将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年7月 1日 (木)

山田道美九段の将棋人生などのコメントへの返事

1970年に奇病によって36歳で急逝した山田道美九段の将棋人生について、多くの方から次のような内容のコメントが寄せられました。

『修造』さんは「山田九段の日記を読んだことがあります」(6月21日)。『田舎天狗』さんは「日記を読むと山田九段の将棋に対する思い、昭和20年代の新人棋士の厳しい生活などが描かれ、何度も読み返しても飽きません」(4月30日)。『UT』さんは「現代将棋の系譜を遡ると、必ずぶつかる山田九段についての話を興味深く読みました」(6月21日)。『ケイ』さんは「山田九段といえば、対四間飛車の急戦・山田定跡なしに語ることはできないですね。当時の研究のレベルの高さを測るひとつの物差しだと思っています」(6月26日)。『一ノ谷博士』さんは「山田九段が亡くなったころは子どもだったので、突然お名前を聞かなくなって不審に思っていました」(6月28日)。

山田は自戦記、講座、随筆など、数多くの文章を将棋雑誌に書きました。それらをまとめた『山田道美将棋著作集』全8巻が、約30年前に大修館書店から刊行されました。その第7巻が日記で、『修造』さんも『田舎天狗』さんもそれを読んだのでしょう。昔は社会全体が貧しく、将棋界も同様でした。山田も生活のために、百科事典を売り歩くアルバイトをした時期がありました。

振り飛車が流行し始めた約50年前。山田は有力な振り飛車対策として、棒銀に着目して研究していました。▲3七銀~▲2六銀と進めて▲3五歩と仕掛ける手法で、現代でも加藤一二三九段がよく用いています。その加藤は当時、右銀を2筋に進める棒銀を「そっぽにいく感じ」とやや疑問に思っていたそうです。やがて山田は棒銀に代わる急戦策として、▲5七銀左型から▲3五歩△同歩▲4六銀と進めて仕掛ける手法を編み出しました。それが『ケイ』さんのいう山田定跡で、私も奨励会時代はよく指したものです。

山田の最後の対局は、70年6月6日の大山康晴名人との一戦でした。翌日、山田は研究会である棋士と指しました。その棋士は山田の没後、山田戦の棋譜をどうしても思い出せず、「あの棋譜は山田さんが天国に持って行ったんだ」と思っているそうです。

「青野照市九段があるブログで、≪大山十五世名人はあれだけ実績があるのに昔話はあまりせず、常に将来のことを語っていた≫と言ってました」という内容のコメント(6月8日)は『初心者です』さん。

大山が自身の人生観、勝負観を綴った著書『勝負のこころ』には、数々の名言が載っています。その中の「過去の照り返しに生きるな」「貯金で生活するな」「常に未知の世界へ挑戦せよ」などの言葉は、前記の大山の姿勢をよく言い表しています。また、過去を振り返らなかったのは、一瞬でも立ち止まれない性分もあったようです。一般の人なら、独りで喫茶店に入ったり、居酒屋で飲んだり、映画や音楽を鑑賞することがあるでしょう。しかし大山は、そういうことを何かの目的以外にしない人で、のんびり過ごすのは基本的に嫌いでした。それだけに、ガンが再発して医者から「散歩と昼寝を日課にしなさい」と言われても従わず、結果的に寿命を縮めてしまいました。

次回は、ワールドカップとサッカー・将棋の共通点。

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コメント


 田丸先生、こんにちは。
 格調高いブログを、毎回楽しみに拝読しております。
 私は山田定跡が好きで、若い頃は良く指したものです。
 立派な先生だったのですね。あらためて敬服しています。

 話は違いますが、ひとつ質問があります。私はすでに年金生活ですが 棋士のかたがにも年金は出るのでしょうか?現役の場合も出ますか?
 差し支えない範囲で教えて頂ければ有難いです。
 

投稿: 五平餅 | 2010年7月 1日 (木) 21時31分

将棋のことは詳しくないのですが、いつも将棋界のお話を興味深く読ませてもらっています。
独特な所があり面白いです。
これからも楽しみにしています。

投稿: ブロッコリー | 2010年7月 4日 (日) 08時22分

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