将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年11月24日 (水)

「棋界のプリンス」と呼ばれた真部一男九段が3年前に55歳で急逝

真部一男九段が3年前に急逝

3年前の2007年11月24日。真部一男九段が55歳で急逝しました。

私が真部の姿を最後に見たのは07年10月30日で、C級2組順位戦の対局で同室となりました。朝の挨拶をしようと真部に目を向けると、憔悴しきった表情に驚いて声が出ませんでした。それでも真部の対局中の様子はいつもとあまり変わらず、新人棋士の豊島将之(五段)に対して得意の「ゴキゲン中飛車」を用いました。私は12時少し前、昼食をとるために外出しました。そして対局室に戻ると、真部―豊島戦はまだ序盤だったのに、盤駒はすでに片付けられていました。記録係に聞くと、昼休み前に真部が突然投了したとのこと。やはり真部の体調はかなり悪かったようでした。

真部はその日、病院に行って緊急入院しました。後日に見舞いをした弟子の小林宏(七段)の話によると、真部は病状の話をひとしきりした後、豊島戦の投了局面のことを切り出したそうです。その局面で自陣に角を打つ秘手があり、自分が有利になるとわかっていたが、その手を指すと相手が長考して投了できなくなるので、角を打たなかったというのです。また将棋連盟の関係者には、休場した場合の竜王戦のクラスの扱いについて尋ねました。真部は竜王戦で14年間にわたって上位の2組に在籍していました。

つまり真部はしばらく休場して療養した後、現役に復帰したい気持ちが強くあったのです。しかし真部を襲った病魔は悪性のガンでした。入院して1ヶ月もたたないうちに、転移性肝腫瘍という病名によって帰らぬ人となりました。

私は真部より2歳年上で、奨励会入会がほぼ同期でした。奨励会員、若手棋士のころは親しく付き合い、一緒によくお酒を飲みました。私が知る青年時代の真部はとても壮健でした。高校時代は体操部に所属したほど筋肉隆々で、先輩棋士が居並ぶ宴席で逆立ちして座敷を1周したエピソードは有名でした。一時期は少林寺拳法を習いました。真部は腕力を鍛えた理由として、「もし崖から落ちそうになったとき、片手で地に掴まって体を支え、片一方の手で女の手を離さずにいられるようにね」と、冗談ぽく言ったものでした。

このように青年時代の真部はとても壮健でした。しかし30代後半のころ、首が回らなくなる原因不明の症状に見舞われました。それ以来、日々の生活が何かと不自由で歩行が困難になり、体調も芳しくなかったようでした。

上の写真は、私が撮った23歳のときの真部(当時四段)。俳優のように端正な顔立ちでした。しかも時の名人の中原誠(十六世名人)に対して公式戦で3連勝するなど、盤上で大活躍したので棋界内外から注目され、「棋界のプリンス」と呼ばれました。

真部はテレビの人気時代劇『銭形平次』に特別出演して大川橋蔵と共演したり、主婦向けのテレビ番組で初心者を対象とした将棋講座のコーナーを担当したり、時の首相(福田赳夫)が真部後援会の名誉会長になるなど、盤外でも華々しい存在でした。将棋の強い若手棋士が世間からこれほど人気を呼んだ例は、真部だけだと思います。

次回(来週)は、若き日の真部九段の思い出。

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コメント

田丸先生、こんにちは、何度かコメント差し上げましたジロウです。
真部先生は忘れられない棋士です。
余りにも若すぎるご逝去に今でも哀しい思いです。
豊島さんとの絶局、最後にお見舞いに訪れた小林先生に

「あの局面は私の勝ちだ。誰か(続きを)指してくれないか・・・・」

と語られたそうですね。

その局面を、(たしかお通夜の日?)大内先生が順位戦で全く同じ局面を再現し、しかも真部先生の指したかった4八角の自陣角まで指されました。

名曲は、羽生・佐藤・森内・渡辺の最先端の将棋だけではないと思いました。

続きのコラムを楽しみにしております。

投稿: ジロウ | 2010年11月24日 (水) 22時34分

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