参議院選挙に出馬が取り沙汰された芹沢博文と米長邦雄
今週の11日(日)に参議院選挙が行われます。与党が安定多数を維持するか、与野党の勢力が伯仲または逆転するか…。その結果によって政治が大きく変わってきます。
今回の参議院選挙でも「タレント候補」と呼ばれる各界の著名人が数多く立候補し、その大半がスポーツ・芸能関係です。将棋界から政界に打って出た例は今までありませんが、出馬が取り沙汰された棋士はいました。
元首相の田中角栄は大の将棋好きでした。田中が1972年の自民党総裁選で福田赳夫と争ったとき、新名人になった中原誠(十六世名人)が関係者を通じて、田中に自筆の扇子を贈りました。将棋盤の中央で八方をにらむ「5五角」が書かれたその扇子は、「ゴーゴー角(栄)」の意味を込めた応援メッセージでした。そして田中新首相が誕生すると、将棋連盟の理事と中原は首相官邸を訪れ、田中に六段の免状を贈呈しました。それが機縁となり、田中と中原の交流が始まりました。
田中は76年にロッキード事件で逮捕され、その後は政界の表舞台からいったん退きました。しかし多数の田中派議員を擁し、「闇将軍」として影響力を及ぼしていました。そんな時期、東京・目白の田中邸に中原、芹沢博文(九段)、田中寅彦(九段)らの高柳一門の棋士たちが訪れ、角さんに将棋を教えました。角さんの得意戦法は、政治手法と同じように「中央突破」の中飛車でした。
田中は、才気煥発な芹沢をとても気に入っていました。目白御殿で池の錦鯉を一緒に見ていたとき、田中が「錦鯉は土地が変わると色がさめる」と言うと、芹沢が「恋(鯉)もいつかさめる」と当意即妙に応じ、田中の相好を崩したこともありました。また、「将棋を実力初段にしてくれたら、たいていのことは聞く」と真顔で言ったそうです。
80年代はじめ、田中が芹沢に参議院選挙・全国区への出馬を持ちかけました。芹沢はテレビのクイズ番組に出演して知名度があり、さらに田中の後ろ盾があれば当選は十分に可能でした。芹沢も本気だったようです。しかし82年に選挙制度が全国区制から名簿式比例代表制に変わると、出馬の話は立ち消えになりました。
95年の参議院選挙では、自民党の比例代表の目玉候補として米長邦雄(永世棋聖)の名前が浮上しました。米長は青少年への教育問題に以前から関心が深く、国会議員になって文教委員会に所属すると、連盟の所轄官庁の文部省ともパイプが太くなります。A級棋士の米長が国政に進出した場合、公式戦休場か引退かの道を迫られますが、米長は真剣に考えていたようです。当時の比例制度は拘束式で、名簿順位が上位ほど当選が有力となります。一説では、自民党の幹部は米長に「人差し指」を立てたそうです。その仕草が1位か11位かは不明ですが、後者でも十分に当選圏内でした。
米長は記者会見で「カミ(神)の声に委ねる」と語り、出馬の意志について保留しました。そして次の会見では、「カミさん(女房)と相談した結果、出馬を辞退します」と表明しました。カミとは「山の神」だったのです。しかし、それは表向きの理由で、ほかに何か事情があったのでしょう。
やはり棋士は、金バッジを付けて永田町を闊歩しているよりも、和服姿で対局しているほうが様になっています。
次回は、不祥事が続発している相撲界について。
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