将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年2月15日 (火)

相撲界で起きた「八百長」問題と八百長の語源について

相撲界に激震が起きています。現役力士の携帯電話に「八百長」を思わせるメールのやりとりがあったことが発覚し、それによって本場所(3月の春場所)が65年ぶりに中止となりました。この不祥事は一部力士の不正行為の問題にとどまりません。5月の春場所以降の開催の有無、公益法人としての日本相撲協会の存続にまで影響が及んでいます。この八百長問題では親方、力士ら14人に嫌疑がかかっています。相撲協会の幹部は「今までに八百長相撲はまったくなかった」と言い切っています。しかし特定の時期(昨年の春ころ)に特定の力士が行った不正行為だった、と思っている人は少ないでしょう。

「八百長」という言葉は、八百屋の長兵衛が碁を打ったとき、いつも1勝1敗になるようにしたり、弱い相手にわざと負けたことが、語源になっているそうです。本来は、碁で友好関係を築いたり弱い相手を立てる、「謙譲の美徳」の行為だったのです。しかし現代では、金品や地位のために勝負を貸し借りする意味で使われています。なお、八百屋の長兵衛が碁を打った場所は、相撲部屋だったと伝えられています。その相撲界には、昔から「八百屋」(八百長をする力士)、「注射」(金品で勝ち星を得る)、「中盆」(八百長の仲介をする力士)、「ガチンコ」(真剣勝負の相撲)などの隠語がありました。

相撲界の八百長問題がマスコミに大きく取り上げられたのは1963年(昭和38年)の秋場所でした。千秋楽で全勝同士の横綱の大鵬と柏戸が対戦し、柏戸が勝って優勝しました。体調不良で4場所連続休場していた柏戸の見事な復活劇に日本中が感動し、柏戸は支度部屋で号泣したそうです。そんな美談に異議を唱えたのが作家の石原慎太郎(現・都知事)でした。大鵬―柏戸戦は八百長の疑惑があるとスポーツ紙に書いたのです。その一件は、後に石原側が謝罪して相撲協会と和解になりました。

相撲界の八百長問題については、以後も週刊誌の特集記事でよく取り沙汰されました。その八百長の多くは、ある横綱は連続優勝するため、ある大関は関脇陥落を逃れるためなど、主に上位力士が疑惑の対象でした。

このたび発覚した八百長問題では、幕内下位や十両に位置する力士が当事者でした。相撲界では「関取」といわれる十両とその下の幕下では、天と地ほどの差があります。月給が約100万円の十両に対して、幕下は場所ごとの手当(約15万円)だけです。将棋界でいえば、棋士と奨励会員の違いのようなものです。そんな厳しさがハングリー精神の源となり、より強い力士を生んだり熱戦が繰り広げられました。しかし現実には、関取の地位をお互いに維持するための八百長相撲が仕組まれた背景になったようです。

ほかの勝負の世界でも、八百長問題が以前に起きたことがあります。1970年の「黒い霧事件」は、プロ野球選手が暴力団に先発投手の情報を洩らしたり、野球賭博に関わって八百長試合をしました。72年の「八百長競輪事件」は、競輪のA級選手が八百長レースをして暴力団に不当な利益を与えました。いずれも暴力団がらみの事件で、現役選手が逮捕されたり永久追放の処分を受けました。

相撲界の八百長問題は、暴力団とは無関係のようです。ただ内部の力士たちによる不正行為だと、逆に発覚しにくかったともいえます。次回も、相撲界の八百長問題について。

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