将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年12月10日 (金)

過去40年間に現役のまま亡くなった棋士の「絶局」について

真部一男九段(2007年に55歳で死去)が体調不良によって序盤で投了した最後の対局から1ヶ月後。投了局面で真部が指したかった手を、大内延介九段が偶然にも指したという不思議なことが起きました。「名局は、羽生・佐藤・森内・渡辺の最先端の将棋だけではないと思いました」という《ジロウ》さんのコメント(11月24日)のとおりです。

そこで、現役のまま亡くなった棋士の最後の対局である「絶局」について調べてみました。過去40年間で該当者は、大山康晴十五世名人、塚田正夫実力制第二代名人、大野源一九段、芹沢博文九段、板谷進九段、森安秀光九段、村山聖九段など、21人いました。

山田道美九段(1970年に36歳で死去)は、大山十五世名人がタイトルを独占して無敵だった60年代に、大山に敢然と立ち向かいました。タイトル戦で激突した両者には、盤上盤外で争った様々な逸話がありました。詳しくは6月18・22・25日のブログを見てください。奇病によって急死した山田の絶局は12日前で、奇しくも大山戦(棋聖戦挑戦者決定戦)でした。大山の振り飛車に対して山田が棒銀で攻めた両者らしい戦型で、結果は大山が勝ちました。山田は夕食休憩時、将棋連盟の運営や普及問題について大山と話し合ったそうで、晩年はお互いの生き方を理解し合う関係になっていました。

山田は大山戦の翌日に研究会を開き、親しい棋士や奨励会員が参加しました。そこで山田が宮坂幸雄九段と指した将棋が、事実上の絶局でした。ところが山田の死後、宮坂はその将棋をどうしても思い出せなかったのです。やがて宮坂は、「あの将棋は山田さんが天国に持っていったんだ」と思うことにしたそうです。

塚田正夫実力制第二代名人(1977年に63歳で死去)の絶局は、半月前の花村元司九段戦(B級1組順位戦)でした。塚田は病気で入院していて、とても対局ができる状態ではありませんでした。しかし「花村くんが好調(5勝1敗)なので、不戦敗では本人にも周囲にも申しわけない」と言って、無理に退院して対局に臨みました。結果は花村が勝ちました。塚田は病床でも対局のことを気にかけていたようで、無意識に発した最後の言葉は「扇子を持ってこい、財布を出せ」でした。

大野源一九段(1979年に67歳で死去)は「振り飛車名人」と謳われ、A級に通算16期も在籍しました。後輩の棋士には「この阿呆」「素人将棋のくせに」などと言って口が悪かったですが、無類の好人物でした。また律儀で用心深く、用事があると必ず30分前に到着しました。そんな性格の大野が冬の夜、家路を急いでいたのか遮断機の下りた鉄道の踏切に入り込んでしまい、轢死したのです。絶局は1ヶ月前の本間爽悦八段戦(C級1組順位戦)で、大野が今で言う「ゴキゲン中飛車」を軽妙に指して勝ちました。

花村元司九段(1985年に67歳で死去)は独特の勝負術に長けていて「東海の鬼」という異名があり、「2分以上は長考」と豪語するほど早指しが得意でした。78年には最年長記録の60歳でA級に昇級しました。2ヶ月前の絶局は、若手棋士だった高橋道雄九段戦(棋王戦)でした。中盤で銀を捨てる意表をつく一手を放ってリードを奪い、懸命に粘る高橋に236手もの長手数で勝ちました。それほど強くて元気だった花村が、体調が急に悪化して亡くなりました。遺族の方は「病気も早指しでした」と語ったそうです。

次回も、現役で亡くなった棋士の「絶局」について。

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