将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年9月14日 (火)

実力本位のプロ棋界での棋士たちの学歴と早大出身者

プロ棋界は完全に実力本位ですから、学歴が何かと重視される一般社会と違って、学歴が棋士の昇進を左右することはもちろんありません。だいたい棋士の卵たちは、小・中学生のころから奨励会に所属して棋士をめざしているので、学習塾や予備校に通って受験勉強している余裕はなく、せいぜい高校に進学するのが一般的です。

羽生善治(名人)、渡辺明(竜王)、久保利明(王将)、中原誠(十六世名人)、谷川浩司(九段)、森内俊之(九段)、佐藤康光(九段)などのタイトル経験者は、いずれも高卒です。中でも羽生、渡辺、谷川は中学生で棋士になったので、中学・高校に在学中には対局料がサラリーマンみたいに銀行口座に振り込まれていました。

昔の棋士だと中卒も珍しくありません。私もその1人です。中学卒業後、師匠の佐瀬勇次(故・名誉九段)の自宅に住み込み、3年間の内弟子生活を送りました。師匠が「高校に行かないで将棋一筋に勉強すれば、君はきっとものになる」と、内弟子を強く勧めてくれたからです。ただ中学3年のとき、兄弟子の米長邦雄(永世棋聖)には「いろいろな経験を積んだほうがいい」と、高校進学を勧められました。私は師匠と兄弟子の意見の板挟みになりましたが、自分の意思で師匠に従いました。結果的にその3年間では、勉強が生きて3級から三段に昇進できました。

「3人の兄たちは頭が悪いから東大に入った」という名文句をかつて語ったのは米長でした。全国から将棋の神童が集まる奨励会で勝ち抜いて棋士になるには、かなり優秀な頭脳が必要であり、それは東大生の比ではない、と米長は言いたかったのだと思います。その米長は中央大学に入りました。当時は奨励会の三段リーグで必死に戦っていて、大学はどこでもよかったのでしょう。

じつは大学出身者の棋士は意外といます。その多くがなぜか早稲田大学でした。草分けは加藤治郎(故・名誉九段)で、早大卒業後の昭和初期に棋士になりました。当時は「学士棋士」として珍しがられたそうです。加藤は38歳で引退しました。以後は将棋連盟の会長として運営に従事、書籍や観戦記の文筆活動、弟子の育成(故・原田泰夫九段、木村義徳九段、故・真部一男九段)など、現役期間よりも引退後の活動が長い棋士でした。

ほかの早大出身者の棋士は、加藤一二三(九段)、木村義徳、木村嘉孝(七段)、北村文男(故・七段)と続きました。加藤は入学時にA級八段でした。木村義徳は木村義雄(十四世名人)の息子で、大学院在学中に元アマ名人という実績によって、付け出し三段で奨励会に入って棋士になりました。

その後、丸山忠久(九段)、北浜健介(七段)、広瀬章人(王位)、中村太地(四段)、早水千紗(女流二段)などが早大に入りました。特異な技能を有する高校生に適用される「一芸入試」の制度で入学したケースが多かったようです。

10年前には、東大に入学した三段の奨励会員が現れました。片上大輔(六段)です。その話は次回にて。

次回は、東大出身棋士の誕生。

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コメント

正確には思い出せませんが、大山十五世名人が「自分は、将棋学校を卒業したと自負している。」とおっしゃていたのを、なにかの記事で読んだ記憶があります。棋士の方々は専門職ですから、良い将棋を見せて頂ければファンは満足です。最近はどの世界もグローバル化して、色々な能力が必要とされる場面も出てきたかもしれません。田丸先生はじめ、各自が特性を生かして将棋界を盛り上げていってください。

投稿: 五平餅 | 2010年9月15日 (水) 18時05分

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