将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年2月25日 (金)

菊池寛、井伏鱒二が主宰した昭和時代の「文壇将棋」と将棋を愛好した作家たち

大正時代に「文藝春秋」社を創業した作家の菊池寛は、熱心な将棋愛好家でした。孤独な日々を送っていた大学時代に寂しさを紛らわしてくれたのが将棋で、それ以来、将棋にすっかり引かれました。作家として自立して文壇の大御所になってからも、将棋熱はますます高まっていきました。社長室には立派な盤がでんと置かれ、将棋好きの来客があると、どんなに多忙でもまず1局と指しました。菊池は社員にも将棋を奨励し、勤務時間内での将棋を許可したそうです。菊池の影響を受けて、周囲の作家や編集者はこぞって将棋を指し、将棋を知らない編集者は菊池から原稿をもらえないこともありました。そんな菊池が好んだ言葉は「人生は一番勝負なり、指し直し能わず」でした。

昭和時代初期のある週刊誌には「文壇将棋天狗番付」というコラムがあり、10人ほどの作家たちが似顔絵で登場しました。菊池寛と幸田露伴が将棋を指し、久米正雄、山本有三、佐佐木茂索、広津和郎らが盤側で観戦する絵柄でした。前列の対局者、中列・後列の観戦者と、各人の座る位置で作家たちの棋力を格付けしたようです。当時の文壇では菊池と露伴がとくに強く、露伴は時の名人の関根金次郎(十三世名人)から四段の免状を贈呈されました。

菊池寛を中心とした将棋会とは別に、主に東京の中央線沿線に住んでいた作家たちが集まったのが「阿佐ヶ谷将棋会」でした。主宰者は井伏鱒二で、尾崎一雄、滝井孝作、三好達治、中野好夫、亀井勝一郎、火野葦平、太宰治、宇野千代らが参加しました。井伏の棋力は5、6級程度でしたが、指し始めると徹夜で20局も指すほど将棋が大好きでした。なお、太宰の将棋は攻め一本槍だったそうです。

昭和30年代のころには、文藝春秋社の主催で「文壇王将戦」が定期的に開かれました。前記の井伏鱒二、尾崎一雄、滝井孝作らのほかに、永井龍男、有馬頼義、梅崎春生、豊田三郎、五味康祐、柴田錬三郎らが参加しました。

このように昭和初期から中期にかけて、多くの作家たちが将棋を愛好して「文壇将棋」が形成されました。また、作家が名人戦などの観戦記を担当することがよくあり、大岡昇平、坂口安吾、藤沢桓夫、小島政二郎、井伏鱒二、永井龍男、五味康祐らが書きました。

中でも坂口安吾の観戦記がとても面白いです。安吾は終局まで盤側にずっと座り込んで対局者の一挙一動を克明に取材したので、戦いの臨場感がよく表れていました。五味康祐は「自分の剣豪小説みたいに、盤上に血の雨を降らせる」という意気込みで臨みましたが、担当した名人戦の将棋が一方的な内容だったので、思うように書けなかったようです。

ミステリー小説と将棋は、犯人探し・犯行の手口などの謎解きをする過程が、玉を詰め上げることに似ていて共通点があります。そのためかミステリー作家にも将棋愛好家が多く、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張らの大御所も将棋を指しました。

菊池寛は1935年(昭和10年)に「新進作家を世に送り出したい」という趣旨で芥川賞と直木賞を創設しました。それ以来、今年の第144回まで綿々と続いています。両賞の受賞者の中には将棋愛好家が数多くいます。次回は、その作家たちを紹介します。

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