将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年9月 7日 (火)

千日手になった場合の昔の対局規定と問題点

将棋連盟の会長を務めたこともある故・原田泰夫九段は「千日手は将棋を滅ぼすガン」だと、以前に警鐘を強く鳴らしました。というのは、昔は千日手の割合が今より多かったのです。過去10年間のプロ公式戦で生じた千日手は約2%で、記録が残っている1966年度から69年度は約3%でした。わずか1%の差ですが、年間の対局数が今より半分の時代だったので、かなり目立ったはずです。

終盤で生じた千日手は、手を変えて打開すると負け筋になりかねないので、いつの時代でも仕方ないと思います。しかし昔は、序盤での千日手が多かったようです。ともに仕掛けの糸口をつかめない、先に仕掛けたほうが不利になる、というケースです。

私が記録係を務めた相掛かり・相腰掛け銀の戦型の対局では、先手が飛車先歩交換をすでにしているのに▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2六飛と1手パスすると、後手も同様に△8六歩▲同歩△同飛▲8七歩△8四飛とし、この手順を3回繰り返して千日手になりました。相四枚矢倉の四手角(▲2六角・△8四角)の陣形から▲4五歩△6五歩とともに仕掛け、▲4四歩・△6六歩と先に取り込んだほうが不利という定説によって双方とも手待ちし、千日手になることもありました。

どちらの例も、双方とも打開するのは無理と判断したのでしょう。しかし実戦によく現れる戦型なので、日頃から研究していれば何か攻め筋を見出せるはずだと、奨励会員の私は思ったものでした。「無気力相撲」という言葉がありますが、「無気力将棋」とのそしりを受けかねないことで、原田九段はそれを心配したのです。

1966年度から69年度の千日手は、加藤一二三九段(27局)と山田道美九段(20局)がとくに多く、加藤の順位戦の同一対局では3連続千日手となる例も生じました。加藤と山田は将棋に対して真剣に取り組んだ棋士で、序盤から仕掛けの辺りは長考を重ねました。それだけに少しでも成算がないと、仕掛けを自重することがよくありました。

じつは昔は千日手になった場合、現行規定の「即日指し直し」ではなく、原則として「翌日指し直し」でした。しかし対局日程が詰まっていると、1週間後に延期されたり、極端な例は1ヶ月後ということもありました。対局が延期されると、観戦記者は二度手間となり、記録係の手配、対局室の用意など、何かと負担がかかる問題点がありました。順位戦の終盤だと対局結果にタイムラグが生じ、星勘定の面で味が悪くなります。また、ごく少数ですが不心得者の棋士がいました。ギャンブル好き同士の対局では、双方が談合して午前中に千日手にすると、ギャンブル場に直行という悪しき事態も起きました。

1960年代後半、千日手規定が少し変わりました。午後3時以降に千日手になった場合は翌日指し直しで、午後3時以前は即日指し直しとなりました。これは、前記のような不心得者の行為を排除する意図があったようです。そして1970年度からは、すべての千日手(タイトル戦は除く)が即日指し直しとなり、指し直し局の持ち時間は残り時間、または最多1時間に充当する現行規定に改まりました。

千日手の問題については、コメントが寄せられていますので、またテーマに取り上げたいと思います。

次回は、広瀬章人新王位の誕生について。

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