将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年12月17日 (金)

渦中の「海老蔵」の父親「団十郎」が25年前に中原、谷川と記念対局

団十郎が25<br />
 年前に記念対局

歌舞伎俳優の「市川海老蔵」さんが酒場で殴打されて負傷した事件が、テレビや週刊誌で連日のように報道されています。加害者の男性が出頭したので、今後の捜査によって事件はいずれ解決するでしょう。しかし現時点では、単独犯か複数犯か、事件の発端は海老蔵さんの暴言や暴行か、加害者の関係者が逆に被害届を出すのか、示談に持ち込まれるのかなど、判明していないことが多くて事態は流動的です。

いずれにしても、海老蔵さんの立場やイメージは良くありません。公演の記者会見をキャンセルした当夜に酒場に行って事件に遭い、結果的に大事な舞台に穴を空けてしまったので、無期限の謹慎処分を受けたのは当然のことだと思います。父親の「市川団十郎」さんは「親として教育に問題があったのか…」と沈痛な面持ちで語りました。しかし海老蔵さんは一家も構えた33歳の成人です。あくまでも自己責任が問われるべきでしょう。

さて、渦中の海老蔵さんの父親・団十郎さんは、かつて将棋を愛好していました。25年前の1985年には「将棋マガジン」誌の企画で、谷川浩司名人、中原誠王将(いずれも当時)と「飛香落ち」の手合いで記念対局をしました。上の写真は、対局光景を撮った誌面。梨園の貴公子らしい典雅な雰囲気が漂っています。団十郎さんは当時38歳。同年4年には、市川海老蔵から十二代目市川団十郎を襲名しました。

団十郎さんは9歳で将棋を覚え、やがて父親(十一代目団十郎)に勝てるようになりました。その後はアマ五段の歌舞伎関係者に習い、歩の使い方の重要性を教わりました。負けず嫌いなので定跡書や詰将棋の本を読んで勉強し、出番を待つ楽屋ではいつも誰かと将棋を指しました。夢中になって指していて、煎餅のつもりで駒の「歩」をかじったこともあったそうです。そんな熱意によって団十郎さんの棋力は有段に伸びました。77年には夕刊紙の企画で中原名人(当時)と2枚落ちで記念対局し、見事に勝利を収めました。

85年の飛香落ちの記念対局では、団十郎さんは1局目に谷川名人と指しました。対局場は将棋会館の特別対局室。両者はともに和服で、まるでタイトル戦のような趣でした。団十郎さんは定跡どおりに指して開戦し、と金と成香を作りました。しかし飛車を活用できず攻めあぐみました。終盤に角を切って上手玉に迫りましたが及ばず、谷川光速流の寄せに敗れました。後日に行われた2局目の中原王将戦は、谷川戦での指し方を修正してうまく攻めました。しかし終盤で勝ち筋を逃して惜敗しました。襲名披露の直前でしたので、実戦や研究の時間がほとんどなかったようですが、内容的にはよく健闘しました。

ところで、私は連日の報道によって歌舞伎界のことを初めて知りました。歌舞伎俳優は約300人いて、16の一門(屋号)に分かれています。尾上菊五郎の「音羽屋」、中村吉右衛門の「播磨屋」、松本幸四郎の「高麗屋」、市川猿之助の「澤瀉屋」、中村勘三郎の「中村屋」などがあり、中でも市川団十郎の「成田屋」は伝統と重みが最もある大名跡だそうです。初代が成田山新勝寺を信仰していたのが成田屋の由来で、成田屋だけが演じられる「にらみ」の芸は、成田山の「不動明王」の化身を表しているとのことです。ある俳優がテレビ番組で、「海老蔵より芝居がうまい役者はいるが、団十郎になれるのは海老蔵だけだ」と語って叱咤激励していましたが、海老蔵さんはそれを肝に命じてほしいものです。

次回は、渡辺竜王が羽生名人を破って7連覇した今期竜王戦。

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