将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年6月10日 (木)

元女流棋士の林葉直子が起こした16年前の失踪騒動

林葉直子が起こした失踪騒動

16年前の1994年6月10日。元女流棋士の林葉直子(当時・倉敷藤花のタイトル保持者)は前日の9日に続いて、10日の公式戦も対局場に現れず不戦敗しました。この問題がメディアを巻き込む大きな騒動に発展したのです。

じつは対局の10日ほど前、林葉は将棋連盟のK理事に「休養願い」と題する封書を手渡しました。同じ理事の私はK理事に相談されて開封すると、「私は心身ともに疲労を感じて極限状態です。つきましては、すべての活動を停止し、しばらく休養したいと思います。私の棋士の処遇については、すべて理事会の決定に従います」という主旨でした。理事会ですぐに協議したところ、特例として受理することになりました。ただし、すでに決定している対局の措置について、林葉と早急に話し合う必要があり、私はその問題の担当を任されました。しかし林葉とは連絡がまったく取れませんでした。

10日には東京将棋記者会の会合があり、林葉の連続不戦敗について報告することになりました。私はB級1組順位戦で対局中でしたが、30分ほど中座して記者会に出席しました。こんな体験は、棋士人生でもちろん初めてでした。

翌日の一般紙は林葉の不戦敗と休養願いを一斉に報じ、スポーツ紙には「林葉失踪?」という見出しが大きく載りました。その後、ある医者との熱愛、インドの予言者・サイババへの傾倒、父親との確執、茶番劇の説など、様々な情報が飛び交いました。私は連盟の広報担当理事として、テレビ・新聞・週刊誌などの取材に応じましたが、私自身が事情を何も知らなかったので応対にほとほと困りました。林葉の休養願いには「定期的に理事会に連絡します」と書いてありましたが、実際はほとんど音信不通でした。

やがて、林葉がイギリスに渡航したことが判明し、7月中旬に極秘帰国しました。そして将棋会館で記者会見が開かれ、200人もの報道陣が集まりました。写真は、翌日の新聞記事で、林葉の横にいる青いスーツ姿が田丸です。林葉は会見で「こんな大騒ぎになるとは思わなかった」「ストレスがたまっていた」「将棋を世界に広めたかった」などと釈明しました。しかしメディアには不評で、「甘えるな」という厳しい論調となりました。

94年6月に23歳の羽生善治新名人が誕生しました。ただ当時のメディアの関心はもっぱら林葉に向けられ、報道合戦はかなり過熱していました。小説も書く美貌の女流棋士が対局を不戦敗してまで海外に失踪した話は、とてもミステリアスで絶好のネタだったのでしょう。その林葉は連盟から3ヵ月出場停止の処分を受け、94年秋に公式戦に復帰しました。じつは、そこまでが「林葉劇場」前編で、後編は次のように展開しました。

95年に連盟に退会届を提出して受理される。ヌード写真集を出版。98年に週刊誌の報道で年上男性との不倫が発覚。美容整形で話題に。東京・六本木にカレー料理店を出す。経済的に破綻して自己破産。

最近、林葉の将棋界復帰の話が流れています。女子テニスの伊達選手のようにプロに戻るのは無理ですが、オープン棋戦には出場できます。林葉の対局姿と往年の強さを見たいと思っているファンは今でも多いでしょう。

次回は、東西棋士のテニス対抗戦。

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コメント

あの時林葉さんは、いろいろ煮詰まっていて、単純に逃げ出したかったんだと思いますよ。
ただ、立場が大騒ぎになっただけで、他の立場だったら、良い人生経験になったかもしれなかったったのに。
どういう将棋を指すのか興味はあります。

投稿: ひろ | 2010年6月12日 (土) 11時11分

ハナマルキさんも書かれているように、この書き方は酷いですね。
いかに将棋の世界が男尊女卑であるかが見えてくる。
広報担当できちんとお金も出ているのですから、このような不平を述べるのは論外。

投稿: 通りすがりの将棋ファン | 2010年7月 1日 (木) 00時18分

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