将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2011年2月 8日 (火)

奨励会の年齢制限規定の変遷とそれにまつわる将棋ドラマ

私が奨励会に入会したのは46年前の1965年(昭和40年)。当時の奨励会A組(三段リーグ戦)に在籍した21人のうち、順位戦・C級2組から降級した40代の棋士が2人、30代の三段が6人いました。奨励会に年齢制限規定がなかった時代でした。それから3年後、将棋連盟は「30歳までに四段に昇段できなければ奨励会を退会」という年齢制限規定を定めました。それに該当した奨励会員の多くは「準棋士」(現・指導棋士)となり、普及や後進の育成などの活動に当たりました。

連盟が68年に年齢制限規定を定めたのは、人数が増えていった三段リーグ戦を精鋭化させたい、奨励会を退会した準棋士に普及活動などに専念してほしい、将棋界以外の新天地で出直してほしい、といった理由によるものでした。現実には「古参奨励会員の整理」でしたが、それはやむをえなかったと思います。私は当時、18歳の三段でした。同年代の仲間たちも含めて、30歳という年齢はまったくぴんときませんでした。しかし、それから13年後の81年、その年齢制限規定に直面した奨励会員が現れました。

81年にNHKでドラマ『煙が目にしみる』が放送されました。主人公は30歳の年齢制限が迫っている奨励会の三段という、異色の将棋ドラマでした。原作者は、後年に『独眼竜正宗』『八代将軍吉宗』などの大河ドラマを書いた劇作家のジェームス三木さん。将棋愛好家のジェームスさんは以前から奨励会の年齢制限規定に関心があり、ドラマのモデルとしてそれに近い立場の奨励会員を取材しました。その1人が鈴木英春(三段)でした。

私は鈴木と奨励会入会・年齢が同年で、10代のころはとても親しく付き合いました。その鈴木は19歳で三段に昇段しました。ただ鈴木の以後の生活ぶりは、夢とロマンを求めて全国各地を放浪したり、禅の世界に魅せられて寺に住み込んだりと、将棋一筋ではありませんでした。やがて年月が過ぎ去っていくと、年齢制限規定が重くのしかかってきたのです。ドラマ『煙が目にしみる』では、主人公は苦難の末に四段に昇段できます。しかし現実は厳しく、鈴木は81年の春に奨励会を退会しました。鈴木はその後、アマ棋界に転じてアマ王将戦で優勝するなど活躍し、後進の育成にも力を入れています。

連盟は82年、奨励会の年齢制限規定を30歳から25歳に引き下げました(81年までの入会者は従来の30歳)。当時の奨励会は三段以下が合体された制度(年間の四段昇段者は不定数)でしたが、87年から現行の三段リーグ戦の制度(年間の四段昇段者は4人)に変わりました。四段昇段が狭き門になったことで、やがて奨励会を年齢制限規定で退会した三段が増えました。その中で、アマ棋界に転じてアマ名人戦・アマ竜王戦などの主要棋戦で優勝したのが鈴木純一さん、瀬川晶司さん(6年前に特例試験でプロ棋士四段に)、小牧毅さん、今泉健司さん、秋山太郎さん、小泉有明さん、加來博洋さんなど。

奨励会を年齢制限規定で退会した三段の中には、昇段争いにいつも加わった人もいて、「将棋が弱くてやめたのではない」というのが本心でしょう。そこで連盟は1994年(平成6年)、「25歳を過ぎても三段リーグ戦で勝ち越しすれば、1期ごとに28歳まで延長可能」「年齢にかかわらず三段リーグ戦に6期在籍できる」という規定を追加しました。それで年齢制限規定は少し緩和されましたが、三段リーグ戦が難関である現実は変わりません。

次回は、相撲界の八百長問題について。

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コメント

こんばんは。いつもブログ楽しみにしております。

奨励会制度のドラマと言えば、
大崎善雄さんの小説「将棋の子」がとても印象に残っています。
夢に向かって必死に努力して、勝者もいれば敗者がいる。
どんな世界にあっても必然ですが、やはり夢破れて苦しんでいる人達には
つい感情移入して、心が動いてしまいます。

かといってみんなが幸せになるような甘い制度では
おかしなことになってしまいますよね。
棋士のみなさんは僕にとってはスーパーマンです。
ずっと憧れの存在であってもらいたいと思っています。

投稿: イトウ | 2011年2月10日 (木) 02時18分

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