将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年11月 2日 (火)

新宿将棋センターで20年ぶりの指導対局

新宿将棋センターで指導対局

私は10月中旬、将棋連盟から依頼されて東京・新宿将棋センターで指導対局を務めました。1970年代半ばから80年代後半までの15年間、常任講師として月1回の指導対局をしていたので、じつに20年ぶりのことでした。

新宿将棋センターはかつて「日本一の将棋クラブ」といわれました。経営者は詰将棋作家としても著名な金田秀信さん。45年前に小田急線・下北沢に出したのを皮切りに、新宿・伊勢丹の辺り、コマ劇場の辺りと経て、35年前に歌舞伎町入口の靖国通りのビル5階に移転しました。床面積は50坪以上とかなり広く、一度に150人が指せました。当時の広告を見ると、駒音が聞こえない電話コーナー、安くておいしい軽食コーナー、テレビを見れる休息コーナーなど、客に対して対局以外のことにも気配りしました。

金田さんとスタッフがまず心がけたのは、フロントで入場者に対して名前と段級をできるだけ聞かないことでした。つまり大半の客のことを把握していたのです。それと、すぐに対局を付ける、なるべく平手にするなど、客の希望に添った「手合い」を重視しました。ただ段級の認定は厳しくしたので、昇段や昇級が間際になると、少し待たせても成績の良い人を当てました。とにかく、客にいかに将棋を楽しんでもらえるかに傾注しました。そのかわり、ほかの客に迷惑をかけるような人に対しては、「お金は返すから帰ってください」と言って断固とした措置をとりました。

そうした経営努力が実り、新宿将棋センターは連日のように大入りとなりました。平日でも300人〜400人、週末はもっと増えました。手合いが付いても満席で指せない「対局難民」も現れました。私も指導対局で希望者が途切れず、15人以上と指したこともありました。そんな盛況を見て、「自分も将棋クラブを開いてみたい」と思った客もいました。金田さんは何回も相談され、そのたびに「実際は大変な仕事です」と答えたそうです。

世の中が移り変わってネット時代になると、将棋クラブで人と指すよりも、パソコンやゲーム機で将棋を楽しむ人が増えてきました。客の高齢化や経済不況も影響し、盛況だった新宿将棋センターも入場者が激減しました。そして経営立て直しの一環で、昨年の6月に靖国通りから大ガードを越えた西武新宿駅の向こう側のビルに移転しました。その後、経営形態も変わって連盟の直営道場となり、棋士たちが毎日交替で指導対局をしています。

私がその新宿将棋センターに行くと、以前のように金田さんがフロントに座っていました。今年で82歳と高齢になりましたが、てきぱきと手合いを付けていました。金田さんの話によると、入場者は最盛期の3分の1だそうです。

写真は、新宿将棋センターの対局光景。平日の昼間でも多くの人で賑わっていました。私は約10人に指導対局をしました。中には、私に20年以上前に指導を受けた人もいました。元奨励会6級という人とは平手で指しました。

ネット将棋が盛んな昨今ですが、じかに人と指す「生将棋」もいいものです。ぜひ近くの将棋クラブに行って指すことをお勧めします。

次回は、田丸が新宿の将棋クラブで手合い係を務めた41年前の思い出。

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コメント

私も数ヶ月前ですが東京に行く機会があり新宿将棋センターに寄って
来ました。今は連盟経営なんですね。若いころ東京にいたので新宿将棋
センターの最盛期を知っています。昔は凄かったですよね。今の場所に
近いとこには東京将棋道場というのもあって丸田門下の松浦武市両先生
がいらっしゃってよく行きました。なつかしい思い出です。

投稿: 田舎天狗 | 2010年11月 2日 (火) 19時06分

新宿将棋センター懐かしいです。
田丸先生が41年前手合い係をしていたのは知りませんでした。
土日は12時までセンターで将棋をさして、将棋仲間と近くのリスボン(将棋酒場)で朝まで将棋して、始発電車で帰るのが日課でした。
新宿の伝説の真剣士小池重明 先崎 学 林葉 直子 奥村 明 さん
懐かしい名前がたくさん浮かびます。本日倉敷藤花戦立会で、Tさんと当時
の話をしていました。田丸先生によろしくとの事でした。

投稿: オンラインブログ検定 | 2010年11月 4日 (木) 02時54分

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