファンらで、瞳さん自ら「山口組」(もちろんあの団体ではありません)と称しました。そのほかに将棋は指しませんが、伊丹十三(映画監督)、滝田ゆう(漫画家)らの姿をたまに見かけました。

将棋が終わって夕食の時間になると、私たちは治子夫人の心尽くしの手料理に舌鼓を打ちました。そしてお酒がほどよく回ってくると、将棋界のよもやま話、文壇や芸能界の噂話など、話題はどんどん広がっていきました。このように山口邸での将棋会は、談論風発のサロンの趣があり、まさに「江分利満氏の優雅な将棋会」でもありました。

次回は、明日・3月2日の今期A期順位戦最終戦の模様。

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