11月に「棋士派遣」で訪れた山形・米沢での将棋大会と大盤解説光景
私は今年、将棋連盟が主催した「親子将棋教室」「棋士派遣」「名人戦大盤解説会」などの事業で、東北(秋田・三沢・米沢)、関東(日立・所沢)、東海(安城)、九州(大分・佐賀・熊本)などの各地を訪れ、いずれの会場も将棋ファンで賑わいました。とくに「親子将棋教室」には数多くの小学生が参加し、中にはとても強い子がいるのには驚きました。佐賀では6年生の女の子と平手で指すと、見事に負かされたものです。参加者の増加とレベルの高さは、各地の指導者の方々が地道に続けた普及活動の成果だと思います。
私は11月下旬、棋士派遣の事業で山形・米沢を初めて訪れました。山形県といえば、将棋駒の産地の天童が「将棋の町」として有名です。タイトル戦の対局やアマ棋戦の全国大会がよく開催され、私も何回か所用で訪れました。米沢は、東北新幹線・福島から山形方面に向かう途中駅です。江戸時代は上杉家が治めた米沢藩の城下町で、小説の題材にもなった上杉鷹山(ようざん)は「なせば成る なさねば成らぬ何事も…」という自身が残した言葉を実践して藩政を立て直した名君でした。米沢の名産はABCと例えるそうで、Aは林檎のアップル、Bは米沢牛のビーフ、Cは鯉料理のカープです。そのほかに、人気急上昇中の山形米「つや姫」、さっぱりした味わいの漬け物「おみ漬け」が美味しいです。
私は、米沢周辺の強豪アマたちが集まった将棋大会に出席し、大会の合間に指導対局をしました。大会の優勝者は、山形大学の学生でした。そして地元ケープルテレビで放送される記念対局の番組で、その優勝者は私と同行した中倉宏美女流二段と平手の手合いで指しました。番組での大盤解説役は、毎年担当しているという地元の強豪の方で、私は終局後の総評を担当しました。その解説光景を見ていて、解説を担当した方の明快で専門的な話しぶりにとても感心しました。いくら将棋が強いアマでも、解説のうまさとは比例しません。しかも撮り直しができないテレビ番組のうえに、面前にはプロ棋士(昨年は加藤一二三九段)がいるわけで、普通はかなり話しにくいはずです。なお、中倉女流二段と山形大学の学生との平手の記念対局は、熱戦の末に中倉が勝ちました。
その大盤解説役は、約25年前のアマ名人戦で山形代表になった小松純夫さんという方でした。そして小松さんから話を聞くと、10代のころに南口繁一九段門下で関西奨励会に所属していたそうです。1973年(昭和48年)5月に5級で退会し、直前に奨励会に5級で入会したばかりの谷川浩司(九段)とも対局しました。小松さんの話しぶりが専門的なのは、奨励会で修業した経験が生きたのだろうと納得したものです。
じつは37年前の73年の春、当時四段の私は大阪に行ったついでに関西奨励会を観戦し、谷川少年(当時11歳)の対局を初めて見ました。体はまだ小さかったですが、きちんと正座した対局姿は早くも大物感が漂っていました。将棋は入会当初から強く、終盤では「光速流」の寄せの片鱗がうかがえました。私はその模様を『近代将棋』誌の奨励会コーナーに執筆して紹介したのですが、米沢から帰って調べてみると、何と小松さんと谷川少年が指した将棋が載っていました(結果は谷川勝ち)。
本年も、このブログをご愛読していただき、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。ではみなさん、良いお年をお迎えください。
次回は、年頭の所感と2011年の将棋界について。
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