将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年2月18日 (金)

相撲界の八百長問題と将棋界の「順位戦」最終戦での微妙な対局心理

相撲界で起きた「八百長」問題について、マスコミはその手口も伝えています。一般的な例は、AとBの力士の2者で金銭のやりとりをする(疑惑の力士のメールでは20万円、30万円が相場とか)、星の貸し借りをする(AがBに勝ったら、次の対戦でBに負ける)などです。A・B・Cの3者による「回し」もあるそうです。AがBに負け、BがCに負け、CがAに負けるなど、3者で取り決めをして成績を調整することです。

大関同士の「互助会」も以前から取り沙汰されました。勝てば勝ち越しが決まる、または負ければ負け越して関脇に陥落する大関Aと、すでに勝ち越している大関Bが対戦した場合。過去の例ではたいがいAが勝ちました。大関同士に交渉がなくても、暗黙の了解を思わせる結果(大半の大関が9勝6敗か8勝7敗)に落ち着くことはよくありました。

千秋楽で7勝7敗のCと、すでに勝ち越している(負け越している)Dが対戦した場合。ある学者が過去数年間の勝負で調べたところ、Cの勝率は約8割で、次の対戦ではCの勝率は約4割だったとのことです。

瀬戸際に立たされている力士に対して、相手の力士が「勝つのは心情的に忍びない」と一方的に思い、手を抜いて負けることは実際にあったようです。「人情相撲」(片八百長ともいいます)と呼ばれ、それを題材にした落語や歌舞伎がありました。

このように八百長には、当事者同士の交渉、暗黙の了解、相手の一方的な思いなど、様々なケースがあったようです。そうした行為は、1回でも負けたら敗退するトーナメント形式の競技(テニス、卓球、柔道、高校野球などのスポーツ)ではありえません。○勝○敗と総合成績で評価されるリーグ戦形式だからこそ生じたともいえます。

将棋界においては、リーグ戦の「順位戦」の成績が棋士の選手生命やランクに影響を及ぼしています。最終戦の星勘定では、1勝と1敗の違いによって大きく変わることがあります。

順位戦の最終戦で、勝てば昇級が決まる棋士Aと、昇級・降級に関係しない棋士Bの対戦。負ければ降級(降級点)が決まる棋士Cと、昇級・降級に関係しない棋士Dの対戦。こうした昇降級に関わる対戦において、AとB、CとDの間に何らかの交渉があり、BとDがわざと負けたら八百長となります。

私の知るかぎりでは、それはなかったと思っています。ただし、前記の「人情相撲」のような例はあったかもしれません。AとB、CとDが親しい関係だったり、BとDが一方的に同情を感じたら、結果的にBとDは力が入らずに負けてしまうことはあるでしょう。棋士は勝負師といえども、そこは人間です。順位戦の最終戦では、一方の対局者が微妙な心理状態になることがあります。

私が四段時代にC級2組順位戦で棋士Eと対戦したとき、まだ難しいと思っていた中盤の局面で、相手が急に投了して驚いたことがあります。昇級候補の私は貴重な白星を得ました。私とEは別に親しい関係ではなく、私はEが体調不良になったのかと思いました。じつは後日に知ったことですが、Eは同じ昇級候補のFと仲がとても悪く、「Fが昇級するくらいなら、田丸に勝たせちゃえ」と一方的に思ったようです。

次回は、順位戦の最終戦での「米長哲学」について。

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コメント

Eさんの無気力将棋(?)のエピソードには少なからず衝撃を覚えました。
相撲協会と同じく公益法人に移行する将棋連盟にあっては、今後は絶対にあってはならないことだと考えます。

何のバックアップも保証もない私どもフリーの音楽家の世界では、故意に実力以下の演奏することなどもちろんありえません。
そもそも耳のいい共演者や聴衆の信用を、著しくおとしめるだけでなく、演奏家としての資格さえないといえるでしょう。

私が尊敬し憧れる存在であるはずの棋士の方に、そのような人物が過去であろうと存在したことは、正直残念です。
人間関係に起因する様々なエピソードは、ときに善悪を超えて棋士の人間くささを感じとることもできますが、Eさんのような話が他にもあるのだとすれば、非常に遺憾です。

繰り返しになりますが、公益法人として税優遇をはじめとする恩恵に預かる以上は、これまで以上に内容濃く、質の高い、そして公正な対局を「ぜひとも」望みます。

投稿: 吉澤 | 2011年2月21日 (月) 04時01分

順位戦のシステム面での話しも是非お願いします。
頭ハネの原則が徹底されているのは厳しいですが、素晴らしいこと。これがあるから消化試合が発生しにくくなっているのは間違いありません。
他にも、例えば「C級2組では、前期対局者と当たらない」というルールがあるなんて、私は最近まで知りませんでした。これなら星の貸し借りなんて安易な真似はますますやり辛くなります。こういった細かい努力が、将棋界を健全にするものだと信じています。

米長哲学は偉大ですが、中身が伴ってこそ。そして今は、それが誇れるくらい充実したものになっていると思います。なのでこの辺の話をお聞かせ頂けると非常に嬉しいのです。

投稿: 三河 | 2011年2月21日 (月) 20時17分

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