将棋棋士 田丸昇の と金 横歩き

2010年6月18日 (金)

40年前に奇病によって36歳で急死した山田道美九段

奇病によって急死した山田九段

40年前の1970年6月18日。A級棋士の山田道美八段(追贈九段)が36歳の若さで急死しました。死因は「血小板減少性紫斑病」という奇病でした。

1960年代から70年代にかけての将棋界は、大山康晴(十五世名人)がタイトル(五冠)をほぼ独占して無敵を誇っていました。大山は宿命のライバル・升田幸三(実力制第四代名人)、新世代の二上達也(九段)や加藤一二三(九段)らの挑戦をことごとく退けました。その大山に対して、敢然と立ち向かったのが山田でした。山田は65年に名人戦、66年に王将戦で大山に挑戦し、いずれも敗退しましたが、壮烈な気迫と力あふれる戦いで大山を苦しめました。

山田は学究派の棋士で、その生き方は青年時代の中原誠(十六世名人)や米長邦雄(永世棋聖)にも影響を与えました。今日のプロ棋界で用いられている「研究会」「VS」などの勉強法は、山田が最初に取り入れたものでした。私も奨励会時代、山田には大いに感化されました。今回から3回にわたって、山田の将棋人生と将棋界に残した足跡を伝えます。

山田は1933年に愛知県で生まれ、同県に住んでいた金子金五郎九段の弟子となりました。金子は戦前に創設された実力名人戦に第1期から参加した大棋士で、序盤戦術に精通したので「序盤の金子」と謳われました。

山田は16歳のときに上京し、奨励会に初段で入会しました。その山田を後見人として世話をしたのが京須行男八段(森内俊之九段の祖父)で、入会当初は成績が悪かった山田に「1日1局主義」を勧めました。1局1局を必死に頑張れという意味でした。昔の奨励会は持ち時間がとくになく、山田は朝から夕方まで盤にかじりついていました。やがて、この主義が功を奏して成績が向上し、山田は17歳で四段に昇段しました。

山田は師匠の影響を受け、若手棋士時代から序盤作戦の研究に打ち込みました。しかし昔の将棋界は「将棋は中終盤の力が大事」という風潮が強く、山田は仲間内で「形にとらわれたひ弱な将棋」と低い評価でした。実際に山田は中終盤の戦いで非力な面があり、考え過ぎてポカを指すこともありました。

山田はひたすら独自の研究に取り組み、将棋雑誌に研究内容や新手法などを発表しました。それはかなり専門的なものでした。本来は「軍の機密」ともいえる情報を公開したことに、得策ではないと忠告した棋士もいましたが、山田は意に介しませんでした。

山田は当時の棋士としては珍しく多趣味でした。ドイツ文学やクラシック音楽を愛好し、将棋雑誌に私的な内容の随筆を書いたりしました。その文章には、自身の教養を強調したり、ほかの棋士の無教養を批判するような表現が時にありました。そのために仲間の棋士に反感を持たれ、初参加したB級1組順位戦では5勝7敗の成績ながら、ほかの棋士たちに成績を調整されて降級しました(昔は互助会的な人間関係がありました)。

「将棋博士」といわれた山田が盤上で脚光を浴びたのは65年の名人戦でした。

次回は、大山と山田のタイトル戦での激闘。

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コメント

はじめまして。

山田九段の日記を読んだことがあります。
私が社会人として日が浅いということもあり、経済的自立を強く願う若い棋士の言葉には心を打たれました。

田丸先生のエントリーは、私にとって興味深い話題ばかりです。
続く二回も楽しみにしています。

投稿: 修造 | 2010年6月21日 (月) 00時48分

> 互助会的な人間関係
現在は米長哲学と呼ばれる考えが浸透している将棋界では考えられませんね。
もし機会がございましたら「互助会的な人間関係」に関してもお教えいただけませんか?
よろしくお願いします。

投稿: popoo | 2010年6月21日 (月) 10時27分

現代の将棋の系譜を遡るとと必ずぶつかる山田道美九段についてのお話、大変興味深く読ませていただいています。直に接した方がインターネット上で在りし日を綴る、山田九段は大喜びされるような気がします。次回以降も楽しみにしております。

投稿: UT | 2010年6月21日 (月) 20時33分

山田先生が亡くなった後に将棋に興味を持った(昭和47年)ので
山田九段がどのような話かたをされたのか興味があります。NHK杯など
画像が残っているなら見たいです。高い見識と向上心があった人と
お見受けしますので将棋界にとって非常に大きな損失だったですね。

投稿: 田舎天狗 | 2010年6月21日 (月) 23時38分

山田先生が亡くなられた頃はまだ子供だったのですが突然お名前を聞かなくなったので不審に思っていました。今更ですがとても残念に思っています。

投稿: 一ノ谷博士 | 2010年6月28日 (月) 23時01分

山口瞳の著書中に、大山名人が[山田八段の態度が名人を名人とも思わぬ態度にかっかしてる]とコメントされてたのが印象的だった。これにたいして山田八段は[名人戦をたたかってるので対等だ]と反論してると記載されてた。山田のいうとおりだが、言動がやや挑戦てきであったのだろう。突然死さえしなければ、大山名人から何度かタイトルを奪ったかもしれない。実際大山も弔意文でそのように書いてる。(おもてなしスタイルかもしれないが)

投稿: Y.kitahara | 2016年12月15日 (木) 03時03分

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